敷 島 随 想



[連 載] 第 18 回 ***第24番・その0***
****菅家ー手向山****

<奈良坂>
 菅家の歌は、古今和歌集の詞書きによりますと、朱雀院(宇多法皇)の御幸、すなわち
昌泰元年(898)10月20日から、閏10月11日まで、奈良・吉野・竜田・難波への
巡幸の時の詠みです。一般には奈良若草山西の手向山を詠んだとされています。
 平安京に都が移ってから大凡100年後の9世紀末、宇多帝・醍醐帝時代の京と古都奈良との
往還はどのようであったのでしょうか。

 「奈良坂」と言われる大和国古都平城京とその北方に位置する山城国新都平安京との往還は、
時代によって少し変わるようです。
 平城京の北東部から北へ、嘗ての東山道や北陸道として丘陵地平城山を越える坂道が「歌姫越え」
としての奈良坂と称されました。
 時代が少し下がって平安時代中頃からの「奈良坂」は、それからすこし東側に位置する般若寺前を
通る「般若寺越え」となり、それが現在までの「奈良坂越え」になっています。「般若寺越え」の
利用が頻繁になると、本来の奈良坂「歌姫越え」は、春日社への参詣道として活用されたようです。
 事例として永祚元年(989)一条天皇の春日行幸(「小右記」記述)あるいは寛弘四年(1007)
今から丁度1000年前、藤原道長の春日詣で(「御堂関白記」記述)さらには春日祭使の道筋は
すべて「歌姫越え」であったようです。

 古來の「歌姫越」往還は、山城国への主要幹線として、平城宮内裏北より歌姫町を通り平城山を
越えて京都府木津町の木津川左岸に到達する道筋です。近世では、「郡山街道」と称されました。
 この道筋には、旅の手向けとして、国境の土地の神に祈るための「添御県坐神社」が祭られています。
さらには佐紀古墳群遺蹟や平城宮用瓦の焼成に当たった窯跡群も確認されています。

大和国と山城国の古代と現代の往還「奈良坂」比較
<歌姫越の手向け>
 奈良市歌姫町御県山の歌姫越道筋にある「式内添御県坐神社」は、その由緒書きに依りますと、
  御祭神 速須佐之男命(はやすさのおのみこと)(天照大神弟神・須佐之男命の別名)
      櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)(須佐之男命の妃となった姫神)
      武乳速命(たけちはやのみこと)(添の御県の地の祖神)
  社の祭 春秋二回の大祭(3月11日、11月28日)、雨喜祭(8月21日)
  鎮座地 御県山は、大和平野中央を縦貫する「下つ道」の北端に位置し、古来国境に鎮座する
      手向けの神として崇拝される。

 境内には、縁りの旅の安全を祈念した和歌の碑が建立されています。

(1)万葉集 左大臣・長屋王の歌
   ー長屋王、馬を寧楽山(ならやま)に駐(た)てて作る歌二首  
  「佐保すぎて 寧楽の手向けに置く幣は 妹を目離れず 相見しめとそ」(巻三ー300)
  「岩が根のこごしき山を越えかねて 音には泣くとも色に出でめやも」(巻三ー301)
(2)古今和歌集 宇多法皇の吉野御幸に随行した菅原朝臣の歌
   ー朱雀院の奈良におはしましける時に、手向山にてよめる
  「このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに」(巻九・羇旅歌ー420)


添御県坐神社の街道から見た参道(左)と参道から拝殿を臨む(右)

添御県坐神社の拝殿(左)と本殿(右)

添御県坐神社境内の歌碑群(左)菅家の歌碑と(右)長屋王の歌碑
 添御県坐神社が御県山の丘陵(標高約90mほど)付近にあり、平城京北端(現在の奈良市歌姫町)
と山城国南端(現在の京都府木津町)への境に位置していることは、平城京宮址北端から北に向かって
現地踏破すれば実感できます。
 平城天皇御陵を右手に見て、歌姫街道の緩やかな登り道を真北へ約1km行きますと、添御県坐神社
の脇道に至ります。神社の東側を抜けて間もなく、急坂にさしかかります。この坂道は、JR関西本線
(大和路線)平城山駅から近鉄京都線高の原駅にかけて大々的に開発された新興住宅地右京・左京地区
まで大凡2kmほど駆け下りていく街道になっています。古代の旅人はこの峠から遥に山城国へ旅立って
いく人々を見送ったのではないでしょうか。

 朱雀院の御幸に随行した菅家は、この手向の地で旅に出る人と別れたのではなく、自身が旅人として
当地を訪れて、土地の神に祈ったわけです。果たして、9世紀の終わり頃、当地は紅葉の名所であった
のか、名所でなくとも紅葉の見事なところであったのでしょうか。菅家の歌の場所を当地に比定する
場合、この点だけがやや気になるところです。紅葉の鑑賞の点からは、後述の「手向山神社」は
まずまず問題ないと思われますが。

 なお「添御県坐神社」は、歌姫町から西へ約5kmの富雄川沿いにある三碓町内(往時の鳥見庄)
にも同名の神社があります。場所は近鉄富雄駅から富雄川に沿って南下し、阪奈道路の手前の三碓町
内を東へ折れたところです。神社の境内から参道の彼方に旅行く先に大きく立ちはだかる生駒山嶺を
仰ぐことが出来ます。ここも西へ旅立っていく人々を見送ったと思われる小丘のいただきに位置して
神社が鎮座しておられます。
 歌姫越えの「添御県坐神社」が平城京から北へ向かう道筋の手向山であれば三碓町「添御県坐神社」
は、平城京から西へ、生駒山を越えて難波の宮に向かう道筋のそれということになりましょう。
いずれも平城京から見れば大変重要な幹線であることがわかります。
<手向山神社>
 菅家の詠歌の場所として、前述の添御県坐神社の手向の地以外に、もう一個所が推定されています。
それは東大寺と春日神社の間にあり、手向山の西麓に当たる手向山神社です。当地は紅葉の名所でも
あるのです。
 手向山八幡神社は、天平勝宝元年(749)東大寺大仏造営という国家事業の遂行に当たり、
宇佐八幡神の神助を得たと言うことで、東大寺大仏の守護神として初めての八幡宮分社として勧請され、
平城宮梨原宮に当初鎮座し、後に大仏殿近く鏡池東側移設され、さらに鎌倉時代建長二年(1250)
北条時頼によって現在地に移ってきたということです。

(左)手向山神社周辺の地図(右)手向山神社拝殿正面
  祭神:中殿ー応神天皇、右殿ー仲哀天皇、神功皇后、左殿ー比売大神
  境内社:若宮神社、若殿神社、高良神社、住吉神社など15社
  変遷:治承四年(1180)平重衡による南都焼き討ち、寛永十九年(1642)奈良大火など
     炎上し、元禄四年(1691)の再興になる。

 当社の手向山は、若草山の西麓の「八幡山」とも言われています。
 菅家の縁りは単に手向山だけに納まらず、本殿の右手には「菅公腰掛けの石」と称する石があり、
加えて、歌碑まで並立されています。誠に至れり尽くせりですね。

(左)手向山八幡神社境内の「菅公腰掛けの石」と(右)歌碑(昭和50年建立)
<(参考メモ)菅家歌碑>
 菅家の歌碑は現在四個所に建立されているようです。(都筑氏「百人一首歌碑」情報より)
 そのうち二基は既に言及しましたが、残る二基は次の通りです。

(その1)長野県諏訪郡富士見町上蔦木 十五社本殿後方 (明治11年10月建立)
     当地は長野県に最東端で、山梨県との県境です。リゾート地の八ヶ岳を控えた風光明媚な
     ところと推定されます。菅家歌碑建立も、紅葉の名所と言うことではないでしょうか。

(その2)兵庫県高砂市曾根 曾根天満宮(歌碑の玉垣の一部)(平成5年10月建立)
     当地は、菅公に大変縁の深いところです。すなわち、菅公が九州大宰府へ下るときに
     当地に立ち寄り、日笠山に登って休んだ時「我に罪なくば栄えよ」と小松を手植えした
     のが「曾根の松」という言い伝えです。またその後、播磨に流罪になった道真公四男
     淳茂氏が父の形見「曾根の松」の傍らに父を祀って曾根天満宮としたとのこと。
     菅家歌碑建立も場所柄に相応しいと思われます。
     なお、当該境内の歌玉垣とは、古代から現代までの高砂や松に因んだ和歌を刻んだ物です。
     これもなかなか粋な計らいです。普通は、寄進者の名簿標のように、名前が羅列される
     だけのところですが、歌垣にしているところがなかなかの工夫です。
     菅公さんも天国で喜んでおられるでしょう。

(左)長野県富士見町内の菅家歌碑(右)菅家歌碑を玉垣とする兵庫県高砂市内曾根天満宮拝殿

平成19年1月25日・磯城島綜藝堂・主筆 謹言

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