敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 223 回  *** 第46番・その2 ***
*****  曽祢好忠ー革新的和歌職人  *****

目    次
<好忠集の構成> <わが名をたつべし> <好忠の歌人仲間> <好忠の異色作品集>

百人一首・第46番 由良のとを渡る舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋の道かな



























百人一首歌かるた・曽祢好忠画像
(出典:「日本の心ー百人一首」別冊太陽(平凡社)1972年12月
「百人一首」(学習研究社)昭和60年12月
(左)光琳かるた(取り札)(右)光琳かるた

<好忠集の構成>

 好忠集の構成を概略眺めてみたいと思います。
 この私家集ほど整然としていて明快で、歌人自身が何を求めて自分の歌編集をしたのかはっきり
している歌集はないのではないかと思います。収録されている587首の歌の構成は次の一覧表の通りです。

********************************************
分類季節区分月と旬区分歌数
毎月集
(注1)
春の序 長歌 1首(41句)
自己紹介(親の付けてし 名にし負はば 名を好忠と
 人も見るがに)
短歌 1首
計 2首
春のはじめ 正月中 正月をはり
中のはる、二月のはじめ 二月中 二月をはり
くれの春、三月上 三月中 三月をはり
各10首・計30首
各10首・計30首
各10首・計30首
夏の序長歌 1首(41句)
自己紹介(名を好忠と 名付けつつ)
短歌 1首
計 2首
四月はじめ 四月中 四月をはり
夏中、五月はじめ 五月中 五月はて
六月はじめ 六月中 六月をはり
各10首・計30首
各10首・計30首
各10首・計30首
秋の序長歌 1首(25句)
歌集目的宣言(いのちはきえぬとも ゆく水の
 たえぬことのはを ながれての秋の かたみとも見よ)
短歌 1首
計 2首
初めの秋 七月 七月中 七月をはり
八月上 八月中 八月をはり
九月上 九月中 九月をはり
各10首・計30首
各10首・計30首
各10首・計30首
冬の序長歌 1首(23句)
歌集の内容(とはずがたりを あつめたるなり)
短歌 1首
計 2首
はじめの冬 十月 十月中 十月をはり
中の冬 十一月 十一月中 十一月をはり
くれの冬 十二月はじめ 十二月中 十二月をはり
各10首・計30首
各10首・計30首
各10首・計30首
各10首・計30首
百首歌
(第一集)
(好忠)
四季別 春(11首)(注4)夏 秋 冬各10首・計41首
恋歌(古今集などに習った部立)計10首
沓冠歌冠歌(浅香山の歌)(注2)沓歌(難波津の歌)(注3) 計31首
物名歌十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)計10首
めぐり一日 一夜2首
物名歌方角(ひんがし、たつみ、みなみ、ひつじさる、など)計8首
重ね歌尻取り歌こひしさを なぐさめかねて ・・・ わがむものかは・・・計14首
百首歌
(第二集)
(順)
四季別春 夏 秋 冬 各10首・計40首
恋歌(好忠の百首歌の部立に合わせている)
計10首
沓冠歌冠歌(浅香山の歌)沓歌(難波津の歌)
(しかも春5首、夏5首、秋5首、冬5首を順に並べている)
計31首
物名歌十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)計10首
めぐり一日 一夜2首
物名歌方角(ひんがし、たつみ、みなみ、ひつじさる、など)計8首
その他このほかのよしただがうたことばあり
ものがたりつくるところにてよめる
計 2首
 (注1)「毎月集」とは、一月の初旬、中旬、下旬ごとに、その月の序歌として長歌、短歌
          各1首、計2首と歌10首計32首、を詠み挙げているもので、
          一月10首x三旬で、30首と2首、十二ヶ月で368首となります。

 (注2)「浅香山の歌」とは、万葉集巻16にあり、古今集の仮名序に「和歌の父母」として
          引用されている次の歌です。
         「安積山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは」
          詳細は、後述の「好忠の歌枕」を参照願います。 
 
 (注3)「難波津の歌」とは、古今集の仮名序に「和歌の父母」の対歌として引用されている
          次の歌で、日本に漢字をもたらしたかの王仁の作と考えられているものです。
         「なにはづに咲くやこの花冬籠もり今を春べと咲くやこの花」
          詳細は、後述の「好忠の歌枕」を参照願います。

 (注4)本来「はる」部も10首であったと思われますが、「新編国歌大観」(角川書店・
     昭和60年)には、11首となっていて、他の参考資料(岩波・日本古典文学大系)では、
     10首です。次の歌の有無に関係しています。
    「しらましやあけにけりとも春のよにねやのつまどに朝日ささずは」(373番歌)

 ここに収録された「毎月集」の360首(1番〜368番)および一歌集群百首という定数歌の
考えもこの好忠と源順の歌集贈答を嚆矢とするようです。
 「毎月集」は天禄二年から三年頃(971〜972)に発表されたと考えられています。また、
好忠の百首歌(369番〜470番の実数101首)は、天徳末年(959〜960)頃完成した
もので、好忠は「としのみそじにあまるまで」すなわち30歳前半の時期であったろうとされます。

 360首の「毎月集」も詠みの対象を色々な観点から見て行きますと、様々な工夫が仕込まれて
いることがわかります。現代版に置き換えますと、「日捲り格言暦」のようなものでしょうか。
毎月集も言い換えますと、「一日一首」暦となります。さらに進めば、毎日の出来事を歌に詠んでいく
「365日集」という和歌集に発展していくことも考えられます。

 好忠の企画した工夫している一例として、四季毎の「季語」の初句詠込みを見ますと、各季節ごと
確実に3首以上詠い込んでいます。

 *************   春夏秋冬の初句歌   ****************

 春 「春 毎にさはべにおふるせりの葉をとしとともにぞわれはつみつる」(27番歌)
   「春 山にきこるきこりのこしにさすよきつつきれやはなのあたりは」(52番歌)
   「春 雨のふるのみやまのはなみるとみかさのやまをさしてのみこそ」(59番歌)
   「春 ふかくなりにけりとはすみよしのきしのしらなみおるときぞしる」(91番歌)
    (詠込み)「はるばると浦々けぶりたちわたりあまのひよりにもしほやくかも」(55番歌) 

 夏 「夏の日 はそらさへながくなればにやあまてるかげのすぎがてにする」(98番歌)
   「夏の日 のすがのねよりもながきをぞころもぬぎかけくらしくらしわびぬる」(124番歌)
   「夏の日 の水のおもかくすはちすばにただよふ露の身をいかにせん」(177番歌)
    (詠込み)「なつかしくてにはをらねど山がつの垣根のむばら花さきにけり」(121番歌)

   その他の初句に「なつ」の歌は、「夏衣」(110番歌)、「夏の夜の」(112番歌)
   「夏朝の」(114番歌)、「夏衣」(115番歌)、「夏はぎの」(161番歌)、
   「夏かはの」(173番歌)、「夏ばかり」(182番歌)
     夏の歌が多く、また活き活きしているのも好忠集の特徴ではないでしょうか。古今和歌世界では、
      どうしても春の花、秋の紅葉が主体の和歌が集中しているのですが、好忠の歌の世界は「夏」が
      相応しいようです。

 秋 「秋風の よもにふきくるおとはやまなにのくさきかのどけかるべき」(208番歌)
   「秋風の 草ばをわけてふきくれどのべにはあともとまらざりけり」(211番歌)
   「秋風は まだきなふきそわがやどのあばらかくせるくものいがきを」(239番歌)
   「秋風の ふくさごろもをとりみだりさほすほどにぞさむきめはみる」(250番歌)
    (詠込み)「あきはててわがせなぎみがたえしよりねやのよどこをとりぞたててし」(276番歌)

   その他の初句に「あき」の歌は、「秋をへて」(193番歌)、「秋の野の」(205番歌)
   
 冬 「冬 はきて草葉をからしはててけりみかりのこもをみるかひもなく」(317番歌)
   「冬 草のかれにしひとのいまさらにゆきふみわけて見えんものかは」(320番歌)
   「冬 こもりきぬぎぬやまをみわたせばはるるよもなくゆきはふりつつ」(346番歌)
   「冬 山のすみやきごろもなれぬとて人をばひとのたのむものかは」(351番歌)

**********************************************

 100首といい、360首といい、定数の歌の集団にある意味を持たせようと企画した点に大変興味
がそそられます。好忠と同じ様な「専門和歌職人気質」を持ち合わせていたと思われる源順は、好忠
からの挑戦的な百首歌の企画内容を見せつけられて、多いに作歌意欲を掻き立てられたことでしょう。
 どちらも大変な歌人魂を持った「革新的専門和歌職人」とでもいうべきでしょう。

 好忠や順らが行った和歌世界に於ける時代を画するような革新的活動の根元的エネルギーは、
何処から出てきたのでしょうか。それは、好忠があからさまに私家集中のあちらこちらに何度も
言い方を変えて詠み残している物理的な不遇の状態(官吏世界で出世できない・・・生涯位階は
六位止まりで、丹後掾に明け暮れたこと、したがって経済的にも恵まれない)からくる精神的な
不安定な状態によるものでしょう。

 文学の誕生する土壌とは現代でもそうですが、好忠の時代でも当然同じであったでしょう。
 すなわち、文学を発信するものは、もともと物質的、精神的な、その他何らかの個人的な緊張
環境に身を置かないと人に感動を与えるような文学にはならないとされます。
 生れながらに恵まれた藤原摂関家に育った人物が、和歌の世界で後世に影響を与えるような
画期的な作品を生み出せていないことからも解ります。
 せいぜい好忠のお隣さん(百人一首第45番歌人で、謙徳公なる一条摂政・藤原伊尹の手になる
「大蔵史生倉橋豊蔭」の和歌世界程度のものです。

 好忠らのお陰で、その後の和歌世界の人々は、これを元にさらに定数歌を発展させました。
 好忠の周辺の和歌仲間では、百人一首第47番歌人恵慶法師第48番歌人源重之が、やはり
百首歌を画期的な和歌企画として展開していますし、続く上流社会の和歌世界も「堀河院百首」
「崇徳院二度百首(久安百首)」「後鳥羽院正治初度百首」など、さらに大凡250年後に
藤原定家が「百人一首」を出し、続いてそれに拍車を掛けられた後世の歌人は各種各様の「定数歌」を
発表して行くことになります。
 こういった「定数歌」世界を切り開いて後世に示したという点で、好忠や順らは和歌世界の
画期的な出来事の仕掛け人であったといわねばならないでしょう。
 詳細な学問的和歌論研究は、色々展開されています。
 (一例:藤岡忠美「平安和歌史論ー三代集時代の基調ー」桜楓社(昭和41年))
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<わが名たつべし>

 曽祢好忠は私家集「好忠集」において、自分の名前を和歌世界を通して後世に残したい、
つまり「わが名たつべし」の思いが「毎月集」季節毎序歌の中に、さらには百首歌の序文に
執拗なまでに詠い込まれていますが、抜粋しますと次の通りです。
                    (参考資料:前出・藤岡忠美「平安和歌史論」)
 「毎月集」では、
 春 「・・・親のつけてし 名にし負はば 名をよしただと 人も見るがに」
 夏 「・・・憂き身ひとつの つねなきを 名をよしただと なづけつつ・・・」
 秋 「・・・なみにくづるとも わが名はつきじ ・・・」
 冬 「・・・とはずかたりを あつめたる ・・・ゆくすゑの世の人にかたらん」
 「百首歌」では、
   「・・・名をよしただとつけてけれど、いづこぞわが身、人とひとしきぞや」

 さて、ここまで「不朽の名前」に拘るのであれば、執筆者なりに好忠に協力いたしましょう。
 好忠は好忠集中で沓冠歌として、冠に「浅香山の歌」を、沓に「難波津の歌」を見事に創出
しました。そこで、「毎月集」と「百首歌」から特選して、二集の「そねのよしただ」冠歌を
提供しましょう。好忠を二冠王にしたて、足に沓を履かせるには及びません。

 ************* 「そねのよしただ」冠歌集 ****************

 第一「そねのよしただ」冠歌
 「そ」「そまがはのいかだのとこのうきまくらなつはすずしきふしどなりけり」(132番歌)
 「ね」「ねやのうへにすずめのこゑぞすだくなる出でたちがたに子やなりぬらん」(73番歌)
 「の」「のぼり舟こち吹く風をすぐすとてよをうしまどになげきてぞふる」(47番歌)
 「よ」「よさのうみにおいの浪かずかぞへくるあまのしわざと人も見るがに」(2番歌)
 「し」「しづのめのあさけのころもめをあらみはげしきふゆはかぜもさわらず」(318番歌)
 「た」「たゆるよもあらじとぞおもふ春をへてかぜにかたよるあをやぎのいと」(53番歌)
 「だ」「たごのうらにきつつなれけんをとめごがあまのはごろもさほすらんやぞ」(194番歌)
 
 第二「そねのよしただ」冠歌
 「そ」「そのかみにいはほにたねをまけりせばあきのたのみをよそにみましや」(206番歌)
 「ね」「ねたるまも露やおきつつしほるらんひたうちはへてまもるやまだを」(220番歌)
 「の」「のがひせしをざさがはらもかれにけりいまはわがこま何になつけん」(282番歌)
 「よ」「よさのうみのうちとのはらにうらさびてうきよをわたるあまのはしだて」(475番歌)
 「し」「しみこほるきのねをとことならしつつおこなふひとぞほとけともなる」(344番歌)
 「た」「たちながらはなみくらすもおなじことをりてかへらんのべのさわらび」(378番歌)
 「だ」「たがぬけるたまにかあるらんあきののの草ばをよきずおけるしら露」(200番歌)

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<好忠の歌仲間>

 曽祢好忠は延長年間(923〜931)に生まれ、天徳四年(960)頃、前述の和歌世界での
新形式「百首歌」を提示し、さらにその10年後、これも新形式「毎月集」を創設して、古今集以来の
平安朝和歌世界の歌人達に新風を吹き込みました。
 拾遺集を初出とし、詞華集では最多入集歌人の一人となり、勅撰和歌集に全部で90首余りの
入集を果たしている10世紀後半における中古三十六歌仙のひとりです。
 彼の人生はこの私家集や歌人仲間の私家集からの情報を中心にして関係した人物情報として
引き出すしかありません。私家集の中では、源順が最も目立った歌人相手であり、友人であった
ようです。

 好忠集は構成がはっきりしているために、他の私家集や勅撰和歌集に見られるような各歌にある
詞書は附されておりません。したがって、かえって私家集としての歌人の個人情報は少なくなり、
和歌そのものを読み取って、歌人の動向を確認する必要があります。詞書からその歌のあるいは
その歌人の人生を追いかけることが出来た他の歌人と異なり、ある意味で、情報が限定されている
ことになります。
 したがって、好忠の取り巻きの人々からの情報を頼りに、好忠の人生を推測するほかありません。
ただ、好忠自身が私家集の中では、自己紹介と自己宣伝を意図的に行っている点が他の歌人の
私家集と異なるところでしょう。
 ここでは、「好忠集」中の歌人仲間である「源順」の周辺を当たることによって逆に曽祢好忠なる
歌人の映像を反映してみたいと思います。
     
歌人名曽祢好忠源  順
生没年延長八年頃〜長保五年以降
(930)〜(1003)70台
延喜十一年〜永観元年
(911)〜(983)73歳
父祖関係不詳(物部氏末裔か) 嵯峨天皇係累、源挙(こぞる)息
官職生涯丹後掾、六位で、不遇。
「曽丹後」「曽丹」
従五位上、能登守まで昇進。
皇族の血縁としては不遇。
歌人世界中古三十六歌仙に挙げられ
源順、大中臣能宣、源重之、
恵慶法師、藤原実方、藤原公任、源兼澄等
中古三十六歌仙に挙げられ、
曽祢好忠、梨壺五人(大中臣能宣、清原元輔、紀時文、坂上望城)など。
勅撰和歌集
入集歌数
93首:拾遺(9)後拾遺(9)金葉(6)詞華(17) 新古今(16)
初出の拾遺集(1005年頃)から150年以上経ってから、再評価され始めた。 後世への革新的な影響は大きい。
60首:拾遺(27)後拾遺(3)金葉(1)詞華(1)新古今(3)
自ら編纂に関わった後撰集(950年代か)から50年経った初出の拾遺集(1005年頃)での高い評価に終わる。
私家集好忠集(587首)、毎月集(360首)、百首歌、源順の百首歌
詞書の代わりに区切りになる部分に、序となる長歌とその反歌を立てている。
順集(298首)
漢字の和歌詠み歌、あめつち歌48首、双六歌、物名歌、百首歌、 「世の中を何にたとへん」歌、長歌1首など
いずれの歌にも何らかの詞書あり。
主な和歌活動百首歌の創出。毎月集(一日一首)で官人としての不遇環境を 訴える。多様性に富む自在な詠法で、自然環境を斬新な観点で読み取る。古今和歌世界を飛び出した詠みの対象と内容で、 後世へ影響を及ぼす。不羈奔放な語句の駆使である一方で、万葉調の復活も目指していた。 天暦五年(951)勅撰の宮廷歌人。屏風歌、障子歌を詠進。無常詠嘆歌、各種歌合に詠進。百首歌応答。 技巧を凝らした各種の詠み歌を提示する。
歌合せ三条左大臣藤原頼忠家歌合、斉敏君達謎合、左大臣道家歌合、円融院子日御遊、寛和二年内裏歌合など 源順馬名歌合、天徳四年内裏歌合、規子内親王家前栽歌合など
文化活動今昔物語(巻28第3話)「円融院子の日」の失敗談逸話を残す。 日本初の百科事典的「和名類聚抄」、詩文作法関係の「作文大体」「新撰詩髄脳」など著す。

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<参考メモ・好忠の異色作品集>

 曽祢好忠と源順の二人の略歴は前に見ましたように、ほぼ同時代の歌人で且つ同じ様な専門歌人で
ありながら、存命期間あるいはその後の八代集期間の和歌世界での一般的評価は、拾遺和歌集の
入集歌数に反映されているようにかなり変化しているように思います。すなわち、入集歌数をみますと、
拾遺集では、順27首ー好忠9首で、新古今集では、順3首ー好忠16首と、状況が逆転しています。
順は新古今集以降の二十一代集においては、玉葉集(6首入集)をのぞいて殆ど、各集1〜2首どまり
ですが、好忠の方はやや多く、2〜5首程度万遍なく、撰首されているようです。それだけ好忠の
歌の方が後世の歌人にも斬新な歌詞と和歌世界を提供し続けたことになるのでしょうか。
 好忠独特の異彩を放つ歌詞群を初出の拾遺集(1005〜7年頃の編纂)とそれから約200年後の
新古今集(1210年頃の編纂)から抽出して比較してみましょう。それによってその歌集が
編纂された時代の和歌世界と撰者となった歌人の和歌感性の変遷を見ることになるかも知れません。
   
和歌集名拾遺和歌集新古今和歌集
歌数と部立9(秋2、別1,雑1,恋1,雑秋4) 16(春1,夏2,秋6,冬3、恋3,雑1)
異色の歌語
(人事関係)
「虫ならぬ人も音せぬ我が宿」(1109)
「こりつめて」「さむさをこふる」(1144)
「やや肌寒し秋」(311)
「袖はこほりぬ」(601)
「くるしや我が身」(1070)
特殊な歌語
(動植物関係)
「あばらかくせる蜘蛛のすがき」(1111)
「氷のせきにとじられて」(1145)
「去年の古根の古蓬」「ひこばえ」(77)
「ここら玉ゐし白露」(619)
「葛はひかかる松垣」(1567)
歌枕岩代(結び松)(526番) 音羽山(371番)、佐保の山辺(529番)、
由良の門(1071番)
 勅撰和歌集ではどうしても撰者の和歌世界を脱することが出来ませんから、曽祢好忠の好忠らしさが
十分に吸収されていると言えません。そこで、毎月集から独断と偏見で執筆者が抽出した「好忠和歌の
歌詞世界」を代表すると思われる歌を抜粋してみました。

(その1)「わぎもこ」「わがせこ」「わがせな」版
 「わぎもこが 隙もなく思ふねやなれど夏の昼間は猶ぞ臥し憂き」(168番歌)
 「わぎもこが 汗にそぼつる寝たわ髪夏のひるまはうとしとやみる」(175番歌)
 「わがせなは 妻恋ひすらし遠山田守ると告げて日かずへぬれば」(207番歌)
 「わがせこが われに離れにしゆふべより夜寒なる身の秋ぞかなしき」(221番歌)
 「わが背子が 来まさぬ宵の秋風は来ぬ人よりもうらめしきかな」(233番歌)
 「わぎもこが 板屋の鈴戸かけ避けて絶えぬと見るぞ秋はすべなき」(246番歌)
 「わぎもこが 衣うすれて見えしよりたわれ寝せじと思ひなりにき」(258番歌)
 「わが妻と  さ夜の寝衣重ねきてかたへを近みむつれてぞ寝る」(272番歌)

(その2)肉感的に生々しい夜床版
 「蝉の羽の薄らごろもに なりにしを妹と寝る夜の間遠なるかな」(141番歌)
 「うとまねど だれも汗こき夏 なればま遠に寝とや心隔つる」(166番歌)
 「入り日さしいつしか夏の日も暮れぬ 紐うちとけて 一日寝べきを」(171番歌)
 「妹と我 ねやの風戸にひるねして 日高き夏のかげを過さむ」(178番歌)
 「入り日さし蜩の音を聞くなべに まだきねぶたき 夏の夕暮れ」(181番歌)
 「夜は寒み夜床はうすし故郷の妹がはだへはいまぞ恋しき」(321番歌)
 「さ夜中にせなが来たらば寒くともはだへを近み袖もへだてじ」(329番歌)
 「荒磯に荒波立ちて荒るる夜に妹が寝肌はなつかしきかな」(355番歌)

 ここに挙げた一連の和歌は、どうみても古今和歌集の世界からは、相当離れている、逸脱している、と
見られます。基本的に宮廷和歌世界と受領階層ないしそれ以下の下級官人世界では、どうしても歌の対象が
違ってくるのは、やむを得ぬところですが、言い回しまで、異なっている点に独特の好忠世界が展開している
のです。次回は、前回採り上げた「由良の門」以外の歌枕世界を散策してみます。
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関連随筆シリーズ
「百人一首のー平平点描ー千年の言霊への誘い」
ー第四六話ー舵緒絶えー
併せて御覧願います。

平成17年5月12日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
ご感想はE−mail先へ、ご投函下さい。

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