敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 143 回  *** 第10番 ***
*****  蝉 丸ー逢坂関 *****

目    次
<蝉丸神社> <関跡> <関蝉丸神社>

百人一首・第10番 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関


<蝉丸神社>

 京都三条から京阪電車に乗り、山科、四宮、追分を過ぎて、逢坂の関の手前、大谷駅で降りた所が
名神高速道路と国道一号線に挟まれた東国への旧街道です。逢坂関を越える他の交通用のトンネルと
しては、東海道本線逢坂山隧道、新幹線音羽山隧道があります。
 何れも逢坂の関直下をはずしてその南と北の山の下を潜っています。旧道に沿って逢坂の関の峠方面
にすこし登ったところに蝉丸神社があります。

逢坂の関周辺の交通網
 蝉丸は、醍醐天皇(御在位897〜930)の第四皇子とも、宇多天皇(御在位887〜897)の
皇子敦実親王の雑色とも言われ、盲目ながら和歌と琵琶をよくした人物と伝えられています。

 平家物語「海道下り」には次のように引用されています。

 「四宮河原になりぬれば、ここに昔延喜第四の王子、蝉丸の、関の嵐に心を清くし、琵琶を弾き
  給ひし人、風の吹く日も吹かぬ日も、雨の降る夜も降らぬ夜も、三年が間歩を運び、立て聞きて、
  彼の三曲を伝へけん、藁屋の床も古へも、思遣られて哀也。」

 逢坂山の蝉丸のもとに通うこと3年、博雅三位はついに蝉丸より、秘曲を授けられたということです。
 蝉丸の千年後、逢坂の関には、「藁屋の床に三曲」の音の雰囲気はありません。あるは、轟々たる
往来する車の洪水音です。

(左)蝉丸神社入口(右)社頭に展示されている旧街道の石畳(車石)
  掲題には逢坂関の道を整備した石畳道の車石が一部残されて展示されています。
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<関跡>

 蝉丸神社を過ぎて、旧街道の今に残る人家を数軒過ぎると、逢坂山の峠にさしかかります。
 奈良の平城京を守護するために本邦初の三関として伊勢国の鈴鹿関、美濃国の不破関、越前国の
愛知関が設けられ、延暦十四年(795)頃まで存在しました。対して、平安京の守りとしては、
弘仁元年(810)に逢坂関が三関の一関に変わり、東国防備あるいは反乱者の鎮圧のために
機能しました。それから、1200年が経過しています。
 因みに前回連載した清少納言の「ものはづくし」での「関」は、まず、京の東西を抑える「逢坂関」、
「須磨関」、さらに東国方面へ鈴鹿関、岫田関、清見関、白河関、勿来関などが挙げられていました。

 現在残る目印としては、寛政6年(1794)据えられた「逢坂常夜灯」と国道一号線の道路工事の
際に設けられた逢坂関跡石碑のみで、自動車の往来の激しい国道脇に雑草に隠れがちの立っています。

(左)逢坂常夜灯(右)峠の頂上付近のハイキング歩道から京へ上る旧道を望む
 ちょうど峠に当たる所に歩道橋が架けられていてハイキングコースの一道のなっているようです。
この橋の上から国道一号線を行き交う色々な自動車の流れを見ていますと千年前の人馬や荷車の
動きを思い浮かべます。
 因みにかの大伴家持の妻大伴坂上大嬢も平城京から京の賀茂神社に参拝の後、「相坂山を越えて」
近江国を経て越中国の夫の元へ向かっています。

「石山寺縁起」に描かれた逢坂関(石山寺蔵)
 千年後は、この逢坂山がどのような形状をした、どのような内容の物が、どのような役目で日本の
東へ西へ動いているのでしょうか。千年前は逢坂山の関を人馬や荷車(牛車もあったでしょう)が
往来するだけだったのが、現在では、人の姿は自動車や列車の中に入ってしまって、特に列車では、
逢坂山の下を隧道でくぐり抜けていくといった時代になっています。この状態も何百年前からでは
なくてつい百年ほど前の最近のことでしかないのです。
 
 それでも人や荷物などのある程度の物質的量の移動の大きさも速さも百年前と現在では比較でき
ないほどに大きな物になっているわけです。更に加えて、東へ西へと逢坂山を越えていく物は人や
物だけでなく、空中を電波となって音声や電子機器による情報が行き交っています。さらには、上空を
飛行機によっても人や物が飛び越えています。

 現在でも逢坂山を越える交通量はほぼ満杯に近く、これ以上の物の流れが求められるようになると、
峠の交通の姿も現在とは更に変わった物になるのではないでしょうか。
 自動車や飛行機に代わるものは何であるか。カプセル輸送網あるいは空を飛ぶ乗用車など、考えら
れるのでしょうか。国道の下には、カプセル輸送網が張り巡らされるようになり、日本全国何処へでも
カプセルに載せて物が運べ、鉄道網も全国主要地区へ、ロケットのスピードで瞬時にカプセル移動
できるカプセルシステムに変わっているかもしれません。

 しかし、そのような時代になっても昔の逢坂山とその関所跡は歴史的の記念の場所として残り、
後世に言い継がれ、語り継がれていくことでしょう。情報が集中的に流れる地帯であることには変わり
ない地理的役目を果たしていると言う想像です。
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<関蝉丸神社>

 逢坂の関を過ぎて、国道一号線沿いに、大津の側へ道を下っていきますと、名神高速道路が隧道から
出てきて鉄橋にかかっている谷間に関蝉丸神社上社が、国道沿いに朱色の鳥居と神垣を見せています。
 さらに国道を下りますと、道は浜大津と石山方面への分岐路にかかり、直進しますと、東海道本線
陸橋を越えて、大津市内逢坂町に入ります。まもなく、京阪電車道の踏切を挟んで、関蝉丸神社本社が
望めます。貴船神社、小町塚などが同居しています。

(左)関蝉丸神社上社(右)本社
 国道一号線も京阪電車軌道も、狭い逢坂関をお互いに捩れるように上になり、下になり、左に右に
入り乱れながらの交通路として、人や物を運んでいます。
 この交通路に沿って神社は三社あることになります。京都側には蝉丸神社、大津側には関蝉丸神社
上社と本社です。いずれの社もささやかながら、すこしでも昔を偲ばせようと膨大な交通の波の傍らで
必死になって耐えているといった風情が漂っています。

平成15年12月2日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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