敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 140 回  *** 第62番・その2 ***
*****  清少納言ー枕草子の語り旅 *****

目    次
<百科事典的世界> <言葉遊びの地理双六> <ものはづけ集>

百人一首・第62番 夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ 


<百科事典的世界>


光琳カルタの清少納言
 清少納言が「枕草子」に書き込んだ随想世界から考えられることは、当時の宮廷で生活した女性の
なかでも大変広い開けた世界を持っていたと思われ点です。それだけ、彼女の関心が外界世界へ向いて
いたと言うことでしょうか。
 彼女が対象とした随想世界は、まさに「百科事典的世界」であったのです。
 専門資料(「枕草子講座・第一巻」有精堂(1986年9月))によりますと、枕草子全体は
(1)類聚的章段(2)随想的章段(3)日記的章段の三分類に分けられる(「枕草子の類聚的章段」
(杉山重行・290頁))ということで、そのうち「類聚的章段」構文構成を一覧表にしてみますと
次のようになっていて、清少納言の世界が覗けるということです。
事象分類段数事象例
自然現象頃、風、降るもの、日、月、星、雲
地理・地文23山、市、峯、原、淵、海、陵、池、滝、川、橋、里、關、 森、井、野、島、浜、浦、岡、崎
土木・家屋わたり、たち、家、むまや、屋
動植物木の花、花の木、鳥、虫、馬、猫、草、草の花
神仏修法、読経、寺、経、仏、陀羅尼、社、神
官職上達部、君達、受領、権の守、大夫、法師、女
学芸・娯楽11集、歌の題、書、物語り、あそび、あそびわざ、舞、 弾くもの、笛、見るもの、歌
装束・調度指貫、狩衣、単衣、下襲、扇の骨、檜扇
その他
 上表の事物分類で判断しますと、「地理・地文」関係の事項が最も多く、清少納言の興味の対象
世界がどの辺にあったかが分かります。自然の景物に対してかなりの関心を払っていたという点は、
和歌の世界に関係しているものと推察できましょう。これらの場所については、後述します。

  清少納言の「百科事典的世界」は、上表の分類以外に、いわゆる「ものはづけ」の世界もあります。
 これは、上掲の表の事物が「外界世界に存在する事物の状態を示す一群」であるのに対して、下記の
「もの」群は、彼女の頭の中、すなわち「思考の世界の中に存在する外界世界の映像の状態を示す
一群」なのでしょう。(後述の<ものはづけ集>を参照願います。)
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<言葉遊びの地理双六>


清少納言・狩野探幽筆「百人一首画帳」
  
 上表で選別された「地理・地文」の分類に入っている事項群の内容を見てみましょう。
  (段数は、引用文献:岩波書店「日本古典文学大系・枕草子」に依る)
段数語り旅先地      名備考
13をぐら山、かせ山、みかさ山、このくれ山、いりたちの山、 わすれずの山、すゑの松山、かたさり山、いつはた山、かへる山、のちせの山、あさくら山、 おほひれ山、三輪の山、たむけ山、まちかね山、たまさか山、みみなし山 18山のうち、をぐら山、三笠山、すゑの松山、かへる山、三輪の山などは、勅撰和歌集・三代集においても、 著名な歌枕になっていますが、その他は、多分に山名称の面白さに惹かれて、列挙している感があります。 因みに、挙げている順番を重視しますと、「山地理双六」になっているようです。すなわち、最も身近なしかも著名な 歌枕であるをぐら山をふりだしに、京の都から始まって、旧都奈良に下り、伊勢から、陸前に飛び、 越前、若狭を巡って、大和に戻り、摂津に終わるといった順序です。
14たつの市、さとの市、つば市、をふさの市、しかまの市、あすかの市 6市のうち、清少納言自ら足を運んだことのある長谷寺詣での道すがらを思い出しながら、 引用している市が多いようです。
15ゆづるはの峯、阿弥陀の峯、いやたかの峯 3峯は、山城、摂津、近江で、いずれも京の近隣です。
16みかの原、あしたの原、その原 古今集や古今六帖に詠われている歌枕です。
113あしたの原、あはづの原、篠原、その原 能因本では、その他に、たか原、萩原、なし原、うなゐごが原、あべの原など。 大和、山城、近江が主体。
17かしこ淵、ないりその淵、青色の淵、隠れの淵、いな淵 この分類は、明らかに淵名の面白さで収集しているようです。それは、それぞれにコメントを 付けているとおりです。
18水海、与謝の海、かはふちの海これも京の近辺の海です。
19うぐひすの陵、かしはぎの陵、あめの陵河内と大和。
20しかすがの渡、こりずまの渡り、水はしの渡 三河、摂津、越中など
21たちたまつくり摂津
22近衛のみかど、二条、みかゐ、一条、染殿の宮、清和院、菅原の 院、冷泉院、閑院、朱雀院、小野宮、紅梅、県井戸、たけ三条、小八条、小一条 明らかに、京内の各建造物、しかも上級貴族の邸宅に絞られています。これらは全て清少納言 自身が自らの目で確認できている物件ばかりなのでしょうか。建造物の大きさだけでない、なにか 取り上げている基準があるようです。
38かつまたの池、磐余の池、水なしの池、贄野(にえの)の池、 猿沢の池、御前の池、鏡の池、狭山の池、こひぬまの池、はらの池昔から解説書に言及されているように 清少納言の初瀬詣での実体験地を辿っているようです。
61音無の滝、布留の滝、那智の滝、轟きの滝 清少納言が実見しているのは布留の滝だけで、「音無」と「轟き」は、言葉遊びでしょうか。 那智の滝へのコメントは、「熊野にありと聞く」と付けています。
62飛鳥川、大井河、音無川、七瀬川、耳敏川、玉星川、細谷川、 いつぬき川、沢田川、名取川、吉野河、天の川原歌枕(古今集関連は、12件の半分6個所) や催馬楽などからの連想であるようです。
64あさむづの橋、長柄橋、あまびこの橋、はまなの橋、ひとつ橋、 うたたねの橋、佐野の舟橋、堀江の橋、かささぎの橋、やますげの橋、をつの浮き橋、棚橋 古今集、古今六帖の歌枕以外、12件中6件は、名前の興味から、挙げているようです。
65逢坂の里、眺めの里、いざめの里、人づまの里、たのめの里、 夕日の里、つまどりの里、伏見の里、朝顔の里この項目は、意図的に言葉遊戯的旅枕に 選定した感があります。専門解説書にあるように、男女の逢う瀬に関係した事項ばかりです。 同じ名前で具体的な里があったとしても、それは、偶然に過ぎないでしょう。
111逢坂、須磨、鈴鹿、岫田(くきた)、白河の関、衣の関、 ただ越えの関、はばかりの関、横走りの関、清見関、見るめの関、よしよしの関、勿来の関 「東路への旅枕」を辿りつつ、その周辺にあって、名前の面白さで挙げている「ただごえ」 「はばかり」「横はしり」「みるめ」「よしよし」を織り込んでいるようです。
112浮田の森、うへ木の森、岩瀬の森、立ち聞きの森 歌枕と名前の面白さ「立ち聞き」か。
207上記に加えて、岩田の森、木枯らしの森、うたた寝の森、 大荒木の森、たれその森、くるべきの森言葉遊びとして、「こがらし」「うたた寝」 「たれそ」「くるべき」を入れているか。
168ほりかねの井、玉の井、走り井、山の井、飛鳥井、千貫の井、 少将の井、桜井、后町の井歌枕と京市内の井を4件挙げている。
169嵯峨野、印南野、交野、狛野、飛火野、しめし野、春日野、 そうけ野、宮城野、粟津野、小野、紫野大半が和歌の世界からの抽出でしょうか。
204八十島、浮島、たはれ島、絵島、松ヶ浦島、豊浦の島、まがきの 島7件名の内4島が陸前松島に関係しているようです。
205有度浜、長浜、吹上浜、打出浜、もろよせの浜、千里の浜 駿河、伊勢、紀伊、近江、但馬に関係しています。
206おほの浦、塩竈の浦、こりずまの浦、名高の浦 志賀の浦、和歌浦を加えている異本もあり。これらは、明らかに歌枕になっています。
208壺坂、笠置、法輪、霊山、石山、粉河、志賀 山城、大和、近江、紀伊に分散しています。清少納言に何らかの思い入れのある寺院ということの ようです。共通事項が見出しにくいところ。
243布留社、生田社、旅の御社、花ふちの社、杉の御社、 ことのままの明神布留社、生田社は、著名な歌枕としても、他は、何らかの特別の 思い入れがあると推定されます。「ことのまま」は明神名の興味からか。
249船岡、片岡、鞆岡、かたらひの岡、人見の岡 山城と大和での思い出す岡を挙げたか。何れも著名な歌枕ではない。
288唐崎、みほが崎現在でも名所としての観光地。
242梨原、望月の駅、山は駅近江と信濃の地。
 上表に挙げられた歌枕をはじめとする各地を現代の日本地図上の当てて見ますと、明らかに
京周辺の地が多く引用されていることが分かります。参考として、関連する百人一首歌と万葉集・巻一の
初出歌枕を付記しておきます。
段数語り旅先九州中・四国畿内中部関東陸奥百人一首歌と万葉集歌
13 2香具山、5奥山、8うぢ山、24手向け山、25逢坂山、42末の松山、58有馬山、 60大江山、69三室山、73外山、74初瀬の山、94美吉野の山
#2香具山
14 #207軽の市
15 4富士の高嶺、13筑波嶺、16因幡の嶺、26小倉山峰
美吉野の耳我の嶺
16/113 7天の原、11わたの原、27みかの原、39小野の篠原、58猪名の笹原
#14印南国原
17 13淵
18 76わたのはら
19
20 46由良の門
#62対馬の渡り
21たち(館)
22家(邸)15 #1家告らさね
38
61 55滝の音
62 13男女川、17竜田川、27泉河、32山川、64宇治川、69龍田の川、77滝川、98ならの小川
#37吉野の川
64 6鵲橋
65 28山里、31吉野の里
111
112/207
168 #52藤原の御井
169 15春の野、60いく野
#3宇智の野
204 11八十島、78淡路島、90雄島
#2あきつ島
205 72高師浜
#66高師の浜
206 4田子の浦、19難波潟、88難波江、97まつほの浦
#40あみの浦
208
242
243 95わが立つ杣
249 #10岩代の丘
288 60天の橋立
#30志賀の唐崎

逢坂の関 俵屋宗達筆・源氏物語関屋図屏風(靜嘉堂文庫蔵)
 清少納言の時代における平安京の外界地理・地文情報は、自ら足を運べるところ以外は、全て
和歌世界の歌枕であったり、物語で語られているところを空想したり、さらには実際に行ってきた
人の話などに依らざるを得なかったわけです。非常に情報入手手段が限られていましたが、それで
いても、興味を持ち、関心の高い感性を持っている人には、相当広範囲の地理・地文知識があった
ものと推測します。

  清少納言の「地理づくし」における項目上げの方法は、彼女独特の思考世界の展開であるようです。
 一定の法則あるいは基準に準拠して列挙しているところもあれば、随想の執筆気分によって自由に
思考世界を遊泳しているところもありますが、主として、京周辺に思いを巡らし、それ以外の遠隔地は、
彼女の頭のなかに入っている歌枕を中心に列挙している事項例が多いようです。

 これだけの個所を挙げていながら、実際の彼女が足を踏み入れたところは、ほんの僅かに留まっている
ようです。
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<ものはづけ集>

上松松園筆清少納言(出典:日本の古典別巻1/百人一首・世界文化社(1982))
 参考メモとして、枕草子における「ものはづけ」の分類を、次のような項目別に分類してみました。

(その1)精神面で気持ちが積極的に前に出る「もの」(合計20段)
    (嬉しくなるもの、楽しくなるもの、好ましいものなど)
    「思わず胸のどきつくもの」(29段)「過ぎた日の恋しく思い出されるもの」(30段)
    「気持ちよくみられるもの」(31段)「品良く美しいもの」(42段)
    「きもちよさそうなもの」(80段)「りっぱなもの」(88段)「優美なもの」(89段)
    「つれづれをなぐさめてくれるもの」(140段)「清潔なもの」(148段)
    「可愛らしいもの」(151段)「図にのっていいきになるもの」(152段)
    「うらやましいもの」(158段)「はやくしりたいもの」(159段)
    「まちどうしいもの」(160段)「得意そうなもの」(185段) 
    「奥ゆかしいもの」(201段) 「人の家にあってにつかわしいもの」(235段)
    「たのもしいもの」(265段)「うれしいもの」(276段)「とうといこと」(279段)
    「端麗なもの」(295段)「見ていて美しいもの」(304段)

(その2)精神的に気分が消極的に後へ後退する「もの」(35段)
    ((その1)の反対のもの)
    「興ざめなもの」(25段)「何となく気がゆるんでしまうもの」(26段)
    「人に重々しく見られぬもの」(27段)「いやなもの」(28段)
    「似合わぬもの」(45段) 「不安な頼りない気持ちのもの」(70段)
    「なかなかめったにないもの」(75段) 「おもしろくないもの」(79段)
    「いかにも哀れげなもの」(85段) 「残念なもの」(95段)
    「かたはらいたいもの」(96段)「あじけないもの」(97段)
    「くちおしいもの」(98段) 「見苦しいもの」(109段)
    「言いにくいもの」(110段)「気に入らぬもの」(121段)
    「わびしげにみえるもの」(122段)「暑苦しそうなもの」(123段)
    「かっこうのつかないもの」(125段)「引っ込みのつかぬもの」(127段)
    「とりどころのないもの」(141段)「見るからに恐ろしそうなもの」(147段)
    「品のないもの」(149段)「気が気でないもの」(150段)
    「むさくるしいもの」(155段)「大した値打ちのないもの」(156段)
    「困った顔つきのもの」(157段) 「頼りないと思わせるもの」(164段)
    「がっかりさせられるもの」(195段)「さわがしいもの」(256段)
    「人もなげに見えるもの」(257段)「言葉遣いのぞんざいなもの」(258段)
    「人の注意をひかぬもの」(261段)「とてきたないもの」(263段)
    「恐ろしくてならぬもの」(264段)

(その3)その他(対照的なものの列挙など)(13段)
    ((その1)、(その2)以外のもの)
    「まるで反対なもの」(71段)「はるかなおもいするもの」(107段)
    「きはづかしく思われるもの」(124段)「手持ちぶさたなもの」(139段)
    「見ればたいしたものでないのに、書くとぎょうぎょうしいもの」(154段) 
    「昔良かったかもしれないが、今は役に立たないもの」(163段)
    「近いようで遠いもの」(166段)「遠くて近いもの」(167段)
    「おおきいほうがよいもの」(233段)「短い方がよいもの」(234段)
    「こざかしいもの」(259段)「どんどんすぎてゆくもの」(260段)
    「ゆだんのならぬもの」(305段)

  (引用資料:田中澄江「枕草子」新装版日本古典文庫・河出書房新社・平成4年9月)

 明らかに(その2)の分類に入る「嬉しくないもの、楽しくないもの、好ましくないもの」が
多くなっています。現代人でも同じ様に日常生活の感情世界を羅列せよ、となりますと、同じような
結果になるのではないでしょう。むしろ清少納言以上に(その2)分類事項がもっと多くなるかも
しれません。それだけ現代社会の方が人と人の関わり合いの場面や機会が好ましからざる方向に
増えているからでしょうが。

 ここの言及された「もの」の対象は、(その2)の分類事項だけでなく、その他の部分も含めて
すべて現代人も気になる共通の課題で、だれしも人生で経験する「もの」の群集です。現代の日常
生活の中でも、この「もの」に対する心の動きは、喜怒哀楽と共に右往左往させられる<もの>です。

 清少納言の判断はすでに千年以上も前に平安人として下したものですが、それでもなおかつ
清少納言の思考世界に同意出来る現代人もかなりいるものと推測できます。まさに時代は変わっても
人間自身の考え方、感じ方、処世術は変わらないものであることを再認識させられます。 
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平成15年11月25日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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