敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 157 回  *** 第48番・その1 ***
*****  源重之ー岩打つ波の心象風景 *****

目    次
<くだける心> <重之集の筑前国歌枕>

百人一首・第48番 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな

 連載第154回で百人一首第40番歌人平兼盛を採り上げて、その関連する資料として大和物語に
言及いたしました。
 大和物語の中に於いて兼盛は5段(56,57,58,72,86)に言及されていて、その代表
的な歌枕は第58段に述べられている「安達ヶ原の黒塚」「名取の御湯」あるいは「塩竈の浦」など
であることをみました。

 「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」(巻九・雑下・559)
 「大空の雲のかよひ路見てしか な とりのみゆ ればあとはかもなし」(巻七・物名・386)
 「塩竈の浦にはあまや絶えにけむなどすなどりの見ゆる時なき」

 陸奥には友人源重之との関係から大変縁深い土地柄であることが分かります。
 以下に平兼盛と親交のあった源重之を追ってみたいと思います。

光琳カルタの源重之

<くだける心>

  源重之が百人一首歌の中で用いている歌語のなかでも、「岩打つ波」と「くだけて物思ふ」は人を
惹きつける独特の魅力があります。この歌は、もともと伊勢の「伊勢集」にある類似歌に関係している
と見られていますが、重之の歌に影響を受けて本歌取りをした後世の歌人の歌として、藤原俊成歌
(続拾遺集)、九條良経歌(玉葉集)さらに有名な梁塵秘抄に挙げられている歌などがあります。
 「岩打つ波」と「くだけて」という歌語が引き出された重之の心象風景はどこで形成されたもの
なのでしょうか。彼の60有余歳と推定されている人生に於ける官歴とその環境を追ってみます。

 源重之の人生は、歌の世界で親交のあった源信明(910〜970)や平兼盛(?〜990)と
ほぼ同時代人であって、彼らより少し後輩に当たることを考えに入れますと、大凡930年代の前半の
生まれではないかと思います。
 重之の家系は下略図のように文徳・清和・陽成天皇の傍系と言うことになります。さらに重之の
系譜には、多くの歌人および女流歌人を見出すことが出来ます。

文徳天皇系の源重之系譜と光孝天皇系の平兼盛系譜(図中の番号は、百人一首歌番号)
                         
暦  年官  職  歴関連事項
天暦四年(950)帯刀長(注1)皇太子憲平親王(冷泉天皇)
百首和歌献上(注2)
天徳五年(961)信濃国(上国)の官職
(掾と推定)
(従七位上の官職相当)
康保三年(966)播磨国(大国)介(正六位下相当官)
康保四年(967)右近将監
従五位下叙位
(左近将監とも)
将監:従六位上相当官
安和二年(969)相模権介(従六位上相当官)
天延三年(975)左馬助(正六位下相当官)
貞元元年(976)相模権守従五位下相当官)
貞元二年(977)三条左大臣前栽歌合藤原頼忠
天元年間前後
(978〜983)
肥後(大国)守、
筑前(上国)守歴任。
肥後国司(従五位上相当官)
筑前国司(従五位下相当官)
拾遺集・巻6・別・349
「筑紫へ下りける道にて」
拾遺集・巻10・神楽歌・591
「箱崎を身侍りて」
寛和元年(985)(国司を終えて?)円融院子の日行幸和歌出詠
正暦二年(991)太宰大弐藤原佐理を頼る。
長徳元年(995)陸奥守藤原実方に
陸奥へ随行。
陸奥・安達ヶ原、黒塚
拾遺集・巻7・物名・385
「名取の郡」
拾遺集・巻9・雑下・559
「陸奥名取郡黒塚といふところに・・・」
長保二年(1000)頃60余歳で陸奥に没。安達郡・安達ヶ原
  (注1)帯刀長:帯刀舎人長(たちはきとねりのおさ)
              (私的呼称として帯刀先生:たちはきせんじょう)
         帯刀の役職としては、部領(ことり)左右二名・脇左右二名・連の合計30名
         騎射に長じた者が就く、「帯刀試」なる採用試験あり。
          (引用資料:和田英松「官職要解」講談社学術文庫621)
 (注2)百首歌:定数歌百首詠みの嚆矢。憲平親王に献上。重之集に収録。
         春・夏・秋・冬各20首、恋10首、うらみ10首、いはひ3首からなる。
         これらの中から3首(83,223,262番)が拾遺和歌集に採歌され、
         恋部から1首(303番)が百人一首歌になっている。

    「夏にこそ咲きかかりけれ藤の花松にとのみも思ひけるかな」(巻第二・夏・83)
    「葦の葉に隠れて住みし津の国のこやもあらはに冬はきにけり」(巻第四・冬・223)
    「ゆきつもるおのが年をば知らずして春をばあすと聞くぞ嬉しき」(巻第四・冬・262)

 上記の略歴表から、海岸の荒波の景観に惹かれたであろう体験は、相模国あるいは筑前国に赴任した
期間が考えられます。特に相模国には、権介および権守と二回も赴任しているわけですから、相模国の
景観は、重之には親しい思い出になっている環境でしょう。

 「重之集」の中で、相模の詞書きを含む歌を抽出しますと次の歌があります。

 ーさがみにて
 「こゆるぎのいそのわかめもからぬみにおきのこなみやたれにかすらん」(163番)

 そういえば、「くだけて」の歌語から源実朝のかの有名な歌を思い出します。

    「大海の磯もとどろによする波割れてくだけて裂けて散るかも」(金塊和歌集)

 実朝の歌の背景には、重之が「くだけて」「物思ふ」ことを念頭に置いたと同じ感情が含まれて
詠んでいるのかもしれません。単純な海岸の荒々しい波濤風景の描写ではない何かが含まれている
ような気がしてなりません。
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<重之集の歌枕>

  
  重之が百人一首歌で詠んだような和歌世界は、「重之集」でどのように展開しているのでしょうか。
 次の三点に分類して「重之世界」を引き出してみます。

 1.「重之が上巻」に於ける「つくし」の世界
 2.「重之が上巻」および「重之が下巻」に於ける「みちのく」の世界
 3.「重之百首」における恋十首
 
(その1)「重之集」に於ける「筑紫」の世界
     「つくし」国とは、時代によって意味する地域が違うようです。古語辞典によりますと、
    (1)九州地方全体の総称
    (2)九州の北半分、肥の国(肥前・肥後)と豊の国(豊前・豊後)
    (3)筑前・筑後
    (4)筑前のみに限定した呼称
    (5)太宰府の代称
   などですが、源重之の場合、彼の私家集での詞書きなどは、多分に(4)筑前守を前提にして
   いるようにおもいます。

    「重之集」における詞書きあるいは和歌の歌語で「つくし」に関係のあるものをあげますと、
   次のようになります。

   ( 1番)三位の大弐、
   ( 2番)かまどやま(添付写真参照)(下記参考メモ参照方)
   ( 3番)はこざきのみや(箱崎宮)(添付写真参照)
   ( 4番)いきのまつばら(生の松原)(添付写真参照)
   ( 5番、6番)しがのしま(志賀島)(添付写真参照)
   ( 7番)そめかは(下記参考メモ参照方)(某大學の先生の情報を参考にしている)
       「そめかはのにしきよせくるしらなみはきくにもたがふいろにざりける」
   ( 8番)うさを(宇佐八幡宮の縁語としての掛詞「憂さ」らしい)
       「つくしへとくやしくなににいそぎけむかずならぬみのうさやかはれる」
   ( 9番、10番)ちかのしま(下記参考メモ参照方)
       「名をたのみちかのしまへとこぎくれば今日もふなぢにくれぬべきかな」
   (11番)みのしま(下記参考メモ参照方)(某大學の先生の情報および福岡県大阪事務所の
        ご教示の情報を参考にしている)
       「むらさめにぬるる衣のあやなきになをみのしまのなをやからまし」
   (36番)つくしへゆくに
   (58番)つくしにて、をんなにあひて、あか月がたにいひやる 

    これら約13首の和歌に詞書きされた「心の風景」は、重之が実際に見たものもあれば、
   単なる歌枕として詠んだものもあるでしょう。さしずめ、「かまどやま」「箱崎宮」「生の
   松原」「志賀島」などは、実景でしょうが、「そめかは」あるいは「みのしま」など現状が
   維持できていないところであったり、場所が特定できないものもあります。
    それに「うさ」が宇佐であるなら、筑前国の隣国になりますし、
   「ちかのしま」(値嘉島)は五島列島になります。(値嘉島は、下記参考メモ参照方)
    これらの歌では、「そめ(染め)」「うさ(憂さ)」「ちか(近し)」「みの(蓑)」を
   言いたいための単なる歌語に過ぎず、「歌枕」というほどの内容を含ませていないのでは
   と思います。   

  (参考メモ)
   (その1)竈門山
        太宰府・宝満山、「けむり」と共に詠まれた歌枕。
       「春は燃え秋は焦がるる竈門山霞も霧も煙りとぞ見る」
                        (拾遺集・巻第18・雑賀・1180)
        拾遺集では、次の詞書きに上句が提示され、それに清原元輔が下句を足して連歌に
        なしています。果たして誰の詠みなのでしょうか。

   (その2)染川
        筑紫の歌枕。筑前国(太宰府市天満宮近く)を流れる藍染川、
        現在ではほぼ側溝の状態とのこと。
        「おもひそめかは」「こころづくし」「色めく」「あだなる」などで詠まれている。
        伊勢物語第61段での業平の歌。
        「染川を渡らむ人のいかでかは色になるてふことのなからむ」
                        (拾遺集・巻19・雑恋・1234・業平朝臣)
        「染河に宿借る浪のはやければなき名立つとも今は怨まじ」
                        (拾遺集・巻12・恋二・705・源重之)
   (その3)値嘉島 
        長崎県福江市の西日本の最西端の列島。東シナ海上約100kmに点在する
        福江島他からなる五島列島の一島。
         紀元前ー縄文時代以前の遺跡あり。
         古代ー「肥前風土記」に松浦郡西南海上値嘉郷ありと言及されている。
            「小近島」「大近島」には住人あり。
         平安期ー貞観十八年(876)一時肥前国より独立。遣唐使の南路コースに
             当たっていた。
         中世ー和冦の根拠地。
         近世ー五島氏(本拠地福江)・松浦氏(本拠地・平戸)
   (その4)簑島 または、美野島か
        簑島は、筑前の筑前の隣国豊前国になる現在の行橋市の海岸近くの干拓地が嘗ての
        沖合の島であったところとなります。
        美野島の場合は、福岡市内蓑島町で、博多駅の西南に位置する那珂川右岸の一地区で
        昔は、那珂川河口にあった島ということになります。
        なお、同じ地名は他にもあり、一例、能因法師の手になる「能因歌枕」では備中国の
        場所に言及されているようです。

重之の筑紫国歌枕世界


(上左)太宰府北東の宝満山(竈門山)麓の竈門神社(祭神・玉依姫命)(上右)筥崎宮本殿
(下左)上空から見た生の松原(下右)志賀島
(その2)「重之集」に於ける「陸奥」の世界
         連載第158回「源重之ー安達ヶ原」に採り上げます。

(その3)「重之集」に於ける「恋十首」歌 
         「恋十首」には、歌枕が多く用いられて、大変興味深い歌が集まっています。    

    301番歌 こひしさをなぐさみがてら すがはらやふしみに きてもねられざりけり
               (拾遺集・巻第十五・恋五・938・重之)
          <伏見>奈良市菅原町、(あるいは京都市伏見区の伏見一帯)。

    302番歌 おもひやる我がころもでは なにはめのあしの うらばのかわくよぞなき
          <なには・あし>「第149回 皇嘉門院別当ー難波江の葦原」 参照方

    303番歌 かぜをいたみいはうつなみのおのれのみくだけてものをおもふころかな
               (詞花集・巻第七・恋上・210)(百人一首歌)
          
    305番歌 まつしまのいしまのいそにあさりせしあまのそでこそかくはぬれしか
          まつしまや雄島の磯にあさりせしあまのそでこそかくはぬれしか
               (後拾遺集・巻第十四・恋四・828)(百人一首歌90番の本歌)
          <松島・雄島> 「第7回 殷富門院大輔ー雄島の磯」(別冊単行本参照方)

    306番歌 よどのつと みまくさがりにゆく人もくれにはただにかへるものかは
          <淀>京都市伏見区内の桂川・宇治川・木津川の合流地点。水がよどむことで
           名付けられた。
           「山城の淀の若菰かりにだに来ぬ人頼む我ぞはかなき」
               (古今集・巻第十五・恋五・759・読人不知)
         
    307番歌 そのはらやふせやに とづくかけはしのたがためにかは我はわたしし
          <園原>
          長野県下伊那郡阿智村。古代幹線道である東山道の阿智駅のあったところ。
           「園原や伏屋に生ふるははき木のありとは見えて逢はぬ君かな」
               (新古今集・巻第十一・恋一・997・坂上是則)

    308番歌 筑波山 狭山重山しげけれどおもひいるにはさはらざりけり
               (新古今集・巻第十一・恋一・1013)
          <筑波山(嶺)>古代歌垣が行われた茨城県筑波・新治・真壁三郡に跨る山。
           女体・男体の対の山頂を有する。百人一首第13番陽成院歌。
          
 
    309番歌 なとりがは わたりてつくるをしまだをもるにつけつつよがれのみする
          <名取川>(第158回 安達ヶ原参照方)
          宮城県名取市を流れる川。
           「陸奥にありといふなる名取川なき名とりてはくるしかりけり」
                   (古今集・巻第十三・恋三・628・忠岑)

    310番歌 あらなみの まがきのしまに 立ち寄ればあまこそつねにたれととがむれ
          <籬の島>(第158回 安達ヶ原参照方)
          宮城県塩竃市東方の島。「まがき」より「人を隔てる」意味に用いて
          陸奥から都恋しの詠みになる。
           「明け暮れはまがきの島を眺めつつ都恋しきねをのみぞなく」
                   (新勅撰集・巻第十九・雑四・1313・源信明朝臣)
     
    これら十首全体を通して見ますと、どことなく百人一首歌とおなじ「海」「波」「川」「島」
   などに関連した歌語が多いように思います。どうも重之の「心象風景」は、いつも海辺や岸辺
   など水辺に立ってのもののようです。

    この「心象風景」の展開は、「恋十首」に続いて「うらみ十首」でも、かなり引き継がれて
   いるように感じます。
    すなわち次のような歌語の引用が見られるのです。
  
    311番歌(たかさご)        312番歌(みづのうへにうきたるあは)
    314番歌(みさごゐるあらいそなみ) 315番歌(衣がは・・・・なみ・・・)
    316番歌(きさかたやなぎさ・・・) 317番歌(いそはみなほみちくれど・・)
    318番歌(なみをりき・・・)    319番歌(たけくまのはまべ)
    320番歌(みなかみ・・・みづ・・)

    常に心の内では「岩打つ波」の音とその海岸風景や水辺の風景が過ぎっているのでしょうか。
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平成16年3月12日(19日追記)・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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