敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 156 回  *** 第40番・その2 ***
*****  壬生忠岑ーおほせの甲斐下向 *****

目    次
<忠岑の海道下り> <甲斐国府周辺> <参考メモ・忠岑集の甲斐下向長歌>

百人一首・第40番 有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし


 第155回で連載しました壬生忠岑の東国下りを追ってみたいと思います。

壬生忠岑人物像(若鶴百人一首・国文学研究資料館の資料より)

<忠岑の海道下り>

  壬生忠岑の官職歴は摂津権大目で終わる生涯卑官の域を脱することができませんでした。古今和歌集
編纂期の10世紀初頭、紀貫之に願い出て、右衛門府生に昇進できても、なお不満であったようです。

 陽成院に近侍していた折、院の使いとして「甲斐国にまかりたりし」ということもあったようです。
 昇進のままならぬ身で京中を徘徊しているより、甲斐国への使いは、気晴らしになったのか、厄介な
長旅の「おほせ」でさらに嘆きを深めたのでしょうか。如何なる気分で、逢坂山を越えて東国へ下って
いったのでしょうか。
 この辺りの思うところを忠岑は延々と長歌(添付の「忠岑集」参考メモ参照方)に残しています。

 「忠岑集」で「甲斐」を言及している歌は次のようになっています。
(その1)第79番歌の詞書きに 「かひのくにのまかり申に」となって

    「きみがためいのちかひへぞわれはゆくつるてふこほりちよをうるなり」

        (注)まかり申(まかりまうす):いとまごいを申し上げる、別れの挨拶をする。
              いのちかひ:命に代えての意味の「かふ」と「かひ」(甲斐国)を掛けているのでしょう。
       つるてふこほり:これは甲斐国の東部の一郡(下記甲斐国地図(左)参照)で、
       「都留郡」と「鶴」の長寿の鳥名を掛けている。
       甲斐国府:駿河国から甲斐路を北に上がっていくと国府に達する。(同じく下記地図
            (中)参照)国府は、時代によって八代郡に設置したり、山梨郡に移され
            たりしているが、いずれもほぼ甲斐国の中心部笛吹川の畔にある。
            現在の山梨県県庁は、巨麻郡の東端に位置している。(同じく下記地図
            (右)参照)

甲斐国地理
(その2)第83番歌の詞書きに
    ーかひのくににまかりたりしほどに、たのみはべりしをんな、人になたち侍けるをききて、
     かへりまうできて、
     「わすれかはまたやわたらぬうきことのわすられずのみおもほゆるかな」

(その3)第83番歌の後に、第84番長歌が続いています。この長歌の前半に詠い込まれている
     忠岑の「海道下り」の道程を追ってみましょう。全文は、<参考メモ>参照方。

     「さきのすべらの おほせにて」:宇多朝の時に詠んだ長歌として「さきのすべら」
                     (先の皇)とは、陽成院ということにしておきます。
     「しらくもゐなる」:「白雲の雲居」という言い方の「遠い遠い」ところと言うこと。
     「かひがねに さしつかわしし」:「甲斐のね(嶺・峯)」と縁語としての「かひ」
                     (峡・峡谷)を掛けているのでしょう。

     海道下りにあたって、辛い別れをしなければならない人には、次のように念押しして、
     「よひごとに ちぎりしことは ・・・・あだなみたつな てふことを をりかへしつつ
      いひおきて」「こころのやみに まどひつつ」、こころのこりながら、
     「しぐれとともに ふりでにし」東国下向であったのです。
     しかしながら、「まなこのきりは たちみだれ あづまのみちも みえざりき」と涙に
     くれました。

   「あふさかやま(逢坂山)を こえいでて しげきおもひを」
   「やましな(山科)の 山をうしろに みなしつつ うしろめたしと おもひおきて」
   「わがみはせた(瀬田)の はしにいたり いかにせましと うちなげき」
   「あふみのうみ(近江の海)を みやりにし やんごとなみの たちしかば はるかにみえし」
   「たてじまの からきわかれを」
   「するが(駿河)なる ふじ(不二)のみ山と くゆれども つひにとまらぬ みちなれば」
   「たむけのかみを うちねぎて さてゆくほどに いたりにき」

      不承不承の「やんごとなみの」海道下りに、心はいつも都に「うしろめたし」と
     後ろ髪を引かれながら、つらい「うちなげき」の道行きとなりました。
      甲斐の国は、駿河国の不二山を「くゆ(越ゆ)れども」「つひにとまらぬ」路で、さらに
     奥津城の国であるため、道祖神(「たむけのかみ」)には、うちねぎ(うち祈ぎ)て、
     「甲斐国」に「いたりにき」。
                    
(その4)第87番の長歌も第84番歌と関係している内容です。歌枕だけ追ってみますと
     次のようになります。
     84番歌では、「かひがねに さしつかは」された時を「こぞのこぞ」(一昨年)とし、
     87番歌では、「ことしより かへるみとせの ふゆのき」ですから、3年前の冬として
    甲斐国への下向を長歌に詠んでいます。
     この歌での歌枕は、「せた(瀬田)」「あふみのうみ(近江の海)」「かがみやま(鏡山)」
    「あふさか(逢坂)」などです。

     この歌の結論は、思いを懸ける人に「あふことなみに ぬれごろも ほさでやただに
    やみぬべき おもひのほかに うつりはてなん」の言葉で締めくくっています。
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<甲斐国府周辺>

 古代や中世に於ける甲斐国への道筋は、駿河国の籠阪峠から御坂峠を越えて笛吹川流域の国府に到る
甲斐路が主要路であったのです。もっとも国府そのものは笛吹川の右岸北側の現在東山梨郡春日居町が
初期の国衙跡とされたり、転々と場所を変えていったと推定されています。
 なお、国分寺址、国分尼寺跡は東八代郡一宮町国分にあり、町内の浅間神社は町名の通り当国一宮
です。

(その1)石和町・春日居町

 東京新宿から中央線に乗って約2時間、相模国から桂川を遡ることによって大月経由、甲府盆地に
入ることが出来ます。甲府の東部石和(いさわ)温泉駅に下車すると、駅に北側には麓に山梨岡神社が
ある山脈が迫り、東も西も南方の富士山の方向にも四周見渡す限り山並みに囲まれている盆地の真っ直
中にいる実感が持てます。

(左)中央線の車窓から見た甲府盆地の山々(右)笛吹川に架かる笛吹橋から見た甲府盆地の山々
 駅名になっている「石和温泉」は駅の東側旧笛吹川河川敷や川中島地区には、多くの旅館が街を成し
ています。嘗て笛吹川は、現在温泉街の中心を流れる近津用水の所を流れていたもので、川名の由来
する笛吹権三郎の昔話が石和橋上に記念像とともに語られています。
 石和の地は、中世の武将武田氏族の拠点となったところで、奈良朝以来甲斐盆地の中心であったこと
が分かります。


(左)石和温泉駅前の観光案内板(右)石和橋上の笛吹権三郎の記念像
 駅より南に下りますと、笛吹川右岸に達し、笛吹橋の上から、さらに雄大な甲府盆地の周囲を取り
囲む山々を眺めることが出来ます。
 笛吹川を渡って東方に行くと浅間神社の一宮にいたり、南に向かうと国分寺および平安時代の国衙の
跡である御坂町に行くことが出来ます。    


(その2)国府地区

 奈良時代、大宝律令期における初代国府は春日居町国府地区にあったと推定されています。
 近津用水から北側には、国府の明確な条里跡は残っていないのですが、わずかに南北の中心道
(御庁通り)が想像できる道は、甲斐奈神社の西側に認められ、当地区自治体の教育委員会の発掘
調査に依る検証が待たれるところです。国府という地名の名残といい、「甲斐奈」という地名に
なんとか後世に伝承しておきたいところです。

甲斐奈神社前の風景
 昭和63年以来の5カ年に渡る調査の結果では、国府の場所は鎮目地区とされて、JR中央線が
その東北隅から南西隅にほぼ対角線上に横切っていることになります。国府の北には、寺本廃寺が
南には、甲斐奈神社が、西山には山梨岡神社が周囲を固めていることになります。  

(その3)寺本地区
 
 甲斐奈神社の脇道を北へ上がって行きますと、農家の庭先にリンゴの木が実を付けており、家の
裏には、ブドウ畑といういかにも果実の里甲斐国に相応しい農村風景の中を歩くことができます。
 春日居町町役場の南地区にあたる寺本には寺本廃寺跡の礎石が残されています。同寺には、
1300年前の白鳳期(7世紀後半)に創建された甲斐国最古の寺院で国府寺院とも推定され、
寺域は方一町(約130平方m)とされ、食堂、講堂とともに三重塔も存在したと伝えられています。

(左)寺本廃寺の礎石(右)寺本廃寺の三重塔の模型
 寺本廃寺の伽藍配置は奈良の法起寺式で三重塔と金堂は講堂と中門を結ぶ長方形の回廊内にあり、
食堂や鐘楼などは講堂の北側にあったと推定されています。


(その4)加茂・郷土館

 白鳳期から1300年後の平成の世に於いて、かっては、甲斐国の中心地には、地方自治体としての
春日居町役場が建っています。併せて、近くには、春日居町郷土館も併置されており、その展示物品に
よって嘗てこの地が甲斐国の中心地であったことを偲ばせてくれます。
 特別展示室には、昭和の初期ハンセン病患者救済に生涯を捧げた春日居町名誉町民第一号の小川正子
さんに関する展示品も併置されています。

 郷土館の東側には、加茂春日神社があり、かって加茂社は、欽明天皇の御代(1400年前)に、
春日社は、文武天皇の御代(1200年前)に祭祀されたとされ、武神として武将の信仰が厚かった
とのこと。かの東夷征伐途上の八幡太郎義家も康平年間(約900年前)武運を祈願したとされる
由緒ある神社のようです。

(左)春日居町役場(右)加茂春日神社
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<参考メモ・忠岑集の甲斐下向長歌>

 こぞのこぞ とつぎのゆはり ありしとき さきのすべらの おほせにて しらくもゐなる
 かひがねに さしつかはしし ときはわが ゆめよゆめよと よひごとに ちぎりしことは
 わたのはら ふかみどりにて ありそうみのあだなみたつな てふことを をりかへしつつ
 いひおきて しぐれとともに ふりでにし まなこのきりは たちみだれ あづまのみちも
 みえざりき こころのやみに まどひつつ あふさかやまを こえいでて しげきおもひを
 やましなの やまをうしろに みなしつつ うしろめたしと おもひおきてわがみはせたの
 はしにいたりいかにせましと うちなげき あふみのうみを みやりしに なんごとなみの
 たちしかば はるかにみえし たてじまの からきわかれを するがなる ふじのみやまと
 くゆれども つひにとまらぬ みちなれば たむけのかみを うちねぎて さてゆくほどに
 いたりにき のこれるふゆは はななくて くさのまくらに わびくらし としだにこえば
 はるがすみ たちかへりなんとおもひしを わがなすことの しずはたに みだれてならず
 ありしかば たちとどまりて へしほどに せみのはつこゑ なきしなへ みやこよりこし
 よぶこどり そらになくねを ききしかば きみまつやまは もみぢして なみさへこゆと
 つげしをば くものうかべる ごとなれば よにもあらしの かぜふきて はれたるそらを
 うちながめ いつしかやまに たちのぼり まつやまごとに うつろひて ありどみんとぞ
 いそぎこし なにかはさらに さりければ いろのみどりも さしながら こころねさへぞ
 かれにける さりともみづの あわごころ すみもしぬべく おもひしを にごりそめにし
 あさきせは かげみることの かたぶちに いでいりこひに にほどりの したさわがしう
 かよはすを よをうきくさの かくせども かくしもあへず なにはがた なにはにおふる
 あしのねの あしたゆふべに あらはれて きこゆることを くるしげに もえいでほかに
 うつろひにけり
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平成16年3月7日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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