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家隆卿の私家集である「壬二集(玉吟集)」3200首から、彼の歌枕世界を想像しうるところを抜粋してみたいと 思います。家隆卿名所100撰とも言うべき「順徳院名所百首」、および「寄名所」や「最勝四天王院御障子和歌」の 部分に各地の歌枕が詠み出されています。一覧表にしてみますと、次のようになります。
| 国別 | 歌枕 | 寄名所 | 順徳院 名所百首 | 最勝四天王院 御障子和歌 |
|---|---|---|---|---|
| 陸奥 | 阿武隈川 | あぶくま河(653) | あぶくま川(750) | あぶくま川(1882) |
| 陸奥 | 塩竈浦 | * | しほがまのうら(711) | 塩がまのうら(1886) |
| 陸奥 | 信夫山 | * | 忍ぶの山(716) | しのぶの山(716) |
| 陸奥 | 末松山 | * | すゑの松山(720) | * |
| 陸奥 | 安達ヶ原 | * | 阿達の原(758) | あだち(1883) |
| 陸奥 | 安積沼 | * | あさかのぬま | あさかの沼(1885) |
| 陸奥 | 松島 | * | まつ島(775) | * |
| 陸奥 | 緒断橋 | * | をだえの橋(776) | * |
| 陸奥 | 名取河 | * | 名とり川(780) | * |
| 陸奥 | 白河関 | * | しら河の関(747) | しら川の関(1881) |
| 陸奥 | 宮城野 | * | 宮ぎの(735) | みや木の(1884) |
| 陸奥 | 袖浦 | * | 袖の浦(765) | * |
| 上野 | 佐野船橋 | * | さののばし(773) | * |
| 上野 | 伊香保 | * | いかほのぬま(725) | * |
| 常陸 | 筑波山 | つくば山(655) | つくば山(764) | * |
| 常陸 | 霞浦 | * | 霞の浦(762) | * |
| 武蔵 | 武蔵野 | * | 武蔵野(744) | むさしの(1880) |
| 武蔵 | 多摩川 | * | たま河(792) | * |
| 武蔵 | 三芳野 | * | * | 三芳野(1842) |
| 信濃 | 菅の荒野 | すがのあら野(654) | * | * |
| 信濃 | 更科 | 更科の里(659) | 更科の里(746) | 更科(1877) |
| 駿河 | 宇津山 | * | うつの山(712) | 宇津の山(1876) |
| 駿河 | 田子の浦 | * | 田籠浦 | * |
| 駿河 | 清見関 | * | 清見かた(743) | きよ見がた(1879) |
| 駿河 | 富士の嶺 | ふじの嶺(663) | 富士(783) | ふじのね(1879) |
| 駿河 | 浮島 | * | うきしまが原(757) | * |
| 駿河 | 小夜の中山 | * | さやの中山(794) | * |
| 遠江 | 浜名橋 | * | はまなの橋(770) | はまなのはし(1875) |
| 三河 | しかすがの渡り | * | 志賀須加渡り(769) | * |
| 三河 | 鳴海浦 | * | なるみ(778) | 鳴海がた(1874) |
| 尾張 | 阿波手杜 | * | あはでのもり(768) | * |
| 伊勢 | 伊勢海 | * | い勢のうみ(708) | * |
| 伊勢 | 御裳濯河 | * | みもすそ河(724) | * |
| 伊勢 | 大淀浦 | * | おほよど(718) | 大淀のうら(1873) |
| 伊勢 | 生浦 | * | をふの浦(793) | * |
| 伊勢 | 鈴鹿河 | * | 鈴鹿河(782) | 鈴鹿山(1871) |
| 伊勢 | 二見浦 | * | ふたみがた(779) | 二見の浦(1872) |
| 若狭 | のちせの山 | のちせの山(665) | * | * |
| 若狭 | 還山 | * | かへる山(784) | * |
| 若狭 | 有乳山 | * | あらちやま(756) | * |
| 近江 | 逢坂 | 相坂山(668) | あふ坂の関(701)、 あふさかの関(799) | あふ坂山(1869) |
| 近江 | 志賀 | しがの夕暮(674) | * | しがのうら(1870) 比良の山(1870) |
| 近江 | 伊吹山 | * | 伊吹山(745) | * |
| 近江 | 鏡山 | * | 鏡の山(760) | * |
| 近江 | 守山 | * | もる山(772) | |
| 近江 | 水茎の岡 | * | 水茎のをか(734) | * |
| 京 | 大井川 | * | おほ井河(721) | 大井川(1864) さがのやま(1864) |
| 京 | 小倉山 | * | をぐらの山(736) | * |
| 京 | 常盤山 | * | ときはの森(738) | * |
| 京 | 清滝河 | * | 清滝(751) | * |
| 京 | 小塩山 | * | をしほの山(752) | をしほ山(1868) |
| 京 | 鳥羽 | * | 鳥羽田(787) | とは(1865) |
| 京 | 小野 | をのの浅茅生(656) | * | * |
| 京 | 嵯峨野 | * | さがの(795) | * |
| 山城 | 井手 | ゐでのしがらみ(669) | * | * |
| 山城 | 三室山 | みむろ(672) | 三室(739) | * |
| 山城 | 宇治 | 宇治の河(675) | うぢの河(737) | 八十宇治川(1863) |
| 山城 | 音羽 | * | 音羽河(701) | * |
| 山城 | 美豆御牧 | * | 水のみまき(729) | * |
| 山城 | 泉河 | * | * | 泉河(1867) |
| 大和 | 初瀬山 | はつせの山(651) | 泊瀬山(731) | はつせ山(1845) |
| 大和 | 高間山 | 高間の山(652)、 かつらき(652) | * | * |
| 大和 | 伏見の里 | ふしみのさと(658) | ふしみの里(761) | ふしみ(1866) |
| 大和 | 檜隈河 | ひのくま河(667) | * | * |
| 大和 | 吉野 | * | 芳野河(781) | * |
| 大和 | 春日野 | * | かすがの(703) | 春日の(1841) |
| 大和 | 三輪山 | * | みわの山(705) | 三輪のひばら(1843) |
| 大和 | 葛木山 | * | かづらき山(706) | * |
| 大和 | 手向山 | * | 手向山(707) | * |
| 大和 | 香具山 | * | あまのかぐ山(726) | * |
| 大和 | 竜田山 | * | 竜田山(732) | 立田山(1844) |
| 大和 | 高円野 | * | たかまど(740) | * |
| 大和 | 辰市 | * | たつの市(788) | * |
| 大和 | 石瀬 | * | 石瀬の杜(763) | * |
| 大和 | 益田池 | * | ますだの池(766) | * |
| 大和 | 飛鳥河 | * | あすか河(786) | * |
| 摂津 | 依網の原 | よさみの原(662) | * | * |
| 摂津 | 御津の浜 | 御津の浜松(671) | みつの浜松(800) | なにはづ(1846) みつのうら(1846) |
| 摂津 | 三島江 | * | みしまえ(710) | * |
| 摂津 | 芦屋 | * | 葦屋の里(713) | あしのや(1848) |
| 摂津 | 水無瀬河 | * | 水無瀬河(717) | みなせ川(1854) |
| 摂津 | 猪名野 | * | ゐなのささ原(723) | * |
| 摂津 | 難波江 | * | 難波江(728) | * |
| 摂津 | 須磨浦 | * | 須磨の浦(733) | すまのうら浪(1855) |
| 摂津 | 生田池 | * | 生田池(742) | 生田の杜(1850) |
| 摂津 | 住吉浦 | * | すみよし(753) | すみよし(1847) 淡路島(1847) |
| 摂津 | 田蓑 | * | 田蓑の島(755) | * |
| 摂津 | 布引の滝 | * | 布引きのたき(790) | 布引きの滝(1849) |
| 摂津 | 長柄橋 | * | ながらの橋(791) | * |
| 摂津 | 野中の清水 | * | * | 野中の清水(1861) |
| 摂津 | 高師浜 | * | 高師の浜(767) | * |
| 河内 | 生駒山 | * | 伊駒山(741) | * |
| 河内 | 交野 | * | かたの(754) | かたの(1853) |
| 和泉 | 信田社 | * | しのだの森(722) | * |
| 和泉 | 吹飯浦 | * | ふけひのうら(789) | |
| 紀伊 | あべのしま | あべのしま(666) | * | * |
| 紀伊 | 吹上浜 | * | 吹上の浜(714) | 吹上げの浜(1852) |
| 紀伊 | 由良三崎 | * | ゆらの三崎(715) | * |
| 紀伊 | 磯間浦 | * | 磯まのうら(771) | * |
| 紀伊 | 三熊野浦 | * | みくまのの浦(777) | * |
| 紀伊 | 角太河 | * | 角太河(796)、 まつちの山(796) | * |
| 紀伊 | 和歌浦 | * | わかのうら(798) | わかのうら(1851) |
| 紀伊 | かたみの浦 | かたみの浦(670) | * | * |
| 淡路 | 野島 | * | 野島崎(748) | * |
| 播磨 | 高砂 | * | 高砂の松(703) | 高砂(1860) |
| 播磨 | 明石 | * | 明石潟749) | 明石がた(1856) |
| 播磨 | 飾磨 | * | しかまの市(796) | しかまの市(1857) |
| 丹後 | 大江山 | * | 大江山(727) | * |
| 丹後 | 天橋立 | * | あまの橋立(785) | 海橋立(1862) |
| 因幡 | 因幡山 | * | いなばの嶺(759) | いなばの山(1859) |
| 筑前 | 玉島 | * | 玉しま(702) | * |
| 筑前 | 企救 | きくの浜松(657) | * | * |
| 筑前 | 思ひ川 | おもひ川(660) | * | * |
| 肥前 | 松浦山 | * | 松浦山(730) | 松浦のうら(1858) |
| 壱岐 | 壱岐島 | ゆきしま(673) | * | * |
| * | 涙川 | 涙かは(661) | * | * |
家隆卿歌枕集は全国に行き渡っています。鎌倉初期に著名な歌人が抱いていた「歌枕世界」とは、どのような ものかが、大凡分かるような気がします。また「歌枕百撰」とは、このような各所であったかも知ることが出来ます。 「壬二歌枕世界」の特徴として次の数点が挙げられましょう。 (1)歌枕集とも言うべく、その世界は陸奥から、壱岐まで、全国に行き渡っています。しかしながら、東日本の 歌枕の方がより多く挙げられています。その件数と割合は、次の通り。 畿内49件(43%)、近畿17件(15%)、西国12件(10%) 中部18件(16%)、関八州7件(6%)、陸奥12件(10%) (2)名所が多く挙げられているところは、陸奥、京・山城、大和、摂津です。京の周辺、山城、大和の歌枕が 多いのは当然でしょうが、特に摂津が多いことは、家隆卿の終焉の地でもあることも関係しているかも知れません。 平素から、摂津には大いに関心があったことになるのでしょう。摂津国内の名所は三島江から須磨まで、 万遍なく抽出されています。 (3)「名所百首」以外に「寄名所」「御障子和歌」三集ともに採りあげている歌枕は次の八地点です。 阿武隈川、更科、富士、逢坂、宇治、初瀬、伏見、および関心の高い摂津国からは、御津を挙げています。 (4)特色のある歌枕としては、陸奥(緒断橋、袖浦)、武蔵(三芳野)、信濃(菅の荒野)、駿河(浮島)、 三河(しかすがの渡り)、尾張(阿波手杜)、伊勢(生浦)、近江(水茎の岡)、大和(辰市)、紀伊(あべの島) 筑前(思ひ川)などが挙げられましょう。 尾張の歌枕・阿波手杜については、参考メモ「阿波手杜と漬け物の神様」を参照願います。目次に戻る
家隆卿の私家集「壬二集」に展開する和歌世界は全国に行き渡っていますが、その中で、北の地の白河関に 於ける歌碑と彼の終焉の地摂津国における歌碑を尋ねてみましょう。 (その1)白河関の歌碑代りの「従二位杉」 藤原家隆の歌人として主たる活躍の舞台は都を中心とした地域で,すなわち晩年を過ごした難波の地など でしょうが、実際に足を踏み入れたか否かは別にして伝承されている彼の関係する最北端地は福島県の白河関で あるようです。



JR東北新幹線新白河駅より南西方向、栃木県との県境に向かう途中の山間地が嘗ての白河の関跡と されています。現在白河関は国指定史蹟として白河神社が祭祀され、白河市が管理しています。指定地域内には 江戸中期白河藩主松平定信公による「古関蹟」碑が建てられ、かってこの関に関係した人物として、能因法師、 平兼盛、梶原景時らの歌碑を建てています。これらの歌碑については、能因法師の歌枕に言及しております。 伝承の遺物としては、源義家前九年の役時の「幌掛け楓」や源義経の平家追討時の「旗立ての桜」の傍らに 「従二位の杉」という藤が絡みついた大木があり、樹齢800年、幹廻り5mの大樹です。江戸後期松平定信公が 文化二年(1805)編纂を命じた「白河風土記」には、 「囲リ一丈三尺ト相傳フ従二位家隆卿住吉明神ニ奉ルトテ昔植玉ヒシ杉ナリト伝フ」 と記されています。 家隆略年表を見ますと、建久九年(1198)上総介に叙されていますが、常陸や下野より以北の東山道・陸奥に 赴任したことはないのでは、と思われます。訪れているとすれば、白河関が置かれて既に400年以上後のことで、 八幡太郎義家が清原氏を後三年の役で討伐してからでも100年以上経っているわけです。彼の時代の先代として 律令体制下の旧跡を訪れたとして、どのような感慨を抱き、どのような歌を残したのでしょうか。あるいは、杉が残って いるところからみますと、和歌で後世へのしるしを残すより、杉の木で何かを語らんとしたのでしょうか。
![]() 従二位の杉 |
「雲のいろは まだしら川の関の戸に 明けぼのしるき うぐひすの声」 夫木和歌集 巻第二 建仁元年影供歌合 「しらかはの せきのしろ地に からにしき 月にふきしく 夜半のこがらし」 壬二集(玉吟集)747番歌 ![]() 白河関蹟の案内板 |
(その2)津の国の昆陽の里に建つ歌碑 摂津国(伊丹市)の昆陽池周辺には多くの歌碑が建立されています。その中にある家隆卿の歌は、 「たちかへり みちあるみのよに あはむとや をなしこやのの まつむしのこゑ」 (壬二集より) 摂津国昆陽池は、家隆卿の関心高かった国柄であり、一度は実地に出向いている可能性があります。この付近の 西国街道を通った歌人としては、一昔前の能因法師や藤原基俊、同時代では、藤原定家卿が有馬温泉への 道すがら、立ち寄っている可能性大です。都を出て、摂津国もこの付近になりますと、異郷の雰囲気を感じるように なったのではないでしょうか。

家隆卿八十年の生涯(保元三年・1158〜嘉禎三年・1237)において歌人としての活動振りを追ってみましょう。 彼の和歌の才能は如何なる血筋から来るものでしょうか。血統を追いますと、藤原兼輔の末裔にあたり、かつ紫式部の 祖父雅正の八代の孫になります。人生の出だしが寂蓮(藤原定長、幼少時藤原俊成の養子となった歌人)の聟(むこ) となり、親子揃って俊成の門下に入ったという、歌人としては恵まれた環境と言えましょう。子供の隆祐や土御門院 小宰相も著名な歌人であったことを考えますと、家隆卿の血には歌人の遺伝子が流れていると思わざるを得ません。 公的な花壇活動は二十代後半文治年間の「二見浦百首」「殷富門院大輔百首」「閑居百首」などから始まり、 勅撰和歌集には千載集4首を初出として、新古今集には43首、新勅撰集43首、続古今集41首、と多くの歌が 採歌されていて、全勅撰和歌集には282首も入集しています。 家隆歌風は三年代に分けられるとされます。まず、30歳頃までの習作期における古風の歌を読んだ時期で、成果は 千載和歌集への入集です。 次に、50代半ばまでの20年間に於いては、「六百番歌合」などの新風の歌を詠み出した時期で、成果は新古今 和歌集に集約されています。「六百番歌合」は中世に於ける代表的な且つ大規模な歌合で、当時の歌壇における 著名歌人連の読み上げた六百番・1200首の題は、春十五題、夏十題、秋十五題、冬十題、恋五十題で、 膨大な歌の集大成ということになります。 十二世紀末鎌倉幕府が成立した頃、九條家の権大納言兼左大將藤原良経が当代の著名歌人「御子左家」 「六条藤家」から12名を集め、判者に藤原俊成を起用して、大々的な歌合わせを催しました。参加歌人は次の通り、 錚々たるメンバーになっています。 「六百番歌合」詠進歌人一覧表 判者 藤原俊成(1114〜1204)79歳(御子左家) 左方 右方 藤原良経(1169〜1206)24歳(藤原北家・主宰者) 藤原家房(1167〜1196)26歳(藤原北家) 藤原季経(1131〜1221)62歳(六条藤家) 藤原経家(1149〜106)44歳(六条藤家) 藤原兼宗(1163〜1242)30歳(藤原北家師実流) 藤原隆信(1142〜1205)51歳(御子左家) 藤原有家(1155〜1216)38歳(六条藤家) 藤原家隆(1158〜1237)35歳(御子左家) 藤原定家(1162〜1241)31歳(御子左家) 慈円(1155〜1225)38歳(藤原北家) 藤原顕昭(1130?〜1209?)63歳(六条藤家) 寂蓮(1139?〜1202?)54歳(御子左家) さらに最晩年までの20数年間における「高風の歌」(長高体の歌、あるいは高寂風の歌)という「人生や生活に即した 抒情的歌風」を示した時代で、成果は新勅撰和歌集以降の勅撰和歌集に多く採歌されていることからもわかります。 特に歌人としての華やかな時代は、40〜50歳代の後鳥羽院歌壇での活躍であり、和歌所の寄人としての新古今 和歌集の編纂活動でしょう。後年の「高風歌時代」でも、承久の変で隠岐島に流された後鳥羽院とも連絡を絶たず 引き続き、「家隆後鳥羽院撰歌合」(嘉禄二年・1226)、「遠島歌合」(嘉禎二年・1236)にも深く関わっています。 このあたりは、新古今集仲間の藤原定家卿とは別の道を歩みました。 したがって定家卿とやや違って後鳥羽院の覚え目出度く、「秀歌ども詠み集めたる多さ、誰にもすぐ勝りたり。たけも あり、心もめづらしく見ゆ」(後鳥羽御口伝)とお褒めに与っています。 生涯に詠んだ歌は「詠歌六万首」(井蛙抄)とも言われます。家集「壬二集」(壬生二品集、玉吟集とも)では、 伝本によって約2700首(六歌集本系)、約2800首(古本系)とされますが、広本系(「新編国歌大観」)では、 3201首が採歌されています。 (注)新編国歌大観「壬二集(玉吟集)」巻上 1141首 巻中 964首 巻下 1098首 計 3201首 特徴としては、「初心百首」に始まる百首詠歌のまとまりが多いことでしょう。 歌人としての活動の伝承はいろいろの関係資料に言及されています。 「後鳥羽院御口伝」、「古今著聞集」(巻五、巻十三など)、「増鏡」、「今物語」、「十訓抄」、「井蛙抄」、 「さざめごと」、「兼載雑談」、「正綴物語」など。 ここでは、「古今著聞集」から歌人評を引用しておきます。 「かの卿(家隆)、非重代の身なれども、よみくち、世のおぼえ人にすぐれて、新古今の撰者に加わり、重代の 達者定家卿につがひてその名をのこせる、いみじきことなり。まことにや、後鳥羽院はじめて歌の道御沙汰あり ける比、後京極殿(藤原良経)に申し合わせまゐらせられける時、かの殿奏せさせ給ひけるは、「家隆は末代の 人丸にて候ふなり。彼が歌をまなばせ給ふべし」と申させ給ひける」目次に戻る
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