敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 126 回  *** 第31番・その1 ***
*****  坂上是則ー吉野山と清水寺 *****

目    次
<雪の吉野山> <観光寺・清水寺>
<学童を招く是則> <坂上田村麻呂>

百人一首・第31番 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪


 前節の第94番歌人参議雅経と第31番歌人坂上是則の共通項は、「勅撰和歌集歌人」「歌枕吉野山」
そして、一風変わった特技「蹴鞠」ということになるでしょう。これらの共通項毎に坂上是則という
人物を追ってみましょう。 

光琳かるたの坂上是則のカルタ

<雪の吉野山>

 坂上是則はかの征夷大将軍坂上田村麻呂の曾孫好蔭の子息として延喜年間(900年代)大和権少掾
や加賀介を歴任する一方、屏風歌や歌合わせにも活躍する三十六歌仙の一人としての専門歌人であり、
子息望城も梨壺の一人として、第二番目の勅撰和歌集「後撰和歌集」の編纂に参画しています。
 是則は百人一首の歌(古今和歌集332番歌)以外に、同じ吉野山の白雪を詠んだ一首(325番歌)が
あります。それだけに是則にとって吉野の冬の風景は、印象が深いということになります。
 是則にとっては、吉野からの連想は白雪でしょうが、現代人の場合は、西行法師に連れられた山桜で
あり、桜花と云うことになるでしょう。吉野といえば桜、したがって現代人が是則歌を本歌取りにする
ならば、次のようになるでしょう。

 「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」(是則集・冬・22番歌)
 (替え歌)「春嵐有明の月と見るまでに吉野の里に散る桜花」
      「嵐吹きあらき吹雪とみるまでに吉野の里に舞ふ桜花」

 「美吉野の山に白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり」(是則集・冬・23番歌)
 (替え歌)「美吉野の山桜花開くらしふるさと明くなりまさるなり」

 下千本、中千本、上千本、奥千本と春の桜の時節に桜の開花前線がすこしずつ吉野山を上ってゆき、
長らく桜の開花を鑑賞することが出来るのも、吉野山の桜の特徴でしょう。それ故に天下の桜の名所と
して西行法師以来ますます、名を成してきたとも言えます。吉野山の雪のイメージから発展して山桜の
歌枕が古今集時代に継がれていったものとおもわれます。
 現在、春の吉野山は花見の庶民で賑わいますが、冬の吉野山を訪れる人は、まばらになります。
 写真撮影もどうしても冬の吉野山は、撮りにくくなります。

金峯神社から蔵王堂、大和平野を望む
 雪の吉野山と桜の吉野山ーいずれも山一面の銀世界という風景をなすことには変わりありません。
 万葉集の時代から是則(10世紀前半)の「古今集の時代」までは、吉野山は、桜よりも雪の吉野山
であったのかもしれません。少なくとも山より吉野の川であり、宮滝が多く愛でられた時代であった
わけで、たとえば天武天皇御製として、雪が詠まれています。

 「美吉野の耳我の嶺に時なくぞ雪は降りける・・・」(万葉集・巻第一・25)

 また万葉集に詠まれている吉野山でも次のように桜よりも深山幽谷として捉えられていたようです。

 「美吉野の山の嵐の寒けくにはたや今夜もわがひとり寝む」(万葉集・巻第一・74)
 「かんさぶる岩根こごしき美吉野の水分山を見ればかなしも」(万葉集・巻第七・1130)
 「み雪降る吉野の岳にゐる雲のよそに見し子に恋ひわたるかも」(万葉集・巻第十三・3294)

 この歌の水分山には水分神社が建立されています。

吉野水分神社本殿
 万葉集や古今集の「雪の吉野山」が「桜の吉野山」に変わっていったのは、いつ頃からでしょうか。
 その分野の研究(小町谷照彦「古今集の歌枕」など)によりますと、「後拾遺集」以降、吉野山と
桜とのイメージ結合がなされていったようで、新古今集に到って「西行の吉野山の桜」が満開となる
のです。
 「桜の吉野山」の歴史は、西行以来800年以上経ちました。桜を大和心の象徴とする風潮に乗って
ますます、吉野山のさくらは歌枕の場所から、観光の対象に確固たる変貌を遂げています。

 日本人と桜、日本人と吉野山ー桜の吉野山であり続けてほしいものです。
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<観光寺・清水寺>

  「蹴鞠の名手」で著名であった坂上是則は、清水寺の別当の職にも就いていました。これは清水寺が
坂上田村麻呂の創建になることから、代々坂上氏が勤めてめていた宮職(寺家の職)であったためです。
 清水寺の草創は、宝亀9年(778)四月、賢心(延鎮)僧が夢のお告げにより、草庵を営み、その
27年後の延暦24年(805)田村麻呂が寺地を賜り、鎮護国家道場として、寺院を建立し、子孫が
別当を、延鎮の門流が住職(寺家の司)を継いできたわけです。

 現在まで1200年間、天災(地震)や人災(戦火)により何度か焼失していますが、現在の建造物
は寛永10年(1633)徳川家光により再建され、約360年が経過しています。
 清水寺といえば高さ約15m幅33m奥行き18mの崖にせり出した舞台でしょう。本尊である平安
時代の十一面観音のことは知らなくとも、「清水の舞台」は知られています。
 また、「北法相宗総本山音羽山清水寺」は西国三十三札所観音霊場第十六番札所として巡礼信仰信者
の対象となっています。

 京の五條(松原通)の真東、東山の一画を構成している清水山(242m)の西麓音羽の滝の出る
谷間からご詠歌に次のように詠まれています。

 「まつかぜや音羽の滝の清水をむすぶ心はすずしかるらん」

音羽の滝奥の山間から見た清水寺

(左)清水寺の山門(右)清水寺より京都市街を望む
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<学童を招く是則>

 坂上是則の関係する縁りの地ー吉野山と清水寺ーこの二所には、共通する点があります。年間を
通して、訪れる観光客のうち、小学生、中学生、高校生の学童が多いということではないでしょうか。
それは吉野山への遠足であり、夏の林間学校であり、さらには修学旅行であったり、目的は多彩です。
 日本の学校に於いては明治以来学校行事の中にこれらの校外活動が織り込まれてきました。机上からは
得られない見て、触って、現地の空気を吸うことにより体験する集団学習は、それなりにこの百年間
継続されてきました。学校教育の基本方針が今のままで続けられる限り、吉野山と清水寺はその校外
活動の対象であり続けるでしょう。
 明治の児童の体験も百年、二百年後の未来の生徒の体験も日本人として、日本の教育を受けたものが
共通の子供の時の思い出であってほしいものです。

 吉野山から桜が消えて、清水寺の舞台が無くなるときは、民族共有の財産が消滅するときであり、
民族共通の基盤意識が崩れ去るときでもあるのです。いみじくも千年以上も前に、坂上是則は、この
代表的な歴史景観と関係していたと云うことになります。自分が大切に思う土地に末裔の子供達が
ひっきりなしに訪れては、歴史を学び帰っていくことに是則も我が意を得たりとばかり、彼の地でも
歌を詠んで感慨に耽っていることでしょう。
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<坂上田村麻呂>

 坂上是則の祖先は、渡来人系の東漢氏(やまとのあやうじ)になり、是則より4代昔に遡りますと、
大和朝廷の歴史には欠かせない征夷大将軍坂上田村麻呂に当たります。大変名誉な御先祖ということに
なります。田村麻呂は突然に一国の軍事的総大将に昇ったのではなく、その父親は苅田麻呂で、同じく
大和朝廷に於いて、「恵美押勝の乱」で、大変な軍功があった人物です。その功績を引き継いで、
「この親にしてこの子あり」の武人となったのです。

 田村麻呂の血筋は、子息浄野ー当道ー好蔭ー是則と引き継がれてきました。田村麻呂から4代も
末裔になりますと、武の道よりも文の道において、力量を発揮する家系になりました。
 是則は、古今和歌集において、子息望城は後撰和歌集に於いて、それからさらに5代後の明兼は
詞花和歌集においてそれぞれ和歌の力を発揮して、勅撰集撰集に関わることが出来る家系になって
ゆきました。
 因みに明兼は「法曹至要抄」を撰した法曹家でもあり、彼からさらに子息兼成は大判事明法博士で
ありその末裔の明基、明政も明法博士という分野に活躍しています。
 いろいろな分野で才能を発揮できる優れた血筋の渡来人係累であることが分かります。

 坂上田村麻呂(天平宝字二年・758〜弘仁二年・811)は、延暦四年(785)従五位下を
叙位されて、近衛将監で内匠助を兼任してより生涯を桓武朝における征東政策に従事したと言え
ましょう。その初任は延暦十年(791)大伴弟麻呂征夷大使の副官征夷副使になり、同十六年
(797)征夷大将軍に昇進しました。延暦二十三年(804)にも再任され、翌年の6月には、
坂上氏族では初めて参議に補されています。その生涯は、正三位兵部卿大納言となり、平安京の東側
東方の護りのごとく、粟田別業で没しました。行年54歳でした。

京都山科の坂上田村麻呂の墓陵
 生前に築いた清水寺が彼の氏寺になり、その末裔が以後別当を兼ねることになったようです。
 是則も清水寺別当に就いたときには、田村麻呂への思いで身の引き締まる思いがしたことでしょう。
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平成15年8月17日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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