敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 150 回  *** 第18番・その1 ***
*****  藤原敏行朝臣ー歌枕・すみのえ *****

目    次
<住之江の岸> <住吉大社> <物語世界の住吉>

百人一首・第18番 住之江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ


<住之江の岸>

 「すみのえ」を辞書(広辞苑)でひきますと、「すみよしの古称」となっていて、住吉または墨江
あるいは清江と書いて、「すーみーのーえ」と読ませています。その「すみよし」をさらにひいて
みますと、「大阪市南部住吉区から堺市北部にまたがる地名。仁徳天皇時代、海上守護神住吉神
(すみのえのかみ)を勧請して、・・・・平安時代に<すみよし>の詠みが生じた。」
と説明しています。万葉集では、すべて「すみのえ」と詠まれていたものが、平安期和歌では、
「すみのえ」とも「すみよし」とも詠まれるようになりました。現在大阪市にも「住之江区」と
「住吉区」が名を残しています。

 「住吉の岸の松原遠つ神我が大王のいでましどころ」(巻三・295)
 「住吉の岸の松が根打ちさらし寄せ来る波の音のさやけさ」(巻七・1159)
 「住吉の岸の浦廻に重く波のしばしば妹を見むよしもがな」(巻十一・2735)

 「住之江の松を秋風吹くからに声うち添ふる沖つ白波」(古今集・巻七・賀歌・360)
 「我見ても久しくなりぬ住之江の岸の姫松幾世経ぬらむ」(古今集・巻十七・雑歌上・905)
 「住吉の岸の姫松人ならば幾世か経しと問はましものを」(古今集・巻十七・雑歌上・906)

住吉区と住之江区の地理
  大阪市南部の中心地所謂「みなみ」の難波から南方の和歌山に向かって走っている国道26号線
およびそれに沿って走っている私鉄路線群(南海電鉄及び阪堺電鉄)から西側が昔の「住之江の岸」に
当たるのでしょう。

  嘗ての「住之江の岸」の雰囲気を何とか後世へ伝えたいという気持ちは、辛うじて「住之江公園」に
名残を留めていると見るべきでしょうか。
 大阪の北の玄関である西梅田駅から出ている地下鉄四つ橋線の南端ターミナルになっている「住之江
公園前」駅は、東側に「住之江公園」、西側に「住之江競艇場」「住之江ゴルフセンター」が隣接して
いる典型的な昭和時代の港湾開発地区の様相を呈しています。
 「住之江公園」は、嘗ての和歌歌枕世界の「住之江の岸」に及ぶべくもありませんが、概して
周辺には緑の憩いの場所がない現代工業開発地区にあって唯一のくつろげる場所です。

住之江公園の庭園周辺の風景(日本庭園風ではなく、どことなく、唐土風)
背景は、園内の野球場の照明塔
 現在此の西地区には北側の淀川左岸より、此花区・港区・大正区・住之江区と4区が昔の「住之江の
岸」を埋立地と化して現在では多くの人々の生活の場となっています。何れも区名のみ昔を偲ばせるものに
なっているわけですが、此花区の北側を流れる現在の淀川は、明治時代(29年〜43年)に、昔の
中津川が改修掘削されて出来た人工河川で、明治時代の土木工事の成果です。

 港区の先端にある天保山築港は、まさしく名前のとおり、「天保二年(1831)安治川(新淀川が
出来るまでの旧淀川にあたる)浚渫の土砂を積み上げ高灯籠を設けて河口の目標として幕末に砲台を
築き、明治元年(1868)天皇が各藩の軍艦を親閲した」場所ですから、これは江戸時代の土木工事の
成果です。

天保山名所図会「大浚えの様子」
 大正区は西側を尻無川東側を木津川に囲まれた埋め立て島で、造船や鉄鋼など多くの近代工業工場群
が川端を占めている新興埋め立て地になります。さらにその南の住之江区は、北側を木津に南側を
大和川に挟まれた、これまた埋め立て地ですが、昭和期、特に第二次大戦後に沖へ沖へと伸びていった
埋め立て地で、江戸・明治時代の大阪港(天保山)に代わる新しい大阪の海の玄関として、南港が
構築され、隣接地にはフェリー航路の港湾施設、コンテナ運搬基地としての役目に加えて、商業地区と
しての建造物も増え、国際見本市会場、アジア・トレード・センター、西日本一の高さを誇るコスモ・
タワーはじめ、高層ビル群も出現しています。さらに此花区の先端には、次の21世紀に焦点を据えた
新たな埋め立て地群(舞州・夢州)が出現しかけており、ゆくゆくスポーツランドとして、2008年
には、大阪でのオリンピック競技場を目指しています。(平成7年10月15日記)
 (追記)その後、平成15年夏、2004年のギリシャ・記念オリンピック後の開催地は、
     中国北京に決定しました。

(左)此花区の21世紀の埋め立て地と舞州地区を結ぶ此花大橋
(右)北港ヨットハーバーより舞州方面を望む 目次に戻る

<住吉大社>

  
 住之江の岸もこの千年の間に約8kmほども沖合の方へ遠のいてしまいました。藤原敏行の平安期
には、住吉神社の前では、浜辺の白砂青松と潮風としか見聞きできなかったはずです。
  昔の名残は、南海電車の「住吉大社駅」前から西の方向海辺に向かって伸びている「住吉公園」と
その入口前に据えられた「高灯籠」レプリカに偲べましょうか。

住吉大社付近の地理


(上左)住吉公園前の「高灯籠」(始まりは鎌倉時代のわが国最初の燈台)
(上右)摂津名所図会の風景(出見浜の高灯炉と説明されている)
(下)住吉公園内の「心字池」辺りの風景(嘗ての住之江の岸に当たる)
 住吉大社へは、南海電車や阪堺電車ともに住吉神社前に停留所を持っていますので、昔も今もお宮
参りの人々の足になっています。
 南海電車「住吉大社」駅前から神社の大鳥居までは、由緒ある石灯籠群が並んだ参道になっています。
 正面の紀州街道には阪堺電車の鄙びた一両電車がのんびりと走っていて、何かほっとさせられる
風景です。

南海電車「住吉大社駅」前から住吉神社方面を望む

阪堺電車軌道前の住吉大社参道風景

住吉大社参道風景(左)正面大鳥居(右)太鼓橋と神殿正面
 住吉大社の「御由緒書」によりますと、御祭神は、底筒男神(そこつつのおのみこと)中筒男神
(なかつつのおのみこと)表筒男神(うわつつのおのみこと)息長足姫命(神功皇后)(神功皇后)の
四神で、各々の神を祭祀する本宮は、国宝の住吉造りで社殿を成しています。

住吉大社「御由緒」案内板と本殿
 神功皇后がこの地に御鎮祭されたのが皇后摂政十一年(211)とされるため、遣唐使をはじめと
する外交使節の航海守護神となったのでしょう。その歴史の古さは、伊勢神宮、大和大神神社あるいは
出雲大社に匹敵するものです。
 
 大社の由緒書きに依りますと、
  211年 神功皇后、田裳見宿禰に住吉大神鎮祭を命じる
 (313年 仁徳天皇、難波高津の宮、墨江の津を定める
  749年 住吉社遷宮(786年第二回遷宮、以下1991年第48回遷宮挙行し、
       2011年・平成23年第49回遷宮祭は、1800年式年になる)
  758年 孝謙天皇勅願、住吉神宮寺の創建
       (1873年廃寺になるまで、1115年間存続)

  以降の参拝者の人物はまさに日本歴史の流れそのままです。

  源満仲、源氏物語(紫式部)、平清盛、藤原俊成、後白河上皇、西行法師、藤原定家、楠木正行、
  後村上天皇、足利義詮、長慶天皇、足利義政、一休禅師、豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、
  井原西鶴、松尾芭蕉、松平定信、明治天皇、昭和天皇など。

 住吉の現在の地に鎮座する前は、天神橋の南詰めあたりの上町台地北端の港近くにあったとされ、
現在地では、今の境内(約十万平米)より遙かに広大な地(約二十二町)を占めていたようです。
 もともと難波の海浜は、住吉神領であったとされていますから、国家的役割を担わされた神社の
神域に相応しい雰囲気と環境を有していたと考えられます。

 全国2300余末社の本社として住吉大社は、お祓いの神、航海安全の神、和歌の神、農耕の神と
して信仰されてきました。
 一年に一度、畿内の人々は新年慶賀の初詣に、この大社に押し寄せていくのです。この風潮は、
神社信仰が一般庶民の慣習になった江戸期以来のもので、日本人の生活習慣になっています。住吉大社
が存続する限り関西人の新年行事となるのでしょう。昔は、住之江の岸に白波が押し寄せたのが、
今では、人の波が「重く、重く」「寄せ来る」ようになってしまいました。

 「夢の通ひ路」を連想させる「住之江の岸」の風景は消え失せて、夢をかき消す物ばかりが目に
付く「住吉大社」風景になってしまったわけですが、敏行朝臣が今を歌に詠むならば、如何なる情景と
捉えたでしょうか。いつまでも歌枕であり続けて欲しい「住之江の岸」であるところです。

住吉本社(出典:摂津名所図会巻之一・角川書店)

住吉の浜(出典:同上)
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<物語世界の住吉>

(その1)源氏物語

 「源氏物語」の中での「住吉大社」の情景を追ってみましょう。
 明石の巻では、「雨・風やまず、神、鳴りしづまらで」、源氏は「住吉の神、ちかき境を鎮め
守り給ふ、まことに跡を垂れ給ふ神ならば、たすけ給へ」と、「多くの大願を立て」、その甲斐あって
源氏は、都に戻り、内大臣にまで昇進することができました。
 続く澪標の巻では、「願どもはたし給ふべければ」「住吉にまうで給ふ」ことになり、「内大臣殿」
としての華麗な「御願はたし」「詣で」の行列が住吉大社の広々した松林の中を進みます。その様子を
紫式部は、次の一文で見事に描写しています。

 「松原の深緑なるに、花・紅葉をこきちらしたるとみゆるうへのきぬの、濃き薄き、数知らず。」
 (深い緑の松原の中に花紅葉が撒かれたように見えるのは袍のいろいろであった。)
               (出典:与謝野晶子「全訳源氏物語」角川文庫)

(その2)伊勢物語

 前に挙げた歌で、「伊勢物語」(百十七段)にも詠まれている、次の「住吉の岸」和歌があります。

 ーむかし、みかどすみよしに行幸したまひたりけるに
 「我見ても久しくなりぬ住吉のきしの姫松いく代へぬらん」

 ーおほん神、現形したまひて、
 「むつましと君は白波瑞垣の久しき世よりいはいそめてき」

 在原業平の歌とも見られています。併せて「伊勢物語」(六十八段)には、

 ー昔、をとこ、和泉の国へいきけり。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜をゆくに、
  いとおもしろければ、おりゐつつ行く。ある人、「すみよしの浜とよめ」といふ。

 「雁鳴きて菊の花咲く秋はあれど春の海辺に住吉の浜」

 とよめりければ、皆人々よまずなりにけり。
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平成16年1月22日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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