敷 島 随 想



[連 載] 第 21 回 ***第24番・その4
*****菅家ー庶民の中の菅公・村々の天神さん*****

  太宰府天満宮、北野天満宮あるいは大阪天満宮が公的な勅願による創建
であるのに対して、庶民に慕われて神になった菅公の姿もあるわけです。
  「庶民の中の菅公」さんとして、西府・大宰府へ落ち行く途上菅原道真公
が村々に残していった足跡を京から難波にかけてたどってみましょう。
  ここでは、次の5社をたづねてみましょう。
神社名所在地
長岡天満宮山城京都府長岡京市天神2丁目
上宮天満宮摂津大阪府高槻市天神町1丁目
味舌天満宮摂津大阪府摂津市三島3丁目
松山神社摂津大阪市東淀川区小松4丁目
福島天満宮摂津大阪市福島区福島2丁目
  これら5社のうち菅公が西国落ちの途上立ち寄ったとされる地は、松山
神社と福島天満宮で、いづれの社も旧淀川に沿って右岸に位置しております。
  5社の所在地を淀川沿岸地図で示します。

<長岡天満宮>
  長岡天満宮へのJR京都線最寄駅は「長岡京」駅で、阪急電鉄のそれは、
「長岡天神」です。駅名が示すように後者の方が、長岡天満宮に近いわけで
す。
  JR長岡京駅西口から真っ直ぐ西に天満宮正面に到る大通りが、天神通り
です。長岡天神駅の南側から西山の方向に向かって歩く事約10分で神社前の
南北に細長く伸びている八丈が池にたどり着けます。
  八条が池の由来は、江戸初期(元和9年・1623)境内一帯(現在の
社領2万坪の5倍の広さ)は、八条宮智仁親王の家領となり、寛永年間(16
30年頃)親王は歌仙を奉納し、境内東に池を、周囲に堀を開削した事によります。
    その中央道は中堤と加賀前田家寄進の石橋による参道になっていて、
周囲には樹齢100〜150年の数百本の霧島ツツジが植えられていて、毎年
四月下旬頃多彩な花を咲かせています。
  元々当社地は菅原道真公の采地であったと伝えられています。そのため
かっては在原業平らとともにしばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれて縁りの地
で、太宰府へ旅立ちの時も当地に立ち寄って「我が魂、長らくここにとどまる
べし」と、名残を惜しまれたとのこと。その時腰掛けた石を「見返り岩」とい
い、当神社の別名「見返り天神」の由来になっています。
  菅公が宰府にて無念の涙を呑んだ後、縁者の者(太宰府左遷に同行した臣
下の中小路祐房)が菅公御自作と伝える木造をお祭りしたのが、当宮の始まり
とされています。

  さて、来る再来年平成14年4月には、「菅公御神忌1100年」大万灯
祭を斎行する事が参道脇に、あるいは境内周辺に幟りで予告されています。

  1100年間庶民の間に慕われ続けてきた学問の神様菅公は、したがって
御年1160才となるわけです。
  京の都から太宰府の宰府まで旅路の村々に残していった菅公の精神世界を
村々の人々は天満宮という神域に具現化して後世につないで行くことになるの
でしょう。そうすることがその時々を生き抜いた人々が菅公を身近に感じ、自
分の存在を歴史の流れの中に位置づけし、日本人としての生涯を実感する手だ
てとしていることになるのでしょう。

  先祖を敬い、末裔の幸せを祈るように、民族の大先達を尊敬し、後世に
伝承していくことが何時の余の人々にも求められる道徳でありましょう。

  ーご神前庭園内の石碑に刻まれた菅公御歌ー

  「うみならずたたえる水の底までも清き心は月ぞてらさん」
<上宮天満宮>
  JR京都線高槻駅北側正面が上宮天満宮(うえのみやてんまぐう)への
参道になっています。駅前歩道橋から天満宮の森が手近に望むことが出来ま
す。この参道は毎年2月25日、26日の管公命日の例祭天満宮祭り日には、
屋台店が軒をつらねて、歩行者天国になるところです。

(摂津名所図絵より抜粋)
  旧西国街道を北へ横切って文久2年(1862)据えられた狛犬と寛永年
間(1748〜1751)に構えられた常夜灯、つづいてその奥に新しく
昭和52年に立て替えられた大鳥居をくぐりますと、天満宮参道坂下の天神下
交差点に到ります。その脇にたれられた由緒説明板によりますと、

  「御祭神・菅原道真公、野見宿禰、武日照命。
   菅公没後、90年経ち、正一位追贈の奉告のため、太宰府に赴いた藤原
   為理(ためさと)が帰途当地領主近藤氏の館に立ち寄り、いざ出立の
   時、腰が動かず、里人が霊意を察して、この地に天満宮社を造営しまし
   たが、実際には、それより50年早く、太宰府に継ぐ全国二番目の
   天満宮とされています。
   菅公のかっての神域も近世豊臣秀吉が当地参道天神馬場に陣を張り
   明智光秀を山崎に討ち、戦勝を記念して、社殿を建て、以降江戸時代始
   めに高槻藩主永井直清公が拝殿を設け大鳥居も据えました。
   併せて、時の天台宗座主天松院の宮様の筆になる神額を奉納しているの
   です。」
  かくも菅公の影響は、千年の時を経て、深く広く庶民の中に浸透している
ことが分かります。
  「何故に庶民は菅公を神に祭りあげたのか?」
という疑問が怒りますが、答は簡単。菅公の左遷は道理によらぬからと。

  何時の世でも、人が人を慕うのは、人が好ましいと思う人物や挙動に対す
る願望的集団表現であるのです。
  10世紀の世の人々には、日常生活にいかなる楽しみと、生き甲斐を
感じたのかは、個々人に聞いてみないと分かりませんが、民衆の趣の方向と
しては、「菅公を慕う」ということであったようです。
  上宮天満宮周辺にも人々の千年前の思いは生きているようです。
  悪役「藤原時平」を知らぬ人でも菅公は知っているのです。
<味舌天満宮>
  近畿自動車道を吹田ジャンクションより南下しますと、JR京都線や
阪急電車京都線正雀駅の東部地区に回り込み、まもなく安威川に架かる鶴野橋
に到ります。その手前の味舌橋袂には摂津市役所や摂津警察署が集まっている
いわば摂津市の中心地に当たります。
  安威川支流の川沿いにある村々の天神さんとは、「味舌天満宮」で、かっ
ての安威川流域に展開した豊かな摂津の田園風景で、鎮座まします菅公も今で
は、生活排水の汚泥河川と雑居住居群の下に埋もれてしまいました。
  所々に残る旧家の土塀と土蔵がわづかにかっての摂津の田園地帯の名残を
匂わせているに過ぎません。

  「大阪府史跡名勝天然記念物」(清文堂)によりますと、

  「菅原道真を主神とし、相殿に天照皇大神ほかを祀り、摂社に八幡宮あ 
   り。社伝に依れば源満仲の弟馬場兵部大輔満政の子孫馬場当次郎尚久あ
   り。当国太田郡味舌郷の一邑を開拓して、馬場前村と称し八幡大神を
   勧請し、馬場宮と号したり。・・・・・・
   偶々天満天神の霊代を得たるにより、これを八幡宮に合祀せり。
   大永年間(1521〜1528)織田信秀の室・・・男子を生む。これ
   即ち有楽斎なり。よりて社殿の造営を志し、・・・・
   寛永12年(1635)有楽斎の五男大和柳本城主大和守尚久・・・
   神田若干を寄付し、・・・・・・
   馬場氏は社務を掌り、一族は座として奉祀する事を常とす。
   明治5年村神に列し、・・・」
  
  今日に至っているようです。源氏の氏神八幡宮社に天満天神を合祀したと
言うべきでしょう。天神さんがご来社されてから、「味舌天満宮」として、
近隣の人々から尊崇されたのでしょう。
  このように「村々の神様」の依って来るところの事情は日本国中何処でも
同じではないでしょうか。ここに典型的な日本人の神に対する考えから、神と
共存する人生のあり方を見ることが出来るのです。
  有史日本を2000年として、現状の日本人社会における宗教の実態を
まとめてみますと、次のようになります。
 
  仏教以前の自然崇拝的八百万の神信仰の原始的な宗教から始まって、神道
渡来仏教、輸入仏教、鎌倉仏教、修験道、キリスト教、新興宗教など、いろい
ろな時世でのいろいろな宗教を受け入れ、一方で生み出しつつ、何時の時代に
おいても批判的な一方的態度をとらず、(江戸時代の鎖国は特殊事情と考え
て)全てをあるがままに受け入れてきたといった方がよいでしょう。

  日本においては、「巨岩も巨木も、天も地も、お釈迦さんも人神の菅公さ
んも、禅宗、ヨガ、キリスト教とにかくなんでもあり」で、敢えて、これとい
う宗教的規範がないのです。
  民族全体としても心を一にするあるいは、何か民族の統合的象徴として
何かを持とうとしたことは未だかってありません。その役目を果たしてきたの
が、天皇制ではないでしょうか。
  
  誠に宗教に対しておおらかな、無関心な、無神経な、いい加減な(これは
言い過ぎで、叱られるかもしれません!)民族であったのです。
  要は生きているあいだは、思うとおりで良いではないかと言うことです。
  もっと現実的な言い方をしますと、神さんは多い方が、祝福される人も
  機会も多くなると言う誠に簡単な現世主義と言うことが出来ます。
  こんな言い方をするとそれこそ、天神さんの雷が落ちてきそうです。

<松山神社>
  太宰府へ流れ下って行く菅公一行は、淀川に沿って江口の船着き場に到り
ました。西行法師が遊女に宿を請う約200年前のことです。当然「江口の君
堂」などは存在しない単なる松原であったわけです。松山神社の現在地が小松
地区になっていますから、単なる松原ではなく、菅公が足を止め、見とれるだ
けの美しい小松の川原であったのです。
  淀川本流と西隣の安威川を結ぶ運河の役目を果たしている神崎川右岸に位
置する松山神社の由緒によって「小松」の由来を探ってみましょう。
  御祭神の本社には菅原道真公(天満大自在天神)がおられ、相殿に
天照皇大神、春日大神、住吉大神を祭祀し、末社に稲荷社などを構えていま
す。その昔菅公は、難波入り江口にさしかかったときに、数千株の小松が生い
茂る中島の風景に感動して、漢詩を作られたという。村の名前も小松となり、
現在の地名も東淀川区小松になって残っています。
  現在の松山神社周辺は、一般住宅、集合住宅、町工場の密集しているので
、その町並みからは、小松原を想像することはむづかしいわけですが。
  この地においてさらに菅公は「末代我が像ここに置くべし、この地に本心
とどめおくべし」と直筆の御遺勅をおかれました。菅公没後、村人が祠を村の
氏神として崇めたのが、創祠となり、江戸期(明和初年・1764)境内を整
備し、正一位前大納言よりの「小松天満宮」の額を掲げたとされています。
  明治4年(1871)松山神社に改称しています。

<菅原天満宮>

    摂津国の北東地区より流れ下ってきた淀川と安威川が並流している此の
地帯は、難波の港口に近く広々とした河原が両河川の川口まで続いていたもの
と想像されます。
  菅公の名残は、江口の里近くの小松だけでなく、この松原付近一帯に留め
られているようです。
  小松地区からさらに約3キロメートルほど下流に南下した現在地名で「菅
原」にも「菅原天満宮」があります。菅原地区は淀川右岸に位置する東淀川区
の中心地に当たり、同区の区役所、警察署などの公共機関が集中しています。
  最寄り駅は、阪急電車京都線淡路駅で、庶民的な駅周辺の繁華街を抜け
て、淀川右岸に近づきますと、狭雑な駅前地帯と違った開放的な感じの町区になります。
  折しも、「菅原小学校」では、秋の運動会がたけなわでした。
  街道に沿うように通されて府道高槻京都線の菅原交差点には、かっての
旧街道「亀岡街道」の案内板が立てられています。
  昔、多くの人や物資が行き交った旧道は既に新道と住宅街の小径に紛れ込
んでしまっていますが、面影を街角の隅々の石畳に思い浮かべることが出来ま
す。府道より淀川右岸にかけての地帯はかって淀川の入り江になった河川敷で
あったようです。しかも府道から南側はかって淀川川岸の湿地帯と思われ、そ
の川岸の小丘上に祀られていたのが、現在の「菅原天満宮」です。
  現在でも、一般道より3メートル近く高台になった区域のみが、宮域で、
石垣に囲まれています。かってはさぞかし淀川河川敷と川の流れが良く見渡せ
たことが想像できます。
  境内にはいづこの神社でも見かける「くすのき」の大樹が大阪市の保存樹
として護られていました。高さ23.9メートル、幹まわり4.6メートルと
いう巨木です。加えて、その木の脇には、「日露戦役記念標」が、明治39年
3月に立てられています。これもいずこの鎮守の森も同じでしょう。
<福島天満宮>
  いよいよ菅公一行は、淀川河口まで下って参りました。
  当時の淀川川口、即ち現在の安治川川口には、あちらこちらに島が点在し
ていたものと思われます。

  それから千年後の明治期には既に新田開拓工事が進んでおり、現在も引き
続き安治川の沖合には、どんどん人工島が誕生して行きます。

    *咲洲(さきしま):住之江区の沖合島として埋めたれられ、インテッ
      クス大阪国際見本市会場、高層建造物WTC,ATCの周辺には
      水辺に野鳥園があり、地下鉄ニュートラムが巡回しています。
  *舞洲(まいしま):スポーツアイランドとして各種の公共敷地を保有
      し、来る2008年大阪におけるオリンピック会場候補地となっ
      ています。
  *夢洲(ゆめしま):埋め立てが進行中で、舞洲と繋げることによって、
      情報発信基地として通信施設を完備してゆこうとしています。

  かっての大阪への入り口であった天保山・築港変貌をとげ、新しい大阪の
海の玄関に生まれ変わろうとしています。 

    咲洲の西北岸に新しくできた”海の博物館”としての「時空館」には、
そのように変わり行く大阪港のかっての姿を模型で展示しております。

    淀川川口に点在していた島々の中の一島が「福島」なのでしょう。
  そこに祭祀されているのが「福島天満宮」です。現在の最寄りの駅は、
新しく大阪市の北部繁華街を横断するJR東西線「新福島」駅になります。
浄正橋交差点の南側にある参道から大正10年6月に据え代えられた狛犬の間
を拝殿に向かいます。

  神社の由緒板には、次のように菅公との関わりを説明しています。

  「・・・延喜元年、九州への風待ちの地として立ち寄ったのが、この地
   で、当時は難波八十島の一つとして「鹿飢島(がきじま)」と呼ばれて
   いたところ、道真公は鹿飢は「餓鬼」に通じて縁起が悪いと「福島」に
   改称されています。・・・九州から菅公逝去の風の便りに延喜7年
   (907)村人たちは小さな祠を建て、「自ら残されし御影を霜月十五
   日斎き祀り」、つづいて「延喜8年正月十三日相殿(大国主大神、事代
   主大神)を勧請」することによって、天満宮上之社(上天神)として、
   祀りました。・・・」

  明治42年7月に大阪市北区全体を襲った大火のため類火炎上しました
が、大正10年に再興されて、現在に到っています。
  菅公が一時船泊まりされて「福島」の時代から、どんどん様相が複雑で多
様に変わり行く周辺の市街地や拡張道路の環境変貌の中にあって、福島天満宮
は、かっての村人の思いを1200年にわたってこの地で伝承してきました。
    何時の時代になっても菅公を慕い偲んだ気風がこの神社周辺に残ってい
るのです。
  都市化すればするほどその土地の昔からの風土や人の気風が変わって行き
ます。それをくい止めて次世代につないで行くのは、先祖と共有できる「土地
の神」であり、福島では、「祭神の菅公」であるわけです。
<更なる村々の菅原神社>
  京の都を出て、淀川右岸沿いに太宰府に向かう菅公一行を追って参りまし
た。菅公を慕う村人の「天神さん」は、淀川左岸沿いの村々にも天神社あるい
は菅原神社として存在します。ここでは次の地図に示される河内国、摂津国、和泉国の5天神社をたづねてみます。
   
  (その1)枚方市藤阪天神町および長尾宮前町・菅原神社
   JR片町線(学研都市線)長尾駅の南側府道17号線沿いの一角に
   菅原神社があります。道路を挟んで東側は枚方市営長尾霊園に
   なっています。
   当神社がら、JR線沿いに約1km南下した小丘陵の上、すなわち
   王仁公園南西隅部に位置して同じく菅原神社があります。
   両神社の間には、伝王仁墓もある歴史的に旧い土地柄であるわけです。
   ちなみに前者の西方長尾元町には土地の人々が「菅原公民館」「菅原図
   書館」「菅原小学校」を命名していますから、菅公の名前を忘れぬ
   ように風土に染み込ませたのです。
   斯くの如く、菅公の名残が河内の国の村々に認められるところは他の 
   国々においても同じであると見て良いでしょう。

  (その2)八尾市加美鞍作・菅原神社
   JR関西本線(大和路線)加美駅前線路脇にも菅原神社があります。
   これだけ駅に近いと、毎日朝夕お参りが出来るというものです。
   これこそまさに庶民の中の菅公さんというものです。
      一方市街地化された場所のお宮さんですから大変周辺が窮屈で、北は
   JR線路、南側は交通量の多い府道ですから、菅公さんも肩をすぼめ
   て鎮座ましますわけです。

  (その3)大阪市平野区瓜破・瓜破天神社
      大阪市平野区は北部に歴史的な旧平野郷があり、南部に大和川を区内
   とし、区の中には大阪市設瓜破霊園を擁しています。
   霊園の西側がかっての旧村瓜破地区で瓜破神社を取り巻いています。
   呼称は瓜破天神社となっていて、平野郷に古くから在る杭全神社と
   ともにこの近郷の村人の尊崇を集めていたのでしょう。
   ちなみに杭全神社九世紀に創建された平野郷の守護神で、瓜破神社の
   真北丁度3km離れているだけです。

  (その4)堺市戎之町東・菅原神社
   室町時代対明貿易や鉄砲生産によって自治都市を形成した旧堺市街地の
   真ん中に位置する戎之町に菅公は祭祀されています。由緒板によります
   と、
   「・・・延喜年間(901〜922)堺の海岸に菅原道真自作の木像が
    漂着した。これを民家の脇に祀っていたが、後に常楽寺(菅原神社)
    の僧が長徳三年(997)新殿に祀った。
    その後天文元年(1532)の火災、大阪夏の陣(1615)の兵火
    後、永応2年(1653)再興されたが、再び太平洋戦争
    (1945)の爆撃に遭遇し・・・・」現在の境内の様相に変貌
       したとのこと。
   現在は恵比寿神社と合祀され、堺市庶民の「天神さん」として、縁日に
   は賑わいを見せているわけです。
   千年間伝承されてきた菅公の遺魂は全国各地の「天満牛」「天神さん」
の神域のなかにあらわに認められないものの、時代時代の人の心中には確かに
存在しているのです。
平成12年10月8日・磯城島綜藝堂・主筆 謹言

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