敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 64 回  ***第8番(その1)***
*****  喜撰法師ー喜撰山の祠  *****

<うぢやま>
 百人一首第五番歌歌人猿丸大夫の宇治田原における縁りの地は、猿丸神社でした。
 その北西方向に丁度4km離れた宇治川対岸には、喜撰山(416m)があります。
 古今和歌集に於ける猿丸大夫は伝承の吟遊詩人として元慶年間(877〜884)頃に於ける
生没年未詳の人物ながら、「大伴黒主之歌、古猿丸大夫之次也」と言及されておりました。
 
 それ以上に古今和歌集に於いて謎の歌人扱いされているのが喜撰法師です。
 
 「宇治山の僧喜撰は、言葉かすかにして、始め終わり、たしかならず。いはば秋の月を見るに、
  暁の雲にあへるがごとし。

  ー我が庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなりー

  よめる歌、多く聞かねば、かれこれを通はして、よく知らず」

という引用になっています。古今集の一首を以てこの歌人の和歌の全てとし、かつ歴史的に言及すべき
「六歌仙」の一歌人であったというわけですから、なおさら曖昧模糊とした「著名な歌人」と言わざる
をえません。

 しかしながら法師自身は、「我か庵」は「都の辰巳」の「うぢ山」にありと詠んでいるわけですから、
喜撰山とは無関係ではなかったとみたいところです。

光琳カルタの喜撰法師(出典:学習研究社「百人一首」(1996年版))
  世捨人の世界を下界の都の人々は「うぢ山」と称しました。京の都の辰巳の方向にある宇治方面での
「宇治山」とは宇治川沿いの山並みのいづれかを指して称された山のことでしょう。
 現在では喜撰法師に因んで付けられた宇治川の北にある山が喜撰山と呼ばれてきました。

 喜撰法師の世界を体感するために喜撰山に登ってみました。
 ガイドブックは宇治市歴史資料館が発行している宇治文庫9「宇治の道・旅人を歩く」の第五章
都の辰巳ー池尾道・三室道ーです。

 かって鴨長明(1155・久寿二年〜1216・建保四年)も宇治にほど近い隠棲の地日野から、
喜撰山に登り、法師の跡を尋ね、「堂の石ずへ」を確認している(「無名抄」)ようです。
 その後、各種の地誌資料や図会に喜撰嶽あるいは喜撰山と紹介されつづけてきました。熱心な六歌仙
詣での僧侶(今西行と称された似雲・安芸の国出身)になりますと、「喜撰が岩屋」で一夜を明かした
(「としなみ草」)とも記しているようです。

 喜撰山ダムの堰堤の北側から細い山道を登ること20分ほどで喜撰山山頂に達します。

喜撰山ダムの堰堤とその西側の喜撰山山頂付近
 喜撰洞は山頂から西にやや下った岩陰とされています。山道は余り人に踏みならされておらず
落ち葉に隠された寂しい登りで、正に世捨て人の仙人の世界に入っていく風情です。

(出典:芝村文治「京滋百山三角点を行く(下)」p。25及び「宇治の道・旅人と歩く」p。88)

<現在のうぢやま>

  喜撰山周辺の地形を見回してみますと、西方の明星山麓に三室戸寺があり、南西に平等院や
宇治橋があり、北側はよく揃った高さの山並みが続いていて醍醐寺の裏山に至ります。
  
志津川村の墓地から見た喜撰山
 この地域は灌漑治水施設の面では幾つかの畿内でも特徴のある地域で、喜撰山の頂上には喜撰山
ダムが人口湖を作っており、貯水は地中配管で宇治川に繋がっていて、揚水発電所が設置されています。

天ヶ瀬ダムの堰堤と発電所と宇治発電所放水路
 そこから少し下流に下った所には天ヶ瀬ダムがあり、宇治川から淀川への水の調整をしています。
 さらに喜撰山の下を潜って琵琶湖からの取水は宇治発電所導水路を通って宇治橋上手にある宇治
水力発電所へ水を供給しています。

喜撰山周辺の灌漑治水事業
 このように宇治川と喜撰山地区は琵琶湖からの水を有効に活用する国土開発モデル地区とも云える
所になっているわけです。環境を破壊するのではなく、自然の力を人間生活のレベルやペースに
合わせるための調整をして調和を保たせていると言うべきでしょう。

 今を去る1300年前、人物像が「しかと」しない喜撰法師なる僧侶が庵をもうけて、「しかと
棲んだ」宇治という地は当時の人々の言う「憂きところ」ではなく、人々のためになる「良きところ」
になっています。

 喜撰法師が実在の人物であったとしても、彼の住んだ宇治はその後平安朝では、隠遁者の侘びしい
ところではなく、貴族の別荘地と化してゆき、戦乱の世を経て、現在にいたり、国土開発モデル地区と
でも云える「憂き山」より「良き地域」に変わってきました。
 合わせて、宇治川沿いには東海道自然歩道も制定されているます。
<琵琶湖の水管理>
 昔の京の人々には琵琶湖の水がそれほど重要な意味を持っていなかたったわけですが、現在では
宇治の地形を活用することによって、生活には欠かせない大切なものになってしまいました。
 琵琶湖の水が多いか少ないかが宇治川沿いあるいはその下流域の人々の生活に大きな影響を与えて
いるのです。喜撰法師が「しかぞすめり」と言えた時世はむしろうらやましいほどです。

宇治橋上より喜撰山方面を望む。上流の橘島に架かる朝霧橋と宇治川の清流
 水の恵みを施す宇治川は、淡海としての琵琶湖と共に古くから日本歴史の中に重要な役割をして
きましたが、これから後の世に於いても変わることなく、畿内の人々の生活に影響を及ぼしていく
ことでしょう。人の生活が水と切っても切れない関係がある限り。
    <平成の宇治橋周辺> 
 宇治橋は推古十二年(604)秦河勝が架橋して以来、何度架け替え工事がなされた事でしょう。
 流出防止の供養として西大寺の叡尊が建立した十三重之塔が塔の島に建っています。

 平成9年には現在の橋幅が3〜4倍に拡大した現代的な鋼製橋に模様替えされ、JR宇治駅から
京阪電車宇治駅への大動脈となったわけです。
 宇治川中州には橘島と塔之島がありますが、橘島には宇治川先陣(1184・寿永三年)碑が、
塔之島と宇治川左岸には喜撰橋が架かっています。喜撰山に対応した喜撰橋で宇治は喜撰とは斯くも
縁りの深いものなのでしょう。

 宇治川中州と右岸は朝霧橋で結ばれており、橋のたもとには源氏物語宇治十帖に因んだ薫大将と
浮舟の記念像が置かれ、河川敷の環境整備が意欲的に進められているようです。

(薫)「宇治橋の永きを契りは朽ちせじを危ぶむ方に心騒ぐな」
(浮舟)「絶え間のみ世には危うき宇治橋を朽ちせぬものと猶頼めとや」
(匂)「年経とも変わらぬものか橘の小島の崎にちぎる心は」
(浮舟)「橘の小島の色は変らじをこの浮き舟ぞ行方知られぬ」
                    (源氏物語「浮舟」より)
平成14年3月27日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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