万葉集に依りますと、東は下総国真間から、西は伊予の伊社爾波の岡まで当時としては広範囲に 行動した山部赤人の終焉の地は、彼の古里と想像される大和国東端「やまべの里」です。 「山部」とは、古代大和政権の直轄の山林を守ることを職能とした部民の名前です。地名として 記されているのは、現在の奈良市東部に位置する山辺郡で、都祁村や山添村が属しており、その南部に 赤人の古里と推定される宇陀郡の榛原町ほか、二町三村が位置しています。

山部赤人を念頭に置いたと思われる後世の人々の「山部」(山辺)への拘りと、歴史的継承は まず、山辺村です。 明治になるまでは、山辺三地区は、「山辺西村」「山辺中村」「山辺村」であったものを何とか 「山辺」の名前を継承するために「山辺三」としたようです。(明治八年合併) さらに山辺三地区での治水工事として室生湖を造成しましたが、それに架ける橋の名を「赤人橋」と 命名しました。近鉄が伊賀と大和を結ぶ鉄道路線を国道165号線沿いに敷設し、山辺の里も大阪や 京都にも近くなったことに関係して、国道165号線の北側に住宅開発が展開しました。 この地の天満台には「赤人公園」(天満台四丁目)を新設しましたので、額井岳麓の墓所から眺める 赤人さんも満足ではないでしょうか。 榛原町では地元の観光文化財として町内各所に万葉歌の縁りの「万葉歌の歌碑」を建立しております。 山辺三地区には次の山部赤人の歌碑が建立されています。

富士の高嶺を万葉集の長歌に詠んだ山部赤人の墓は、富士を眺められる場所にあるのではなく、 大和国内の大和富士と称される額井岳(標高816m)の麓にあります。この山は奈良市南東方向に 当たり、大和国の東隣伊賀国名張に抜ける道(国道165号線)沿いにある長谷寺の東隣に当たります。 近鉄大阪線の榛原駅からバスで新興住宅開発地(天満台)まで行き、そこから山道を登ったところに あります。国道165号線脇に山部赤人墓の案内石碑が建てられています。 山間の道を昇っていくにつれて、大和南部の山々の峯が重なって遠くに望まれると共に、額井岳の 中腹に山の背になった峠の所に五輪の石塔が風雪に肌を削られて荒れたまま佇んでいます。
![]() 国道165号線脇の赤人墓への案内石碑 |
![]() 赤人墓への山道からみた山辺三地区の山々 |
![]() 大和富士(額井岳)と 赤人墓のある麓の峠付近(左側) |

大和富士を望める位置に八世紀以来1200年間、赤人は眠っているわけです。この地は当時も 今も殆ど変わることがなかったのように静かな山村の風景です。まさしく山の辺の墓所です。 因みに額井岳の北側には名古屋と大阪を結ぶ高速自動車道路としての名阪国道が走っており、さらに これから交通の便が一層「山辺の里」を賑やかにするかも知れません。目次に戻る
「山辺の里」には山部神社はありませんが、畿内近隣周辺で、「山部神社」当たりますと、 近江(蒲生町)と播磨(飾磨)に山部宿禰赤人を祭神とする社があります。 (その1)滋賀県蒲生町の「山部神社・赤人寺」 どのような関わりによって赤人が近江国蒲生野に足跡を残しているのか明確ではありませんが、 当地の伝説として、赤人は蒲生町下麻生で生涯を閉じたとされているのです。 確かにこの蒲生町から北に隣接している八日市市にかけての「蒲生野」は、かの万葉集巻一の ほぼ冒頭部分にある有名な大海人皇子と額田王の詠いあった場所ですから、非常に万葉集期の歌人には 関係深い土地柄であることは解りますが、赤人の時代は彼らの少し後の時代になります。 赤人が万葉集に残した50首の歌の中に蒲生野を直に詠んだ歌がありませんので、間違いなく 赤人はこの蒲生野に係わっていたとは断言できかねますが、伝承としては足跡を残しているのです。 山部赤人を祭神とする山部神社とそれに隣接して赤人寺(しゃくにんじ)もあり、本尊は赤人が 安置したと伝えられる如意輪観音という関わりです。 境内には万葉集の赤人が詠んだ万葉歌ではなく、新古今集に詠まれた古今調の百人一首歌を漢字に 書き替えた歌碑も建立されています。赤人の当地の万葉歌が確認できないため、百人一首歌を引用して 歌碑としていることはなかなか巧妙な企画と言えましょう。
![]() 蒲生町域と山部神社の場所 |
![]() 山部神社正面鳥居と参道 |
![]() 神社の本殿 |


(その2)兵庫県姫路市の「山部赤人神社」 JR姫路駅の南西地区を北から南に流れ、姫路港から播磨灘に入っている船場川の河口付近は津田 という地区です。現在船場川は市川の支流になっていますが、かっては市川の本流であったと推定され ています。江戸期・享保年間(1735年頃)に船場川と野田川河口付近に宮前新田が干拓されるまで、 万葉期の赤人歌そのままに「津田の細江」が続いていたのです。 赤人によって詠まれた「細江」はそのまま現在の姫路市飾磨区細江地区になっています。歴史の長い 土地名としての「細江」です。 船場川の西岸に祭神を菅原道真とする、一名「綱敷神社」といわれる「津田(天満)神社」があり、 その境内に「山部赤人神社」があります。 菅原道真は太宰府への左遷の折り、「津田の細江」に舟を寄せて上陸し、とも綱を敷物にして休憩 したところとされ、赤人の巡旅時代より、大凡175年後のことです。山部赤人によって万葉集に 明記され、さらに道真公によって、瀬戸内の船路の要衝と知らされる著名な「細江」であったのです。 この神社は次の赤人瀬戸内巡旅の時の歌に関係しているわけです。 「風吹けば波か立たむと さもらひに都太(つだ)の細江に浦隠りをり」(巻6−945番歌) 人麻呂神社が当地姫路市東隣の町である明石にあるのと同じ様な事情と考えればいいのかも知れま せん。このような神社は昔の優れた歌人の足跡がはっきりと万葉風土に根付いて伝承されている証拠と 言えましょう。

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