dd敷島随想書庫

敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 144 回  *** 第51番・その1 ***
*****  藤原実方朝臣ー清少納言の夫 *****

目    次
<枕草子の中の実方> <勅撰和歌集と私家集の中の実方> <実方の略歴>
<参考メモ・清少納言の夫君達>

百人一首・第51番 かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆるおもひを


<枕草子の中の実方>

 清少納言がその「枕草子」を通して映し出した彼女の周辺の男性は、清少納言の部分で連載しました
ように、上は一条天皇から始まって、政権担当の上級貴族からその取り巻きまで、かなりの数の
男性連となっています。

  夫として関係している男性連とは、橘則光、藤原棟世、藤原信義に加えて藤原実方も挙げられます。
 確実な最初の夫は橘則光で、その後の夫は藤原棟世となり、何人かの子供までもうけ、それぞれに
その人となりは歴史資料により辿れるようです。
 それでは、藤原実方の方は、どの程度清少納言の夫として裏付けがとれるのでしょうか。

光琳カルタの「藤原実方」
(その1)第33段(出典:「枕草子」角川文庫版)
    「小白河といふ所は、小一条の大将殿(右近衛大将・済時のこと)の御家ぞかし、・・・」

  小白河殿・藤原済時邸での華麗で賑やかな結縁八講に聴講したとき見聞した列席の
 貴族連を記したものです。
  言及されている「上達部の方々」には、「左右の両大臣」のほか、当時の主だった人々が集会した
 ようです。文中で名前が記されている人には、権中納言義懐(957〜1008)、三位中将道隆
 (953〜995)、参議佐理(944〜998)など、それに混じって左近衛少将実方も次の
 ように書き出されています。

 「実方の兵衛の佐、・・・家の子にて、今少し出で入り慣れたり。」
 「義懐の中納言の御さま、・・・実方の君に、消息をつきづきしう言ひつべからむ者、一人、
  と召せば、・・・」

 などと(返し歌を考えておく様に指示されて)、上達部の中で動き回っている実方を描写して
 います。
  解説書に依りますと当時は「清少納言が宮仕えの数年前のことで、登場する人物との関係が
 どの程度であったのか、十分察知できない。」とのことですが、別の解説に依りますと、小野宮家の
 上の女房という立場で出席したのではないかとされています。いずれにしても実方とはまだ十分
 昵懇になっていない時期に実方を離れたところから、好ましい目つきで眺めていると言った感じを
 受けます。


(その2)第88段(出典:「枕草子」角川文庫版)
    「宮の五節出ださせたまふに、・・・」

  この段は、五節の舞姫たちの準備の話しで、清少納言は歌詠みで名の知れ渡る実方を意識して、
 初めて、人を介して和歌の応答をしています。明らかに実方を数段上の歌の名手として敬意を払い
 ながらの挙動です。

  「小兵衛というが、赤紐の解けたるを(小兵衛)「これ、結ばばや」と言へば、実方の中将、
   寄りてつくろふに、ただならず。」

 (実方)あしひきの山井の水はこほれるをいかなる紐の解くるなるらむ
 (宮司)「詠む人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそうち言へ」と爪はじきをしありくが
     いとほしければ、
 (清少)うは氷りあはに結べる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりを

   弁のおもとというに伝へさすれば、・・・

 (実方)「なにとか、なにとか」・・・
   え聞きつけずなりぬこそ、なかなか恥隠すここちして、よかりしか。

  要は、小兵衛の女房に代詠してやった出来の今一つ良くない詠み歌を実方が十分聞き取れなかった
 のは、かえって恥かくしになって幸いであったという反省です。相当に実方を意識した歌の応答の
 回想です。


(その3)第140段(出典:「枕草子」角川文庫版)
    「なほめでたき事、・・・」

  賀茂の祭につけて、嘗ての日の実方を思いだした一時の回想文です。

  「・・・頭の中将といひける人の、年毎に舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、亡くなりて、
   上の社の橋の下にあなるを聞けば、・・・なほ、このめでたき事をこそ、さらにえ思ひ捨つ
   まじけれ。」

  実方が亡くなったあとで、舞人として毎年踊る身分であったことをなつかしく思い出さずには
 いられないという清少納言の実方への思い入れでありましょうか。

   枕草子に言及されている「上の社の橋の下」とは、上賀茂神社楼門前を流れる御手洗川に架かる
 「樟橋(一名長寿橋)」のたもとのことで、ここに「橋本社」(橋のたもとの小社ということ
  でしょう。)があり、衣通姫神を祭神とする一柱一座の小さい祠があり、和歌・芸能の神として
  祭られています。

上賀茂神社楼門前の和歌と芸能の上を祭る「橋本社」
  山城国一宮で先年世界文化遺産に登録された上賀茂神社(賀茂別雷神社)境内には、八摂社と
 十八末社があり、境内の中を流れる御手洗川に沿っては、この橋本社と在原業平に関係の深い
 「巖本社」(巌の上に鎮座している小祠)、「山ノ森神社」「梶田末社」、さらには「奈良神社」
 があり、対岸には、「藤原家隆」の百人一首の歌碑まで、近年建立されました。

橋本社から楼門への参道楼門

上賀茂神社境内巖本社と奈良の小川沿いの摂社
  なお、上賀茂神社とその摂社・末社については、後日探索する百人一首第98番歌人藤原家隆の
 項で言及します。
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<勅撰和歌集と私家集の中の実方>

  
(その1)拾遺集(巻14・恋四・850番歌)に次の歌が入集しています。

  ー元輔がむこになりてあしたに 藤原実方朝臣
  「ときのまも心は空になるものをいかですぐしし昔なるらむ」

  元輔を清原元輔とし、その娘は一人であったとしますと、実方は元輔女・清少納言の夫になったと
 いうことになりますが、二三点疑問が出てきています。
  異本拾遺集にある詞書きに「中将もとすけかむこになりての又のあしたに」とあり、作者は兵衛佐
 藤原のふかた(信賢)になっているというのです。この歌は、実方自詠歌は、信賢の代詠か、又は、
 「もとすけ」とは、藤原時平の孫、顕忠の子息元輔ではないかという可能性の指摘です。

  この歌の時点では、清原元輔卒去(正暦元年・990)以前で実方推定年齢31歳前後、清少納言
 21歳前後と推察されています。
  実方と清女の夫婦関係の可能性に対する一つの結論として、
 「結婚という明白な両家の結婚行事の行われた結びつきのない」関係であったのではないかという
 ものです。(引用資料:岸上慎二説、「枕草子講座」第一巻、有精堂・1986年9月)

(その2)後拾遺集(巻14・恋二・707番歌)

  ー清少納言にはしらせでたえぬなかにてはべりけるに、ひさしうおとづれはべらざりければ、
   よそよそにてものなどいひ侍けり、をんなをさしよりてわすれにけりなといひ侍りければよめる
  「わすれずよまたわすれずよかはらやのしたたくけぶりしたむせびつつ」

  このように清少納言にいやみをいわれ、いいわけをしたかと思えば、一方で、この歌の一番手前の
 入集歌には、次のような歌があります。

  ー語らひ侍りける女のこと人に物いふとききてつかはしける
  「うらかぜになびきにけりな里のあまのたくものけぶりこころよわさは」

 などと不安定な相手の女心をやや詰っています。
  なお、この歌に関する実方朝臣集では、第181番と182番に清少納言との歌の贈答になって
 います。

  ーもとすけがむすめの中宮にさぶらふを、おほかたにていとなつかしうかたらひて、人には
   しらせずたえぬなかにてあるを、いかなるにかひさしうおとづれぬを、おほぞうにてものなど
   いふに、女さしよりてわすれ給ひけるよといふ、いらへはせでたちにけり、すなわち、

  「わすれずよまたわすれずよかはらやのしたたくけぶりしたむせびつつ」(実方集181番歌)

  ー返し、せい少納言

  「あしのやのしたたくけぶりつれなくてたえざりけるもなにによりてぞ」

  この歌の「いらへ」も、どことなくぐちっぽい感じが匂ってくるものですが、かえってこういう
 親しみをこめて返せるほどの深い仲であったのかとも推し量られます。


 <<< 実方と清女の夫婦関係の見方 >>>
 「枕草子」あるいは和歌の中から、両人の関係を探るとき、実方は煌びやかな第一級の宮廷貴公子で
ある上、性格が奔放で宮中の儀式においても、先例にこだわらない宮廷社会をやや逸脱した挙動が
目立つ貴族であったのに対して、一介の受領層氏族の子女にすぎない清女にすれば実方は憧れの男性で
あったかもしれませんが、所詮住む世界の階層が違ったものであったようです。
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<実方の略歴>

 天徳四年(960)頃の生まれ(岸上博士説)、長徳四年(998)没ですから、四十賀を迎える
ことができませんでしたが、太く短く且つ華麗で粋な風流人貴公子として生涯を過ごした人物が想定
されます。小一条左大臣・師尹(920〜969)の孫、侍従定時の男、母は、左大臣源雅信女で、
藤原道長室倫子は叔母に当たる。

 父親定時が早世したので、その弟で伯父の小一条大将済時の養子として育てられ、次の官歴を
辿りました。
天禄三年・972左近将監
天禄四年・973従五位下
天延三年・975侍従
天元元年・978右兵衛権佐その後、左近少将を歴任。
寛和二年・986(右)兵衛佐枕草子33段「実方の兵衛の佐」
永祚元年・989右馬頭清女と結婚(萩原朴説)
正暦二年・991右近中将枕草子第88段「実方の中将」
枕草子第140段「頭の中将」
正暦四年・993左近中将「世のすきものにはづかしう
いひ思はれ給へる」(栄華物語)
清女出仕開始推定年
長徳元年・995陸奥守補任
長徳四年・998任地没「実方霊が雀となって清涼殿の台盤所に出現」
(「今鏡」説話)
雀と実方の説話は、第146回に連載予定。
  実方の人生の中で、最も大きな出来事は、長徳元年の陸奥守への赴任でしょう。栄職である宮中の
左近中将から、一転してそれよりやや官位の低い職への左遷に近い除目には、彼の関連する官人の
中から藤原行成がそのライバルとして取り上げられ、その蔵人頭への抜擢に対比して、いろいろな
両人の諍いが最もらしい説話となって後世に残りました。

 すなわち、東山に於ける俄雨の花見で詠んだ実方の歌

  「桜狩り雨は降りきぬおなじくは濡るともる花のかげにやどらん」(撰集抄)

に、行成がよからぬ評言(「実方は鳥滸(痴、尾籠)なり」おろかなこと、たわけ、良い意味でとっても
お人好し程度のこと)を吐いたために、これを深く怨みに思った実方は殿上で行成の冠を投げ捨てた
ところ、行成が沈着冷静にいなし、それを一条天皇が垣間見て、行成を高く買い、実方を貶めたという
話です。
瑠 最もらしくて興味津々なのでしょうが、どうも事実ではないようです。
 そのことは第145回連載分の実方集中に多く詠まれている陸奥関係の歌によってもわかります。
 朝廷に於いて、陸奥下向に際して、罷申の儀が執り行われ、位が一階級昇進していること、花山院を
はじめとして、多くの人々から別れの贈歌があることからも解ります。
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<参考メモ・清少納言の夫君達>

(参考メモ・その1)清少納言の最初の夫・橘則光
   橘氏族の氏長者・従三位大納言橘好古の子息は、同じ氏長者で正五位下の中宮亮駿河守敏政で
  その子息が最終官職陸奥守則光ということになります。母は、花山院御乳母(小右記による)。
   略歴は、次の通り。

   康保二年(965)生まれ、実方より5,6歳年下で、清少納言より、1,2歳年上。
   天元四年(981)清少納言と結婚。(角田文衛博士説)
   天元五年(982)長子則長(982〜1034)誕生。
            (後年彼は、正五位越中守、能因法師姉妹を室としていますから、
             百人一首歌人が遠戚筋にあれこれと存在します。)
   長徳元年(995)蔵人補(31歳)
   長徳四年(996)遠江守赴任。
   寛弘三年(1006)土佐守。(42歳)

   則光は武勇に優れ、率直剛腹な性格の武官タイプであったが、貴族的な高雅な趣味を有する文官
  には縁遠い人物であったようで、清少納言が大切にする世界とは、かなりずれたものであったよう
  です。加えて年齢が少ししか違わないために、彼女には則光が誠に頼りがいのない夫であったの
  かもしれません。
   清女自ら「枕草子」第80段(出典:「枕草子」角川文庫版)に、

   「このいもうと(妹)せうと(兄)といふことは、うへ(一条帝)までみな知ろしめし、
    殿人にも司の名をばいはで、(則光の官名は、修理亮)、せうととぞつけられたる。」

  などと公言して、離婚後も世間的には、兄と妹の様に振る舞って通している始末です。

(参考メモ・その2)清少納言の再婚の夫・藤原棟世
   藤原棟世の系譜は次の通り。

   鎌足ー不比等ー武智麻呂ー巨勢麻呂ー真作ー*−*−*−*−保方ー棟世
  
   すなわち、南家真作から数えて五代末裔が摂津の守棟世で、父は伊賀守でした。
   蔵人から越前守・山城守を歴任後、摂津守で、正四位下右中弁と言う位階に当たります。

   清少納言との結婚期には、二説ほど考察されています。

   (1)正暦二年(991)頃、棟世55歳、清女26歳で、再婚。
      (中宮定子への出仕、正暦四年の二年前。)
   (2)長保年間(999〜1004)頃、棟世70歳前後、清女34〜5歳の晩婚。
      (皇后定子崩御の長保二年(1000)の後年)

   二人の間に正暦三年(992)生まれた小馬命婦は、後年の上東門院(彰子)の女房に出仕して
  いるわけですから、定子皇后に生涯仕えた母親清少納言は、感慨深い物があったのではない
  でしょうか。
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平成15年12月10日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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