敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 151 回  *** 第18番・その2 ***
*****  藤原敏行朝臣ー和歌の夢の路 *****

目    次
<百人一首歌碑> <敏行集> <業平との関係>

百人一首・第18番 住之江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ


<百人一首歌碑>

 藤原敏行の百人一首歌の「キーワード」は「夢の通ひ路」でしょう。この第四句だけでも敏行が
詠みたいと思った目的はほぼ達成している程の意味合いを持っています。その「夢の通ひ路」に
適合して連想される歌枕として「住吉の神」が最適です。なぜなら住吉の神は「和歌の神」「お祓いの
神」「夢路に乗り出すための船の航海安全の神」でもあるからです。

 その住吉神社の岸辺にひたひたと寄せる波にも「夢路にかよふ」恋心が「重く重く」と相手に
向かって押し寄せている連想を引き起こさせ、誠に歌語としてぴったりの組み合わせになっている
ことが解ります。

 しかるに、前章で垣間見ましたように、この歌に関連する現在の「住之江の岸」環境は、「夢の
通ひ路」を連想させる「住之江の岸」の風景は殆ど消え失せて、夢の世界への連想をかき消す物
ばかりが目に付く「住吉大社」周辺の平成現代風景です。
 そんな殺伐たる風景になってしまった「すみのえ」ですが、敏行朝臣が今を歌に詠むならば、如何
なる情景と捉えたでしょうか。歌を詠む景物にあらず、と見放したことでしょう。
 いつまでも歌枕であり続けて欲しい「住之江の岸」であるところですが。

 現在「住吉大社」駅の西側は、住吉公園として辛うじて大社周辺の環境が保護されていますが、
本殿周辺は市内電車が走り、車が警笛を鳴らし、民家の甍が神殿を圧迫し、神殿前のお田植えの地も
細々と神事祭祀場の雰囲気を残しているところです。
 万葉期の人々や平安朝の歌人達が詠んだ「住之江の岸」は誠にのんびりとした白砂青松の海岸と
鎮守の森の浜であったわけですが、時代が下がるに従って周辺には人々が集まり、現在では市街地の
真ん中になってしまいました。

 萬葉の世界や藤原敏行の「住之江の岸」を探しますと、辛うじて嘗ての紀州街道を辿ることによって
伺うことが出来ます。
 住吉大社の前を南下している「紀州街道」をさらに和歌山方面に向かいますと、安立町内に入り、
街道沿いに「霰松原」の旧跡を見つけることが出来ます。因みに地名「安立」は、江戸初期元和年間
(1615〜1624)当地に半井安立(なからいあんりゅう)が定住したと、あるいは、僧安立が
この地を開発したなどの関わりが云われてきました。

 住之江の浜辺での万葉集歌としては、次の歌が当地の詠みであろうとされています。
 
 長皇子の御歌
 「あられ打つ安良礼松原住吉の弟日娘と見れど飽かぬかも」(万葉集・巻一・65)

万葉集故地「霰松原」、安立本通り商店街の一角の風景
 霰松原を過ぎて、さらに安立本通り商店街を抜けきったところに浄土宗正音山来迎阿弥陀寺があり、
本堂へ上がる階段の左手前に藤原敏行朝臣が「百人一首歌碑」となって参詣されています。

藤原敏行百人一首歌碑(住之江区安立地区)
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<敏行集>

  
  「夢の路」を敏行の歌集に追ってみましょう。
 「敏行集」には24首が残されていて、そのうち19首が古今和歌集に採られているのです。それらは
秋歌と恋歌がほとんどで、全部で15首になります。
 秋上の巻頭歌として、私家集14番の次の有名な歌があります。

 「あききぬとめにはさやかにみえねどもかぜのおとにぞおどろかれぬる」
                             (古今集・巻四・秋上・169)
 「おどろかれぬる」という歌語は敏行朝臣のお得意らしくて、お好みでもあるようです。敏行集の
1番歌も次のようになっています。

 「ふるゆきのみのしろごろもうちきつつはるきにけりとおどろかれぬる」

 因みに、古今和歌集全1100首の巻末を飾る、すなわち「取り」を仕るは、藤原敏行朝臣殿です。

 「ちはやぶる賀茂の社の姫小松万代経るとも色は変らじ」
                   (敏行集・6番)(古今集・巻第二十・東歌・1100)

 さて、「敏行の夢路の世界」を追ってみますと、百人一首での「夢の通ひ路」は、「夢の直路」と
言い換えて、私家集の9番歌として次のように歌われています。

 「こひわびてうちぬるなかにゆきかよふゆめのただぢはうつつならなむ」
                            (古今集・巻十二・恋二・558)
 夢の世界への敏行朝臣の思い入れは、これら二首の歌からでも、十分に伺うことが出来ます。

 敏行集中の敏行朝臣が歌語世界を一二挙げておきましょう。、

 (その1)雨
  「あけぬとてかへるみちにはこきたれてあめもなみだもふりにこそふれ」(敏行集・5番歌)
     (夜が明けると悲しい別れ、そこへ雨が降ってきたのでしょうか。
      涙の別れに、泣きっつらにはち、えい、ままよ、どうにでも降れ、と
      いった気持ちでしょう。)
  「春雨の花の枝よりながれこばぬれこそぬれめなにかかくれむ」(敏行集・22番歌)
     (この粋な気持ちは、実方朝臣のいわく付きの歌(かの藤原行成に馬鹿にされた歌)と
      おなじ粋人の歌です。
           「桜狩り雨はふりきぬおなじくはぬるとも花のかげにやどらむ」(撰集抄・藤原実方)

 (その2)ほととぎす
  「いくばくのたをつくればかほととぎすしでのたをさをあさなあさなよぶ」(敏行集・4番歌)
     (敏行の歌の世界では「うつつ」を動き廻るだけのものでなく、つねに非現実の世界、
      それは夢へ通じる世界であったり、死出の路であったりするもののようです。
      この歌は、時鳥がこの世と死後の世界を行き来する鳥であるという迷信を取り上げて
      いるのです。なんとなく、諧謔半分という感じはなきにしもあらずですが、多分に
      死出の旅を信じているからこその歌でしょう。
  「我が如くものやかなしきほととぎすときぞともなくよただなくらん」(敏行集・8番歌)
     (時鳥の声を聴いていると、何となく悲しくなるのでしょう。「ときぞともなく」
      何時何時と決めないで、常に悲しくなるのは、「ほととぎす」ではなく、歌人その
      人なのです。昼間だけの嘆きの涙では、足らなくて「よただ」(夜直、夜通し)に
      泣きたくなると言うのです。
      これは敏行一人でなくて、主要古今和歌集歌人ら(貫之・友則・躬恒)も次のように
      詠んでいます。五月雨ー時鳥ー世の中の憂さに泣き続けるー我が身という物思いの
      順序です。
      「五月雨の空もとどろに時鳥何をうしとか夜直なくらむ」(巻三・夏・160・貫之)
      「五月雨に物思ひをれば時鳥夜深く鳴きていづち行くらむ」(巻三・夏・153・友則)
      「時鳥我とはなしに卯の花の憂き世の中に鳴き渡るらむ」(巻三・夏・164・躬恒)
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<業平との関係>

 前に挙げた「敏行集」に業平と敏行の関係する歌が含まれています。

 ーなりひら朝臣のいへにはべりけるをんなのもとにつかはす
 「つれづれのながめにまさるなみだがはそでのみぬれてあふよしもなし」
              (敏行集・第7番歌)(古今集・巻第十三・恋二・616)
 「長雨」に降り籠められて「つれづれ」の時間を過ごしている。「をんな」に逢いたいのに
「あふよしもなし」で、なおさら、「つれづれ」のときにふる「長雨」を「ながめ」ているしかない。
「をんな」を「ながめ」たいが、その「よしもなし」。ますます増えに「まさる」ものは、「長雨」の
「かは」と「なみだ」の「かは」だけだ。「そでのみ」「ぬれて」いるしかない。

 この歌に対して「かへし」が古今集に繋がれています。
 
 ーかの女に代わりて、返しによめる  業平朝臣
 「浅みこそ袖はひつらめ涙川身さへ流るときかばたのまむ」
                        (古今集・巻第十三・恋二・617)
 袖が「ひつ(漬つ)」程度では、思いが不足。「なみだ川」に「身さへ」「流」されるぐらい涙に
 咽んでいるのならお相手しましょうものを、といわれると、今一層の思いの涙を流して自分の身も
 流さなくてはなりません。業平朝臣の方が、「おおげささ」が一枚上というわけです。   


 さて、藤原敏行の身辺は、在原業平と非常に身近であることが解ります。

 (父親の系統)
 藤原不比等ー武智麻呂ー巨勢麻呂ー真作ー村田ー富士麿ー敏行
                      ー三成ー*ー*ー*ー右近
                      ー三守ー*−*ー*ー棟世
 父親の兄弟の末裔に歌人の右近や、清少納言の夫とされた棟世などが係累に入っています。

 (母親の系統)
 紀勝長ー興道ー本道ー望行ー貫之
          ー有朋ー友則
    ー名虎ー女子(藤原富士麿との間に敏行を生む)
       ー有常(娘が藤原敏行と結婚する)
           (姉妹が在原業平と結婚する)
       ー静子(文徳天皇との間に惟喬親王を生む)
 
 以上の係累より、敏行は、在原業平や惟喬親王との関係が深いことが解ります。

藤原敏行朝臣の光琳カルタ絵
(参考メモ)藤原敏行朝臣の官歴概略
    
      推定生年 天長年間(824〜833)ではないでしょうか。(単なる憶測)
      貞観八年(866)正月 少内記を振り出しに、図書頭、因幡守、右兵衛佐、
                  右近少将、権中将、蔵人頭、春宮亮
      寛平九年(897)七月 従四位上
               九月 右兵衛督
      延喜元年(901)   没 又は、延喜七年(907)とも。

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平成16年1月25日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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