敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 137 回  *** 第7番・その3 ***
*****  安倍仲麿ー安倍の里 *****

目    次
<文殊院> <阿倍氏族> <仲麻呂和歌の歌曲>

百人一首・第7番 天の原ふりさけ見れば春日なるみかさの山に出し月かも 


<文殊院>

 仲麻呂の長安に於ける記念碑に対応して、日本では、彼の古里といわれる奈良・桜井の地に記念館が
建設されています。


阿倍仲麻呂出身地とされる桜井市安倍周辺の地理
安倍文殊院山門と文殊院旧地史跡安倍寺跡
 文殊院は、大化改新後左大臣になった安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として建立された(東大寺要録
ー崇敬寺 東大寺末寺)日本三文殊院の一寺として信仰を集めている寺院です。
  仲麻呂没後、現在まで1200年間仲麻呂ほどに大陸の異国の社会に於いてこうなり名を成し遂げた
秀才は出てきていません。如何に仲麻呂が優れた人物であったかが分かります。
 文殊院は、この仲麻呂にあやかって”学芸成就・知恵増上の祈願所”になっていて、葬式仏事は一切
執り行っていないとのことです。
 さらには、毎年の受験生の合格祈願を花絵文字にする催し事も行っています。

「知恵の文殊さんー粋な花絵文字」(平成8年の干支・ねずみと合格花絵文字)
(引用資料:読売新聞・平成7年12月13日付記事より)
 (参考メモ)安倍山崇敬寺文殊院 華厳宗 安倍寺
       本尊 文殊菩薩 本朝三文殊大士(和漢名数)「奥州永井・丹州切戸・和州安倍山」
       旧寺地は国史跡安倍寺跡(仲麻呂屋敷) 平安後期に僧ぜん覚が崇敬寺に移住し、
       寺東北に別所を草創した。

 この境内の文殊池の中に昭和60年(1985年)金閣浮御堂が仲麻呂の記念堂として完成され、
仲麻呂像を安置し、日中友好を、さらには、人類友好を祈念する道場となっています。

安倍文殊院の境内風景
  仲麻呂が故国への帰還を果たせず、唐土に没して1215年後に古里の浮き御堂の中に戻ってき
ました。彼が唐・明州の海岸に立ったときの望郷の念と帰国できなかった無念を思いやるとき、浮御堂
の仲麻呂像には「魂魄ここに還り来たれり」と思いをかけざるをえません。


安倍文殊院境内浮御堂風景と阿部仲麻呂像
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<阿倍氏族>

 仲麻呂の先祖を辿りますと、第8代孝元天皇ー大彦命(崇神朝四道将軍)ー武淳川別命(四道将軍)
・・・鳥子(推古朝大臣)・・・阿倍内麻呂(倉梯麻呂)(舒明・孝徳・天智朝、大化改新後左大臣)
ー益麻呂ー御主人(文武朝左大臣)ー広庭(中納言、歌人)ー船守(中務大輔)ー仲麻呂の系譜に
なっていると伝えられています。
    (片山敬三「日本歴史の人脈」(株)新聞印刷自費出版センター・平成元年4月出版)
 仲麻呂の伯父方(父船守の兄弟)には、古代日本歴史上の重要人物で、古代水軍の将として、蝦夷
遠征、662年百済支援、新羅攻略の軍事を担った阿倍比羅夫や島丸・・・阿倍益材の末裔には、陰陽師
天文博士として、一時話題の人物になった阿倍清明などに繋がる系譜です。

 仲麻呂の官人としての才能はこれら先祖の有する能力の中でも優秀な点のみが重畳して遺伝された
ものでしょう。それにしても素晴らしい国際人が今を去る1300年前に日本にも存在したのです。
 現代に言い換えれば世界の大国唐に代わる米国に赴き、同地の学校を卒業して、即大統領府で大統領
補佐官になって30数年大国を支援するようなものです。


(参考メモ・その1)<氏族名の「あべ」>
     「あべのなかまろ」の筆記には古今和歌集や百人一首では、「安倍仲麿」と表記されて
     いますが、他の表記漢字としては、「阿部仲麻呂」「阿倍仲麻呂」など、何通りかに
     書き分けられます。主な辞典(国史大事典(吉川弘文館)、広辞苑(岩波書店)、新世紀
     ビジュアル大事典)での表記は、「阿倍仲麻呂」ようになっています。
     
     ー「あべ」諸氏の人物群ー
      安倍清明 (921〜1005)平安中期の陰陽師
      安倍貞任(1019〜1062)平安中期の陸奥国豪族
      阿倍忠明           江戸初期の老中、武蔵国忍城主
      阿部将翁           江戸中期の本草学者
      阿部正弘(1819〜1857)江戸末期の老中、備後国福山藩主
      安部磯雄(1865〜1949)政治家・キリスト教社会主義者
      阿部信行(1875〜1953)明治・大正・昭和期の陸軍大将
      安倍能成(1883〜1966)大正・昭和期の哲学者、教育者
      阿部次郎(1883〜1959)大正・昭和期の哲学者、評論家
      阿部知二(1903〜1973)昭和期の小説家
      安部公房(1924=1993)
 
      阿倍比羅夫の軍人血統を継いだ人物も出ているなか、辞典に載る人物群としての「あべ」
      氏族としては、文学や学問に関係した知識人が多いのは、仲麻呂の血筋が継がれた能力の
      発露ではないでしょうか。
      ちなみに文学に於ける「あべ」とは、次のような例も挙げられます。

      「阿部右大臣」竹取物語中の人物
      「安倍保名」浄瑠璃「葛の葉」中の人物
      「阿部一族」森鴎外の小説(1913年発表)
      
      さらに「あべ」の漢字表記点に注意しますと、次のような例もあります。

      「安倍川」静岡県内の河川名
      「阿部野神社」大阪市阿倍野区内の陰陽師安倍清明に関係した神社


(参考メモ・その2)<現代が追う「あべ一族」の世界・安倍清明>
      阿倍仲麻呂(698〜770)の血統の一人に安倍清明(921〜1005)が活躍して
      いますが、仲麻呂の200年後になります。何時の世でも世相が不安定になってきますと
      人々は占い、お祓い、呪いの世界に逃避するものです。
      21世紀に入った今日、安倍清明の10世紀とは比較になりませんが、やはりある種の
      社会不安(戦争、新興宗教、人種差別、人権侵害、貧困、伝染病など、など)の環境に
      押し込められており、人々はかって安倍清明が駆けめぐった陰陽の世界に、彷徨うことが
      少々流行になっています。
      安倍清明は、その優れた技術で貴族間で持てはやされました。その後世から近代にかけて
      民間の陰陽師が実像の清明を拡大評価し、加えて中世文学や芸能で超人的な力を発揮する
      人物として取り扱われました。
      展示会の例として

        「安倍清明の虚像と実像」−語られた歴史・由緒と被差別民ー
          (2003年9月9日〜11月9日 於大阪市大阪人権博物館)
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<仲麻呂和歌の歌曲>

 JR神戸駅前再開発地区内にある神戸新聞社の松方ホールにおいて、平成15年10月10日午後
7時より、次のようなコンサートが行われました。

                        「よみがえる天才音楽家 貴志康一」
 この演奏会は大阪生まれで、芦屋育ちの、戦前の世界的音楽家(指揮者・ヴァイオリニスト・作曲家)
であった貴志康一氏の作品を紹介するもので、日本人(貴志康一)の、日本人(ソプラノ尾崎比佐子)
による、日本人(聴衆約500名)のための演奏会として次のような歌曲が、7曲歌われました。
演奏区分演奏曲目
第一部ソプラノ独唱天の原 八重桜
赤いかんざし かごかき
ヴァイオリン独奏竹取物語 龍
ヴァイオリン・ソナタ
(関西地区初演)
第二部対談「貴志康一を語る」
合  唱行脚僧 かもめ
花売り娘 風雅小唄
歌曲の歌詞は、「天の原」を除いてすべて貴志康一自身の作品。
  貴志康一は仲麻呂の歌を次のように歌いました。

   あまのはら あまのはら  ふりさけみれば かすがなる  三笠の山に 出でし月かも

 仲麻呂和歌の西洋音楽技術によって創出された音楽世界は、まさに「悠長な古代宮廷の雅の楽」を
思わせるものでありながら、なおかつ新鮮な日本歌曲と捉えることが出来、さらに伸びやかに、悠々と
奈良朝へ思いを馳せることが出来るような雰囲気を醸し出す旋律でした。

 このコンサートに照応して彼の育った家の町にある「芦屋市立美術博物館」(芦屋市伊勢町12−25)
では、次の課題を掲げた展覧会を開催しました。

    「夭折の音楽家 貴志康一の世界」展

貴志康一展のポスター(芦屋市立美術博物館)
  (参考メモ)貴志康一(1909/明治42年〜1936/昭和11年)

    ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者として世界に通じる才能を発揮し始めた27歳に
    夭折した天才音楽家。神戸の甲南高校からヨーロッパに音楽留学し、1934年には
    かのフルトベングラーと親交を持ち、ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラを
    指揮して、自分の作品である交響組曲「日本スケッチ」、交響曲「仏陀」などを初演。
    第二次世界大戦後、1949年ストックホルムで行われた湯川秀樹博士のノーベル賞
    受賞祝賀会で貴志康一のヴァイオリン曲「竹取物語」が演奏されるほど、日本人以上に
    西欧の人々の中では、戦前ベルリンを中心に活躍した貴志康一の芸術が伝承されて
    いました。


 昭和35年から毎年8月15日にお盆時期の行事として高円山に「大」文字の神燈が点灯されます。
 これは奈良大文字保存会が主催する夏の行事で、奈良県出身の人々で、前の第二次世界大戦において
国のために亡くなられた彼らの御霊を慰めるもので、京都の仏教法事としての「大文字送り火」とは
若干趣を異にした神事になっています。

 この慰霊火の名目は戦争で散っていった人々の御霊を祀るものではありますが、さらには、遙かに
千二百年以上昔の奈良の時代まで遡って奈良・平城京に関係した人々まで、すなわち阿部仲麻呂の
御霊をも中国から招き寄せる神火であるような気がしてなりません。

 仲麻呂卿よ! ふりさけ見給へ!平成の世の春日なる安倍の里を、
 「大」文字の神火の明かりは、安倍の里よ!永遠なれと、輝き渡る。

飛火野公園から見た高円山の「大文字」慰霊神火(左)昼間(右)夜間

高円山の「大」文字慰霊神火
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平成15年11月5日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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