敷 島 随 想
(百人一首歌人旅)
「連 載」 第 133 回 *** 第23番 ***
***** 大江千里ー唐風和歌 *****
目 次
<観月宴>
<句題和歌>
<ひとつ身にちぢの思ひ>
百人一首・第23番 月見ればちぢにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど
<観月宴>
「ひとつ」しかない「わが身」ながら、思うことは「ちぢ」にあまり、加えて何となく物悲しい
情感を誘う秋の月。
唐人が秋の月に思うことも邦人が思うこともおなじこと。大江千里は都の何処で中秋の名月を
見上げて詠嘆したのでしょうか。さしずめ文章博士の家柄(江家)に相応しく、大學寮文章院東曹に
於いてでしょうか。西曹は菅家(菅原氏族)の管理下にありましたから。
前回の藤原顕輔のところで採り上げました下鴨神社の「名月管弦祭」と同じく、名月の鑑賞会は
嵯峨野の大覚寺大沢池での「観月宴」も知られているところです。最近では、観光の目玉企画になって
いるようです。
大沢池は「日本三大名月観月池」で、他の二ヶ所とは、奈良・猿沢池、大津・石山寺とのこと。
平安朝の船遊びとして、竜頭船や屋形船を池に浮かべ、池畔では琴の演奏で観月宴としているのです。
ちなみに平成15年は9月11日(木曜日)(ひのとゐ)が十五夜の望で、二百十日に当たって
いました。なお大覚寺については、第34回大納言公任の連載個所を参照願います。

大覚寺境内配置図(出典:大覚寺案内パンフレット)


大沢池周辺の風景と屋形船
日本最古の人工林泉としての大沢池は、周囲1kmで、周りに茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、そして
公任の名古曽の滝を配しています。また嵯峨天皇が離宮として造営時には、中国洞庭湖を模して造った
日本で初めての庭池であるため「庭湖」とも呼ばれています。湖畔の桜とともに池泉舟遊式庭園として
名勝指定を受けています。
池中には天神島、菊ヶ島、庭湖石があり、「二島一石の配置」が華道嵯峨御流の基本構成になって
いるそうですから、見方を変えますと、大沢池は大きな自然の花器なのでしょう。
その生け花の花器に月を取り込む風情は、「大沢池の観月宴」という壮大な美の芸術です。
大沢池が大覚寺の月見台である五大堂の東側に位置しているのは月見の風景を考慮しているという
理由があります。五大堂から東方を望むと東から昇ってきた月が大沢池に写し取られて、二つの月を
同時に鑑賞することが出来るのです。
現在でも大沢池の東方向や東南方向には目立った建造物は一切無く、大沢池築堤の所期の目的の
景観を保っています。広沢池周辺が現代的な地域開発がされない限り天然の大きな生け花に名月を
添えることが出来るのです。
因みに現代的な風景がないため、時代劇の映画のロケーション地にもなるようです。
なお、大沢池の東隣にある広沢池も観月の名勝地となっています。

大沢池西岸から月が昇る東の方向を望む風景と竜頭船
大覚寺については、第34回大納言公任の連載文を参照願います。
参考として、境内の主な堂宇の写真を貼付しておきます。



(上左)大門への参道(上右)有栖川前の参道
(中左)式台玄関、(中右)宸殿から大沢池の方向を望む
(下左)五大堂から御影堂を望む(下右)五大堂・月見台から大沢池を望む
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<句題和歌>
大覚寺(旧嵯峨御所大覚寺門跡)の名古曽滝を詠んだ大納言公任の撰による「和漢朗詠集」は
多くの白氏文集を引用しています。

公任の名古曽の滝とその湖畔から五大堂を望む
例えば巻上・秋・十五夜付月では、12句中の名句は
「三五夜中の新月の色 二千里の外の故人の心」
であり、同じく巻上・月の9句中の名句は「安部仲丸」の百人一首第7番歌となります。
公任の大先輩になる大江千里も下記の白氏文集を大和風に作詩(翻案)したわけです。
「燕子楼中霜月の夜、秋来たりて唯一人のために長し」
「句題和歌」(大江千里集)一巻(寛平九年・897・四月二十五日 散位従六位上大江朝臣千里)は、
後世の唐詩翻案例である大弐高遠集、大御門院御集、藤原為家集、拾玉集(慈円集)、拾遺愚草(定家集)
の先鞭を付けているのです。その部立は、春夏秋冬、風月、遊覧、離別、述懐、詠憶(10首は純粋な
自らの大和歌)計126首よりなっていますが、次の唐詩の月を「風月部」で採り上げています。
70 月照波心一顆珠 てる月は浪の心に照されてひとつ珠とぞみえわたりける
72 不明不暗朧朧月 てりもせずくもりもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
73 鵲飛山月曙 かささぎの峰飛び越えてなきゆけばみやまかくるる月かとぞみる
74 清景難逢宣愛惜 雲晴れて清き月影つねならずあらむかぎりはをしみこそせめ
75 残月照山明 ふたつともみえぬを月の山ごとに照りわたりつつあきらけきかな
78 月宮有路無内人 てるつきの宮こにみちはありといへどたづねてゆかむかたぞしられぬ
同じ月の風景でも「夏」の月を捉えて
33 月照平砂夏夜霜 月影になべてまさごの照りぬれば夏の夜降れる霜かとぞみる
この詠みは坂上是則の百人一首歌「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野里に降れる白雪」と異曲同工
であるようです。
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<ひとつ身にちぢの思ひ>
千里の詠むところの「ちぢの思ひ」とは何かと言うことは「句題和歌」の詠懐を見れば解ります。
「はるのみや花はさくとも谷さむみむもるる草はひかりをもみず」(118番歌)
・・・・「埋もるる草」(千里自身)は花が咲かない暗い谷にいるという嘆き節です。
「しら波のたちかへりくる数よりも我が身をなげくことはまされり」(120番歌)
・・・・「ちぢのなげき」より「万波のなげき」か。
「あしたづのひとりおくれて鳴く声は雲の上まできこえつがなん」(121番歌)
・・・・毎年の除目に「置いてきぼり」にされて何度かはるか後から鳴き叫んだことでしょう。
「あま雲や身をかくすらむ日の光あかずてらせどみるよしもなし」(122番歌)
・・・・ご恩を感じることやときが少ない人生であったのでしょうか。
「年毎に春秋とのみかぞへつつ身はひとときに逢ふよしもなし」(123番歌)
・・・・何年待ったら果報の昇進を賜るのか。まちぼうけ。
とにかく詠懐10首はいずれも異曲同工歌集です。同じ様な唐人の嘆き漢詩がいくつもなかったの
でしょう。やむなく詠懐は自らの心情を翻案でなく、純粋な大和歌の和歌で吐露することになったの
でしょう。「句題和歌」の最後の部分に申し訳なさそうに添えられています。
これだけ嘆いた結果の効果はあったのでしょうか。「句題和歌」の巻末補記に依りますと、伊予国に
赴任できたようです。次回伊予国を訪ねてみます。
「雲分けて都たづねにゆく雁も春にあひてぞとびかへりける」(117番歌)
「みやこまで浪たちくともきかなくにしばしだになど身のしづむらん」(125番歌)
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平成15年10月1日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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