敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 188 回  *** 第71番・その2 ***
*****  大納言経信ー田上の里  *****

目    次
<近江・田上牧町> <太宰府への官途> <参考メモ「朝家之重臣」>

百人一首・第71番 夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞ吹く



錦百人一首の大納言経信

<近江・田上牧町>

 前回引用しました「大納言経信集」の中で、言及されていた経信の和歌世界における歌枕には
主として畿内のあちらこちらが散見されましたが、それらの地域に混じって、経信の別業である
近江国田上の里も詞書きに残されています。

 ー田上の路にて
 「旅寝するあしのまろやの寒ければ爪木樵り積む舟いそぐめり」(155番歌)
                        (新古今集・巻十・羇旅・927) 
 瀬田の唐橋を潜り抜けた瀬田川が南下して、右岸に石山寺を見て、南郷洗堰に到ります。
 洗堰の東から瀬田川に流れ込む大戸川(だいとかわ)に架かる黒津橋を渡ると田上の里に
入ります。経信の歌は瀬田川をゆく舟を詠んだのでしょうか、大戸川を滑ってゆく舟の情景でしょうか。
 田上の里は盆地の地形を呈しており、盆地の中を東から西へ流れている大戸川を遡って
ゆきますと、盆地西端を黒津橋として、東端は経信が別荘を構えたと推測される牧の里ですから、
大戸川辺の風景と見た方が相応しいかも知れません。

田上盆地周辺の地理
 前回の連載で田上地区の地理を引用しましたが、田上の村里は太神山の山麓周辺に点在する
大凡15村落より形成されています。牧の里はその東方地区に位置し、信楽地区への通路に
なっており、田上盆地でも比較的、人通りの多い賑わいのある村里であるようです。現在でも
田上盆地は稲田が広がっており、農道の整備も施されつつあるようです。梅雨期の田植え作業は
さぞかし壮観でありましょう。古代から農作地として豊かな近江米の産地であったのです。

黒津橋からみた田上盆地の風景
牧の里より望む田上の田園風景 
田上の田園から牧の里を望む 目次に戻る

<太宰府への官途>

 延喜元年(901)、太宰府へ下る菅原道真公は住み慣れた平安京に別れを告げたのは、都の
西の玄関である天王山の麓・山崎の地で、現在でも幹線の国道や鉄道が天王山と淀川川岸の
狭合部をひしめき合って通っています。(第18回(その1)菅家ー苦渋の都落ち参照方)
 かって平安の昔も此処は西国への「関戸」として官人の宿舎「関戸院」が設営されていた所
です。律令国家の初期は軍事警察管理の点より摂津・山背国境の山崎にも関所が設けられて
いたのですが、弘仁期(810〜823)以前に廃止されたものの、西国での動乱(天慶三年・940
2月藤原純友の乱など)の度に警固使が山崎關に派遣されて、京の警備に当たったのです。

関戸院址の関戸明神社
 山崎關の関戸院(關外院)が貴族の宿泊に当てられ、多くの通過した貴族が記録に残されて
います。伊周(兼家の孫で道隆息)は、花山天皇に弓を引いて罪を得、配流先へ流れてゆく時、
病を得て旅立ちを渋ったようです。彼の叔父に当たる藤原道長は、当院で院預りの前肥後守公則
から善美を尽くした饗応(たとえば全部銀製の器での食事のもてなし)を受けているのです。
 もっとも公則は道長の家司を勤めていたので、関戸院は道長の所領のような物であったのかも
しれません。

 藤原道長(康保三年・966〜万寿四年・1027)の正妻源倫子の一族に当たる源経信(長和五年
1016〜正徳元年・1097)が、嘉保二年・1095年7月(道長没後68年)大納言として関戸院を
所領しており、太宰権帥として、赴任の途上、その「領所」の関戸院に宿泊しています。
  (注)宇多天皇ー敦実親王ー雅信ー倫子
              ー重信ー道方ー経信ー俊頼ー俊恵法師
 その子俊頼も承徳元年・1097太宰府で没した経信を葬しての帰路、関戸院で、父を追懐して
歌を詠んでいます。

 源経信と太宰府の関係は生涯つきまとっているようです。まず、経信14歳の長元二年(1029)
8月、太宰権帥である父源道方の赴任に従って西府へ遠足し、筑紫での歌も残しています。

 ー昔筑紫にて、秋野にて
 「はな見にとひとやりならぬ野辺に来てこころのかぎりつくしつるかな」(96番歌)

 寛治八年(1094)6月、65年前の父と同じように太宰権帥となり、翌年赴任して、永長二年
(1097)正月に任地にて82歳の生涯を終えたのです。時に菅原道真公が不遇の中に没して、
大凡200年後のことです。三男坊の源俊頼はよく父の歌道を引き継ぎ、さらに子息の俊恵法師へと
伝承していったのです。

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<参考メモ「朝家之重臣」>

 源経信の官位官職暦を一覧表にしますと、次のようになります。
 藤原宗忠がその日誌「中右記」に、経信の人物評として「詩歌管絃に長じ、倭漢兼学、法令に
 通ず。まさに「朝家之重臣」」としたとおりでしょう。

邦暦年度西暦年度年齢官位官職
長元三年103016叙爵
(従五位下)
従五位上
三河権守、(伊予権守)
刑部少輔、少納言、
左馬頭、(播磨権守)
康平五年106247(正五位上)右中弁
康平六年106348(正五位上)
(従四位下)
左中弁
(勘解由長官、皇后宮権大夫、
中宮権大夫、皇后宮大夫)
治暦元年106550(従四位上)
(正四位下)
蔵人頭、右大弁
(民部卿、大蔵卿)
治暦三年106752参議
延久元年106954従三位
延久三年107156正三位
延久四年107257従二位左大弁
承保二年107560(従二位)権中納言
承暦元年107762正二位
永保三年108368(正二位)権大納言
寛治五年109277(正二位)大納言極位
嘉保元年109479(正二位)太宰権帥極官、赴任

 文学面への貢献としては、次のように列挙されます。

  日記「帥記」(そちき)
  歌集「大納言経信集」「帥大納言集」
  歌学書「難後拾遺」(なんごじゅうい)
  注釈書「和歌知顕集」(伊勢物語注釈書)
  引用書類「朝野群載」「本朝続文粋」
  楽書「琵琶譜」

 平安王朝文化人を代表するような文化活動であったことがわかります。
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関連随筆シリーズ
「百人一首のー平平点描ー千年の言霊への誘い」
ー第七一話一稲葉の音ー
併せて御覧願います。

平成16年8月10日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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