敷 島 随 想
(百人一首歌人旅)
「連 載」 第 187 回 *** 第71番・その1 ***
***** 大納言経信ー田家秋風 *****
目 次
<梅宮大社>
<大納言経信集>
<参考メモ・今昔物語の梅津>
百人一首・第71番 夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろやに秋風ぞ吹く

光琳かるたの源経信
<梅宮大社>
大納言経信の百人一首歌は金葉集巻三・秋・183番歌から取られたものですが、その歌の詞書きに
依りますと、経信は琵琶の師源資通の子息で、歌の友であり、管弦仲間であった資賢の別荘梅津の山里に
出向いて、「田家秋風といへることを」詠んだとなっています。
梅津は四条通りの西の突き当たりである松尾大社に対して桂川を挟んだ対岸に位置している社です。
この地は対岸の桂と共に平安王朝貴族の避暑地になっていて多くの別業が建てられた地で、法性寺入道
関白忠通(百人一首歌76番歌人)もそのひとりでした。また梅津地区は北側に嵯峨野があり、南には
後世造営された桂離宮があるという現代の観光地に変遷しています。千年前の貴族の別荘地から、一転して
庶民の街の一角(京都市右京区)を形成している中、梅宮大社は地区の中でたった一個所昔の風景を
留めているのです。

(左)京都市右京区桂川周辺(右)梅宮大社付近の地理
梅宮大社は、その「由緒略記」に依りますと、今から1300年前、橘諸兄公の母堂が氏神を祀ったのが
始まりで、現在では酒造り、子授安産、学業、音楽、芸能の神として人々の尊崇を集めています。
神社の境内には、咲耶池と勾玉池があり、その周辺には杜若、花菖蒲、さらには名前の通り、梅苑も
集められています。咲耶池の畔には経信の歌碑と「池中亭茶室」という「芦のまろや」で、嘉永四年
(1851)の建造物もあります。ちなみに本殿は元禄13年(1700)の造営になるそうです。
まさしく経信の詠んだ「葦で葺いた田舎家に秋風が吹いている梅津の風景」を再現した物です。

(左)梅宮大社の楼門(右)梅宮大社本殿

(左)咲耶池と葦のまろや(右)咲耶池の架け橋と袂の経信の歌碑

(左)経信の歌碑(右)咲耶池の回遊式庭園
梅津の西側を流れている桂川は保津川渓谷を流れ下りてきて、嵐山の北、嵯峨野の地に出て、はじめて
蛇行している所に当たることからみて、昔は広々とした桂川の河原であったと思われ、今も梅津の東側は
大覚寺大沢池から流れ出ている有栖川もこの河川域の一部をなしています。梅宮神社が桂川の水を引き入れた
池水公園を造営できたのも桂川の河川域にあったからこそ出来たことではないかと推察されます。
梅宮大社の参道を鳥居をくぐって南の四条大通りに出ますと、人や車の往来が烈しい雑踏の世界に入って
しまい、一度の京の町中に連れ戻された印象を受けます。もっとも、梅宮大社周辺には「梅宮大明神社」の
ような境内も残されており、どことなく大社の門前町の雰囲気が伺えます。

(左)梅宮大社の参道と鳥居(右)梅宮大社の南西にある梅宮大明神社
大通りを西に向かって桂川にかかる松尾大橋から京の町を振り返りますと、その風景は典型的な京都の
町の風景であることが解ります。西には松尾大社の大鳥居があり、松尾山から南に向かって西山連峰が
見えます。北西方向には、頂上が突き出て、帽子をかぶったような愛宕山が高々と聳え、北山から、東山
へと連なってゆきます。その東端の円錐形をした比叡山と対照的です。
桂川やその河川敷の周辺風景が時代と共に刻々と変わっていくのに対して、桂川の流れは変わることがない
のです。ひょっとすれば源経信も梅津の避暑地に遠出してきたときは、この桂川の畔に立ち、西山を眺め、
愛宕山を望み、桂川の流れを見ながら、梅津の田園風景を詠んだことでしょう。

桂川右岸・松尾大橋付近から、嵐山、小倉山、愛宕山を望む風景
現在、松尾大橋の袂から眺める風景は、経信の詠んだような「葦のまろやに秋風ぞ吹く」という風情は無く
庶民が生活の中で雑然とつくり出す音が伝わってきます。それでもなお、桂川から眺める京の山々はまた
違った現代京都の何曲かの屏風を立てた風景として眺めることが出来ます。
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<大納言経信集>
源経信私家集中の277首から梅津の里で詠んだ風情を探索してみましょう。いうなれば経信集に於ける
「田家秋風といへるこころ」を求めて・・・・。まず私家集で百人一首に採られた歌は、第103番歌です。
ー田家秋風
「ゆふさればかどたのいなばおとづれてあしのまろやにあきかぜぞふく」(103番歌)
この歌の初句から五句までそれぞれの歌語を追ってみます。
(その1)「ゆふされば」
「ゆふされば くもぢすぐなるほととぎすよはにやなかむみやまべのさと」(68番歌)
「ゆふされば かつやまのはをながめつつあしまのみづの月をまつかな」(116番歌)
経信卿は、一日の中で、「ゆうざれ」が好きだったようです。
「ゆふざれや そらもをぐらのほととぎす ありすのやまにこゑなしのびそ」(78番歌)
「ゆふざれに さやまのみねのほととぎす ありすがほにもなきわたるかな」(79番歌)
(その2)「かどた」三連歌ー103番歌に連らなる二歌
「みせよかしかぜのけしきにやまざとの かどたの いねのなびくけしきを」(101番歌)
「きりはるる かどたのうへの いなかたのあらはれわたるあきのゆふぐれ」(104番歌)
経信卿は、貴族でありながら、田園風景、すなわち彼の詞書きを借りますと「田家」の趣きが
お気に入りであったということでしょう。
(その3)「いなば」三連歌ー103番歌に連らなる二歌
「あきかぜにそよぐ いなばの ゆふつゆをぬしもたづねぬここちせしかな」(105番歌)
「あはれにもひとりながめてくらしける いなばの かぜをおとにきくかな」(106番歌)
「いなば」の風景も上述の「田家」の趣きと言えるでしょう。
(その4)「あしのまろや」ー103番歌と対歌
「たびねする あしのまろやの さむければつまきこりつむふねいそぐめり」(155番歌)
「田家」には「葦のまろや」が相応しいわけです。
(その5)「あきかぜ」三連歌ー103番歌を挟む二歌
「ひたはへてもるしめなはのたわむまで あきかぜぞ ふくをやまだのいね」(102番歌)
「あきかぜに そよぐいなばのゆふつゆをぬしもたづねぬここちせしかな」(105番歌)
「田家」から見る「いなば」にわたる「秋風」が最も快い詩情感覚を刺激します。
以上結局「大納言経信集」における「田家秋風」のこころは、101番歌から106番歌まで6首に連続して
詠い込まれているのです。
経信集の中で集中して読み込んでいるものに「むめのはな」「ほととぎす」「大井川」「住吉」などと
ともに、平安朝歌人として、当然「つき」にも執心でした。
ちなみに、畿内各地での「望月」の詠み五首を並べておきましょう。
「つくづくとおもひいるさのやまのはにいづるはあきのゆふづくよかな」(伏見にて)(109番歌)
「こよひわがかつらのさとのつきを見ておもひのこせることのなきかな」(かつらのさと)(110番歌)
「さすらふる身はなにぞとよあきふかみいこまのやまのつきしみつれば」(いこまやまふもと)(111番歌)
「よろづよとつきをあかなくちぎるかなあまてらしますかみにいのりて」(内裏にて)(112番歌)
「てるつきのいはまのみづにやどらずはたまゐるかずをいかでてらまし」(鳥羽殿にて)(113番歌)
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<参考メモ・今昔物語の梅津>
梅宮大社のある桂川の左岸一帯は「梅津」と呼ばれていたわけですが、「梅津」の地名から「今昔物語」
(1120〜1156頃成立)のある説話を思い出します。源経信(1016〜1097)の時代より一世代ほどあとで
完成した説話集ということになります。したがって物語りに取り込まれた世界は、経信の時代までを含めている
ことになります。

小倉山山頂から、桂川と梅津地区を望む風景
「今昔物語」本朝の部(巻11〜31)のうち、「仏法」の部類に入れられている巻17・第33話の「恋の
虜となって仏道に励むことになった僧の話」があります。
今は昔、・・・・比叡山の年若い僧が、日頃法輪寺に詣でては虚空蔵菩薩にお祈りはするけれども
遊び半分に身を入れて勉学をするところがなかったところ、菩薩の美しい女性が化身して、若僧の前に
現れて、誘惑するが、いま一歩で恋の思いが遂げられるところで、
「お経を空で読めるようになってから、もう一度、いらっしゃい。その時は、あなたの言いなりに
なりましょう。」
と約束をかわします。お経が空で読めるようになると、
「一人前の学生になってから、もう一度いらっしゃい。その時は、あなたの言いなりになりましょう。」
とまた、約束を延ばされます。さて、その約束を全うさせて言い寄ると、約束は果たせたものの、ふと
眠りから覚めると、嵯峨野の東の方の薄の原に眠っていたのです。仏の化身にまんまと騙された場所が
梅津辺りで、梅津から腰まである桂川の流れを横切って法輪寺に戻り、菩薩の前に額づくと、菩薩の
諭されるには、
「おまえの常日頃の女好きの癖を利用して、悟りを開かせてやろうと考えて、お前を謀ったのである。
いよいよ仏の道に励んで決して怠ってはならぬ。」
と。はてさて、「今昔物語」の若僧は、どうして梅津辺りの者が物語りに採り上げられたのでしょうか。
話題になる何かの出来事がきっとあったに違いありません。
梅津の地区は近年京の西地区でも賑やかな町並みに変わりつつあります。昔の若僧は美しい女性に
謀られたのに対して、現代の若者は種種の町の誘惑に苛まれ易いようです。
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