敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 175 回  *** 第3番・その6 ***
*****  柿本人麻呂ー臨死の石見  *****

目    次
<石見国での歌> <石見の海と山>

百人一首・第3番 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々しき夜をひとりかもねむ


<石見国での歌>

 柿本人麻呂の石見国に関連した歌は、巻二ー131〜140番歌で、石見の海と高角山を詠み込んだ
一連の「石見相聞歌」および巻二ー223〜227番歌で、「鴨山五首」といわれる合計15首に
なります。これらの歌の中で石見の国の地名に言及しているものは次のように列挙されます。

 131番歌 石見の海(石見国の海岸) 角(都農郷・石見国府のあった地域で、現在の
       島根県江津市都野津一帯)の浦廻 和多津(にきたつ、またはわたつ、津野津付近の
       海、または江津市渡津の江川河口付近)の荒磯 
 132番歌 石見 高角山(島根県江津市都野津東方の島星山あるいは益田市高津の山)
 134番歌 石見 高角山(132番歌に同じ)
 135番歌 石見の海 辛の崎(島根県江津市大崎鼻、浜田市国府町唐鐘浦付近あるいは
       邇摩郡仁摩町宅野海上の韓島)渡(島根県江津市渡り津付近、あるいは江津市江川
       河口の渡し場付近)の山 屋上(島根県江津市浅利の室神山、あるいは江津市八神)
       の山  
 138番歌 石見の海 津(角に同じか)の浦 柔田津(和多津におなじか)の荒磯 
       角(131番歌に同じ)の里    
 139番歌 石見の海 打歌(うつた、石見国の山、高角山におなじか)の山

 223番歌 鴨山、次に挙げる各地の山が、名前の上で関連性ありと想されています。
       (1)島根県邑智郡邑智町湯抱付近の山
       (2)浜田市内城山(亀山)
       (3)益田市高津の野島 
       (4)奈良県葛城山中の山
 224番歌 石川 (島根県江の川上流、高津川、浜田川、河内の石川など諸説あり)
 225番歌 石川(224番歌におなじ)

 これらの15首の歌に言及された石見国の歌枕を現在の地理上に当たってみますと、次のように
石見国の国府付近の地と言うことになります。

石見国の柿本人麻呂関連地(左)現在の行政地域別(右)律令体制下の郡名
 前述の人麻呂縁りの地の列挙に関連しては、興味ある民族学的現象の一端を見たような点が
あります。それは例えば「打歌の山」の比定過程であり、また「鴨山」探索の歴史であるのです。


(その1)「打歌山」の歌詞について 

 「打歌の山」は万葉集の万葉漢字原文では、確かに「打歌山」とされていますが、これは「打(た)
歌(か)山(角・つの)」すなわち「たかつのやま」の誤写ではないか、と言う推測です。
 では、この歌の前に出てきた「たかつのやま」もこれらの漢字を使って表記されていたかと言い
ますと、132番および134番歌では「高角山」となっています。これら3首の万葉仮名を比較して
みますと、次のようになります。

 132番歌 石見乃也 高角山之 木際従  我振袖乎 妹見都良武香
 134番歌 石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨
 139番歌 石見之海 打歌山乃 木際従  吾振袖乎 妹将見香

 もともと人麻呂自身はこれらの3首の歌を一通りにしか詠まなかったはずです。その共通の骨子に
なっている概念用語を、各句の「キーワード」として抽出してみますと、

 第1句「石見」、第2句「山」、第3句「木」「従」、第4句「振」「乎」、第5句「妹」「見」

でしょう。これらの8漢字を並べただけで、人麻呂の詠まんとした歌の概念が大凡解ります。あとは
この歌を記録として残して置くのに、どのような漢字を用いるか、編集者の考えだけになりましょう。

(左)江津市周辺の万葉歌枕関連地(右)島星山(高角山)
 人麻呂の歌を伝承してきた人々が、その人なりの読み方を我が物として次の世代に伝承して
きたように、人麻呂の歌も万葉集という文物の形態に記録された時点から、いろいろに解釈され、
伝承されていくのもごく自然な文化の伝達形態で、人麻呂の歌に、人麻呂の人生に、あるいは人麻呂の
歌枕に、絶対真理や絶対真実のみを追い求める必要はないのではないでしょうか。いろいろに伝達されて
いくこと自体が文化の伝達であると考えるのもひとつの考えではないかと思います。

 人麻呂の時代の歌の存在形態はよほど特殊な目的でない限り、一般には口承されてきた歌歌であった
はずです。それを万葉集という文物に記録として残す時点で初めて文字に置き換える事を試みたわけで
万葉集巻二の編纂に係わった人々は、それぞれに大変苦労を強いられたことでしょう。
 柿本人麻呂の歌でさえ、「いわみなる」ではないか、「いわみのや」ときいているとか、いや違う
伝承では「いわみのうみ」として聞いている、といった具合です。
 「いわみ」で代表される山陰道の果て「石見国」を歌枕にした伝承歌であることは確かだが、
「乃也」「尓有」「之海」といろいろに言われたのだ、と考えた方が自然ではないかと思われます。


(その2)「鴨山」の探索について

 人麻呂の臨死の場所とされる「鴨山」に関しては、いろいろの場所比定が検討されてきましたが、
近年では、大正・昭和期の歌人で、正岡子規の門人伊藤左千夫に師事し、「アララギ」文学中心作家と
なり、昭和26年に文化勲章に輝いた大家斉藤茂吉がその著書に残し、自ら検討した邑智町湯抱温泉
近辺の「鴨山」が代表的な人麻呂臨終の地と選定されました。斉藤茂吉の業績を記念するために
当自治体は国道脇の温泉への入口に「斉藤茂吉鴨山記念館」を平成3年(1991)開館しました。

 一方、梅原猛「水底の歌」では、正しく、柿本人麻呂を石見国に流罪になり、当地で水死刑に処せ
られたという説を発表(昭和48年・1973)されている。 
 さらには、万葉集の歌やその詞書き自身がある程度の虚構性をもって、物語風に成されているとして
史実の人麻呂という一官人の死は、やはり連載のその1で言及した故郷葛城地域の「鴨山」ではないか
という説も出されています。(一例、土屋文明「万葉集私注」など)

 これまでの万葉集研究家による「鴨山比定」諸説を「石見国周辺に限定」して一覧しますと、次の
ようになります。(引用資料:「石見賛歌ー万葉の道」ホームページ、蓮沼徳治郎「人麻呂渡し」
近代文芸社(1992年8月))

 (1)益田市沿岸・鴨島説 正徹(1448)岡熊臣(1828)矢富熊一郎(1964)
              梅原猛(1973)その他、金子杜駿、石田春律、鹿持雅澄
 (2)浜田市近郊・鴨山説 藤井宗雄(1906)武田祐吉(1939)佐佐木信綱(1941)
              古田武彦(1994)その他、尾原君山、松平元麻呂、都筑唯重
 (3)江津市近郊・神山説 吉田東伍(1900)
 (4)邑智町付近・鴨山説 斉藤茂吉(1934)澤潟久孝(1957)犬養孝(1964)

 これらの学説は、あくまでも真実が如何であれ、「柿本人麻呂」なる人物が存在したとして、なお
かつ万葉集に記録されていることがすべて事実の記述であるという條件での推論です。万葉集のある
部分は、事実と異なる「歌物語」的な仮構が施されているという論点には立っていません。
 このように万葉集の記述を史実の論拠にして何とか、生身の「柿本人麻呂」なる人物の実態を描き
出そうとするとどうしても不明の、あるいは、全てを納得のいくような解析が出来なくなってきます。
 柿本人麻呂自身を、そのような漠たる「歴史的歌人」の位置付けにしておくのが、もともと万葉集
編者の意図であったのかもしれません。 どうしても、事実に近い実態を再現したいと思う人々には
常に不満足な結果しか得られない「万葉集情報」に終わります。

 日本民族共通の「伝説的歌人」「歴史的歌聖」の位置づけて、如何様にも「人麻呂世界」を描き
出せる空白部分を残しておく方が文学的夢が壊れなくて良いのではないでしょうか。
 万葉期に「石見の国に関係した事実を残した歌人」としていろいろに思い描かせていただきましょう。
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<石見の海と山>

 前述の人麻呂の歌に詠まれた「石見の海と山」から、代表的な場所を概観してみましょう。
 
  海関係 角            :江津市津野津
     和多津・柔田津:江津市津野津、江津市渡津
     辛の崎        :江津市大崎鼻、浜田市国府町唐鐘浦
     渡            :江津市渡津、江川河口
     石川          :江川、高津川、浜田川
 山関係 高角山・打歌山:江津市島星山、益田市高津の山
     屋上山        :江津市浅利室神山、江津市八神
     鴨山       :邑智町湯抱の山、浜田市城山(亀山)、益田市高津の野島

 現在の自治体区分で纏めますと、北の出雲国から長門国に順に南下して次のようになります。

 邑智町:湯抱の山
 江津市:津野津、渡津、大崎鼻、江川河口、室神山、八神
 浜田市:国府町唐鐘浦、浜田川、城山(亀山)
 益田市:高津の山、高津川、高津の野島


石見国内の柿本人麻呂歌の関連地
(その1)斉藤茂吉の探索した邑智町の「鴨山」説

 柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて臨死らむとする時、自ら傷みて作る歌一首

 「鴨山の岩根し枕けるわれをかも しらにと妹が待ちつつあらむ」(巻二ー223)

 斉藤茂吉が「柿本人麿ー鴨山考ー」(昭和9年)は帝国学士院賞を受賞した人麻呂研究の労作でした。
 もっともこの論証はその40年後、哲学者梅原猛氏によって、徹底的に論破され、かなり記述の
内容に存在感が薄らぎましたが、なお学界でも反論されず、ひとつの学説と認められているものです。

 人麻呂の縁りの地とされる「湯抱」は江津市に流れ込んでいる江川(ごうのかわ)の上流邑智郡
邑智町湯抱温泉の地の近郊です。江津市や大田市の東方大山隠岐国立公園の一画である三瓶山の西南
麓に位置する山峡の温泉地で、鉄道に依る場合は江津市から三次市間を走っている三江北線の糟淵駅
まで約2時間で行き着け、バス路線では大田市から国道375号線を南東方向に約1時間の所となり
ましょう。なお三江北線の鉄路はかっての山陰道・石見国から安藝国や備後・三次経由山陽道への
通路であったのです。

三瓶山西麓・湯抱温泉周辺(左)と鴨山(右)の地図

(左)鴨山公園から見た鴨山(標高360m)遠望(出典:犬養孝「万葉の旅(下)」社会思想社)
(右)斉藤茂吉鴨山記念館
  昭和5年から昭和12年までの5回の実地調査による「斉藤茂吉の万葉世界の探索」に依って、この
山陰の一山村は一躍全国的に万葉集縁りの地として有名になり、昭和28年には湯抱温泉近くの丘に
斉藤茂吉の歌碑を建て「鴨山公園」を創設しました。

 ー年まねくわれの恋ひにし鴨山を 夢かとぞ思ひあひ対ひつる
  我が身みづから今の現にこの山を 触りつつ居るは何の幸ぞも
        人麻呂がつひのいのち終わりたる 鴨山をしもここと定めむ

 茂吉の20余年に渡って追い求めた「茂吉人麻呂世界」はここに完成したと言えましょう。また
鴨山公園から「鴨山」に対する時、茂吉によって探索され発掘された「万葉世界」が実感出来る場所
でもあるのです。
 さらに「茂吉による人麻呂世界」を確実なものにするために、地元自治体の邑智町教育委員会は、
平成3年5月に「鴨山」から3km離れた湯抱温泉を通る国道375号線沿いの脇に「斉藤茂吉鴨山
記念館」を開設しました。
 館内には「和歌の歌聖人麻呂の鴨山」を追い求めて半生を懸けた「大正・昭和の歌聖斉藤茂吉の
万葉世界」が、遺墨・遺品・著書などの研究成果と共に展開されています。 
 この地が絶対事実の「人麻呂万葉世界」とかたくなに思わず、おおらかな万葉の精神で、万葉世界の
想像の幸せを噛みしめさせてくれる「茂吉万葉世界」と思うべきでしょう。

 因みに湯抱温泉の北東約4kmほどの所、三瓶山西麓には、これまた人麻呂によって詠まれたか
どうかは不確かな「人麻呂歌集」中の歌として、「万葉の歌枕」ともいうべき人麻呂縁りの地
「浮布池」があります。(前掲の湯抱温泉周辺の地図参照)
 もっとも人麻呂が石見国の官人として赴任していた(として)その頃、確かにこの「浮布池」の畔に
来て、和歌を呼んだとするよりも、多分に当地の伝承歌、いわゆる今で言う「ご当地ソング」の
一種と見るべきではないでしょうか。作者が不詳のため、例に漏れず「人麻呂歌集」に収録してしまう
という確実な方法を採った歌とも言えましょう。

 「君がため 浮沼の池の菱摘むと わが染めし袖 濡れにけるかも」(巻七ー1249) 

 「浮布池」が江川上流の山中にあるのに対して、河口付近の「人麻呂歌枕」としては、前述の
「高角山」と江川を挟んで北に向かい合っている小さな富士山の形をした「屋上の山」(室神山、
浅利富士とも言われる)を挙げることが出来ます。

 「・・・妻ごもる 屋上の山の雲間より 渡らふ月の惜しけれど・・・」」(巻二ー135)

(左)三瓶山麓の「浮布池」(右)石見海岸より遠望した屋上山(室神山)
(出典:犬養孝「万葉の風土(下)現代教養文庫583(昭和53年7月)社会思想社)
 このように、人麻呂の鴨山の所在地の確定もさることながら、江川流域は、大変人麻呂の万葉世界と
関係深い土地柄であることが解ります。


(その2)梅原猛氏の推論展開による益田市沖「鴨島」説

 梅原猛著「水底の歌」では、柿本人麻呂は、
 (1)平城天皇期に正三位を追贈されるだけの正三位に近いかなり身分の高い官人であった。
 (2)柿本さる(佐留)の名称を持ち、人麻呂が懲罰的に「さる」に改名させられた。
 (3)持統・文武朝でなんらかの政治的事件で失脚し、石見国に流罪になり、水死刑に処せられた。
 (4)罪人として死んだので万葉集の詞書きに「死」と記されている。
 (5)政治的敗者として非業の死を遂げたが、宮廷歌人としては後世の「歌聖」になった。
 
 水死刑に処せられたところは、益田市の中心を流れている高津川および益田川の海上沖合に嘗て
存在した「鴨島」であると推定されているのです。
鴨島跡展望地である益田市沖合
人麻呂終焉の地・鴨島は「鴨島瀬」「人麻呂瀬」「大瀬」 と呼ばれ、没後「人丸社」が建立されたところ。万寿3年・1026の大地震で海中に没したとされる。 昭和52年、「水底の歌」に関連して暗誦調査が行われ、平成4年鴨島海底学術調査も行われました。
 
 益田市には多くの「人麿さん」伝承が残されているので、各所に人麻呂縁の地が記念されています。
   
縁りの地人麻呂関連事項
「戸田柿本神社」
人麻呂の生誕地とされる戸田地区東光山中腹にある神社で、「人麿墓」とともに代々(49代) 「綾部家」が守っている。
創建年は不詳で、人麻呂が鴨島で没後、霊を移して建立されたとする。 本殿には文政2年に大島常一の手になる「人麿七体像」が祀られている。 「語家綾部家」は大和で柿本氏に仕えていた綾部家が柿本支族石見下向に同伴し代々語家として、 石見に住みつき、後年語家の娘が柿本某の子息として人麻呂を産んだという。 綾部社家の横には「遺髪塚」があり、人麻呂が「鴨島」没後、その遺髪を持ち帰って埋葬したと される。
「高津柿本神社」
神亀元年(724)、人麻呂は「鴨島」を終焉の地とし、万寿3年 (1026)の大地震で陥没しため、大津波で人麻呂の御神体が松崎に漂着し、松崎柿本神社を 建立、延宝9年(1681)に津和野藩主によって現在地に移転されたもの。正一位柿本大明神の 本殿に相応しい構えで全国柿本総社になる。当社の周辺は「県立万葉公園」に整備されていて、 万葉植物園(歌に詠まれた160種中153種が植えられている。)も併設されている。周辺には、 県立自然公園蟠竜湖が隣接している。
人麻呂万葉世界に関係したいろいろの地域活動
益田万葉まつり(4月29日みどりの日)
益田水郷祭・人麿フェスティバル(8月)
柿本人麿万葉かるた大会(1月)
人麿の里・全国かるた競技大会益田大会(7月)
人麻呂歌碑建立・高津柿本神社内(巻二ー223)、持石海岸ふれあい広場(巻二ー131)、 県立万葉公園まほろばの園(巻二ー133)
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平成16年5月30日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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