前回と前々回の百人一首歌人は、俗名「良岑」父子で、父親は出家して僧正の地位にまで上り詰め、 子息は法師と称されました。 百人一首歌人の中に僧正の地位についた人物は、3名おります。第2番目の僧正として、大僧正 行尊を追ってみましょう。
関連資料(吉川弘文館「国史大辞典」)により行尊の略歴を追いますと、次のようになります。 天喜三年(1055) 父参議源基平の子息として誕生。 治暦三年(1067) 園城寺(おんじょうじ)(三井寺)にて、明尊らに密教を学ぶ。 熊野・大峰・高野・粉河等にて修業。 嘉承二年(1107) 法眼に叙せらる。 天永二年(1111) 権大僧都 永久元年(1113) 法印 永久四年(1116) 園城寺長史(以降、在職17年に及ぶ) 崇福寺・四天王寺別当兼務。 保安四年(1123) 天台座主。最勝寺・法勝寺別当。法成寺検校。 白河法皇・鳥羽上皇の熊野参詣供奉。 天治二年(1125) 大僧正に任ぜらる。 保延元年(1135) 園城寺入寂(81歳)。 行尊の僧界での経歴は、当時の高貴な出生の人間が辿った栄進の生涯と言うべきでしょう。 行尊の高貴の出身とは、次のような系譜に依るのです。 三条天皇ーーーー敦明親王ーーーーーー源基平ーーーーーーーー行宗(大蔵卿) 第67代 後一条天皇皇太子 参議(御子宰相) ー行尊 (976〜1017)(小一条院)(994〜1051) ー基子(後三条天皇女御) 即ち三条天皇の曾孫に当たります。まさに平安朝廷に供奉する高僧であり続けたのです。

行尊の経歴には、「法眼」に始まり、「大僧正」に至るまで、僧侶界の高職が次々と出てきます。 これら僧官位の僧綱要点を関連資料(和田英松「官職要解」)により、その概略を見ておきます。 僧綱(衆僧を綱領する高位の名目)としては、僧位と僧官に分類されて、次の三階級になります。 僧官:法印(大和尚位)・法眼(和尚位)・法橋(上人位) <僧正位> <僧都位> <律師位> これら三高位に次ぐものとしては、 伝燈大法師位・伝燈満位・住位・入位 <三位> <五位> <七位> 僧官:僧正・・・大僧正・僧正・権僧正 (注)大僧正は、定員一名で、真言・天台で、徳望があり、 (長官クラス) 出身門地が高く、年齢の多いものを特選した。 僧都・・・大僧都・権大僧都・僧都・少僧都・権少僧都 (注)大僧都は、定員一名。 (次官クラス) 律師・・・大律師・中律師 以上の僧官位の構成より、「僧正」が以下に僧侶界の最高位であるかが分かります。 この「僧正」についての具体的内容事例は、次のように歴史に記されています。 「僧正」僧侶の過非を正す意味で、中国南朝の僧官名称を流用したもの。 推古天皇三十二年(624)、百済僧観勒が初めて任じられ、 貞観六年(864)、「法印大和尚位」が相当位階とされ、 延喜式では、従四位に准じ、従者数は僧5人・沙彌4人・童子8人で、元来員数は1名で 空席の時もあったとのこと。 人事例 天平十七年(745)行基大僧正 貞観七年 (865)壱演権僧正 天元四年 (981)良源大僧正 明治五年(1872)太政官布告で、廃止された。 その他、行尊が関与した僧官・僧位については、次のような内容のものです。 検校・・・熊野三山、八幡、金剛峰寺、金峰山の上首のこと。 別当・・・東大寺、興福寺、大安寺、法隆寺、仁和寺の上首のこと。 (神社では、宇佐・鶴岡・祇園・気比・石清水) 長史・・・三井寺、勧修寺の首座。 法師・・・僧侶の通称として、昔から使用されている。 万葉集にもその用例あり。「のりのし」とも言われた。 (参考)御室・・・おむろ、仁和寺の上首(代々親王が上首のための名称) 座主・・・ざす、延暦寺、醍醐寺、法性寺の首座をいう僧官。 貫主・・・かんず、延暦寺の座主、天台座主。 (神社では、鹿島・厳島) 門跡・・・一門一跡の意味で、宮様の居られる寺院の尊称。 法師の僧名に関係したものに、菩薩(行基大菩薩など)、大師(伝教大師など)、 国師(円通大応国師など)、禅師(道鏡禅師など)、上人、聖人、和尚(鑑真大和上) など、たいへんな僧界の各官位名称です。 <<「拙僧」など「凡僧」にも入らぬ「愚僧」でござる>>とばかりに ただただ、遙かに眺めて、拝んでいるだけの感じがします。目次に戻る
これだけ多くの高僧が居られたら、さぞかし厳格な規律を遵守する俗人が入れぬ世界と思いきや、 徒然草の吉田兼好「法師」は、次のようにいろいろの僧位僧官の人々を書き留めています。
| 僧官位 | 段数 | 高僧名 | 説話の話題 |
|---|---|---|---|
| 上人 | 39 | 法然上人 | 念仏の時間と往生の確かさ |
| 69 | 性空上人 | 豆ガラで豆を煮ること | |
| 106 | 証空上人 | 馬方への悪口 | |
| 141 | 堯蓮上人 | 都人と東国人の表現の差 | |
| 144 | 明恵上人 | 馬子の言葉の聞き取り法 | |
| 152 | 静然上人 | 老僧と老人の様相比較論 | |
| 179 | 道眼上人 | 那蘭陀寺と大江匡房伝説 | |
| 227 | (法然上人弟子) 安楽 | 善観坊の念仏 | |
| 228 | 如輪上人 | 千本釈迦念仏 | |
| 236 | 聖海上人 | 子供のいたずらと信心 | |
| 238 | 道眼上人 | 八災名称が言えた自讃談 | |
| 僧都 | 42 | 行雅僧都 | のぼせる病気と異様な面相 |
| 60 | 盛親僧都 | 里芋好物で、好き勝手な人生 | |
| 84 | 弘融僧都 | 法顕三蔵人物批評 | |
| 僧正 | 45 | 良覚僧正 | 怒りっぽい人物評 |
| 205 | 慈恵僧上 | 比叡山大師勧請起請文 | |
| 238 | 賢助僧正 | 僧都を見つけだしたお手柄 | |
| 門院 | 62 | 延政門院 | なぞなぞ和歌 |
| 法印 | 46 | 強盗法印 | 度々強盗にあった法印 |
| 90 | 大納言法印 | 乙鶴丸とやすら殿 | |
| 法師 | 53 | 仁和寺の法師 | 鼎に頭を突っ込んで 難儀したこと |
| 86 | 円伊法師 | 惟継中納言のしゃれ | |
| 89 | 行願寺の法師 | 猫又のお化け話 | |
| 律師 | 134 | 法華堂の律師 | 己を知ると言うことの重要さ |
| 座主 | 146 | 明雲座主 | 木曽冠者が法住寺襲撃時 流れ矢にあたる |
これらの諸説話の中で、高僧にふさわしい内容のものは、ごく僅かで、ほとんどが高僧の概念から 予想する話しとはかけ離れた意外なことが多くなっています。それだからこそわざわざ兼好法師は、 話しとして書き留めておこうと思ったのでしょうが。 高僧の説話らしいものとして法然上人語録(第39段)、怒りっぽい意外な僧正の話(第45段) 人生訓を行動で示す律師の話(第134段)、及び兼好法師の高僧談メモ書き(第98段)を 文末の<参考メモ>に付記しておきましょう。目次に戻る
行尊は12歳で、園城寺に入り、密教を研鑽の結果、各地を修業しました。 その様子を垣間見ることができる私家集「行尊大僧正集」を見ましょう。
| 地域 | 巡業地 | 歌番号 | 引 用 詞 歌 |
|---|---|---|---|
| 紀州 | 和歌浦 (吹上の浜) | 2 | 「わかのうらをあはれほどなくすぐるかな・・・」 |
| 11 | 「ほのぼのとかすみわたりけんわかのうらの・・・」 | ||
| 12 | 「わかのうらはあまのしほやに煙り立ち・・・」 | ||
| 63 | 「・・・ふきあげのはまもはるめきにけり」 | ||
| 64 | 「きみにこそみすべかりけれ和歌浦は・・・」 | ||
| 65 | 「・・・わかのうらこそみまくほしけれ」 | ||
| 73 | 「・・・わかのうらなみおもひやるにも」 | ||
| 74 | 「おもひやるそでだにぬるるわかのうらに・・・」 | ||
| 196 | 「わかのうらにものまくしづもあはれなり・・・」 | ||
| 那智 (本宮) | 3 | ーなちにて、月のあかかりしころー | |
| 81 | ーなちにとまりて、・・・なちをまかりいでしに、・・・ | ||
| 82 | ほんぐうにまゐりつきて、・・・」 | ||
| 熊野 | 15 | ー熊野にいとひさしく、さぶらひしに、・・・ | |
| 30 | ーくまのにさぶらひしに、・・・ | ||
| 31 | ーくまのより又ほかへこもりにいで侍りしに、・・・ | ||
| 78 | ー五月つごもりに、くまのへまゐり侍りしに、・・・ | ||
| 95 | ーまだ、くまのちか(く)に侍りしに、・・・ | ||
| 198 | ーくまのにまゐりつきて、・・・ | ||
| 205 | ー吉光がくまのにまゐりて、・・・ | ||
| 粉河 | 24 | ーこかはにまゐりつきて、・・・ | |
| 42 | ーこかはにまゐるつきて、・・・ | ||
| 45 | また、のちのたび、こかはまうで、・・・ | ||
| 76 | 「・・・こかはをふかくたのむしるしに」 | ||
| 77 | 「・・・けふぞこかはに身をまかせつる」 | ||
| 妹背山 | 41 | ーいもせやまにて、 | |
| 泉州 | 槇尾 | 13 | ーまきのをといふ所へまかりしに、・・・ |
| 深日 | 34 | ーいづみに、ふけひのうらと申す所にて、 | |
| 摂州 | 住吉 | 22 | ーすみよしにまゐりつきて、 |
| 193 | すみよしにまうでて侍りしに、・・・ | ||
| 195 | すみよしにまゐりて、 | ||
| 天王寺 | 35 | ー天王寺西門にて、 | |
| 三島江 | 47 | ーみしまえのわたりにをのこのあるが、・・・ | |
| 194 | ー・・・修業にまかりいでしに、みしまえにて、 | ||
| 大和 | (すがたの池) | 25 | ーまた、やまとのかたより、 |
| 耳成山 | 37 | ー・・・みみなしやまといふ所にてほととぎすをききて、 | |
| 38 | 「ほととぎすみみなしやまになくよりは・・・」 | ||
| 御蓋山 | 44 | ー・・・みかさのやまのもみぢを見侍りて、 | |
| (大峰) | 122 | ーみたけへいりつかんとて、・・・ | |
| 近江 | 竹生島 | 17 | ーちくぶじまにこもりて侍りしに、・・・ |
| 三井寺 | 21 | ー三井寺かくなりていでしに、・・・ | |
| 130 | ー三井寺に、かくなりてかまりたりしに、・・・ | ||
| 183 | ー三月のつごもりに、三井寺へまかるとて、・・・ | ||
| 志賀 | 29 | ーしがにまゐりて侍るに、・・・ | |
| 京 | 宇治 | 159 | 宇治まで花みにまかりたりしに、・・・ |
| 仁和寺 | 168 | 仁わ寺ながをの宮より、 | |
| 203 | ー仁わ寺ながをの宮より、 | ||
| 鳥辺山 | 188 | ー・・・とりべやまのほととぎすをききて、 | |
| 西山 | 202 | ーにしやまの五せちのみやうぶのもとより、・・・ | |
| 東国 (泉州) | 佐野 (泉佐野) | 32 | ーさのといふところをすぐる程に、・・・ 「・・・さののふなはしけふぞわたると」 |
| 播州 | 室 | 33 | ー・・・むろといふ所にて、たかるをみて、 |
| 79 | ー・・・むろのみなとといふ所にて、・・・ |
私家集の詞書きや和歌から見る限り、行尊は、自らの根拠地を三井寺(園城寺)として、主として、 難波を経て、和泉国経由、紀伊国の各地を巡行する機会が多かったようです。 和歌浦を詞書きに多く残していることもそれを物語っているのではないでしょうか。和歌浦は修業地 ではありませんが、粉河寺へ、高野山へ、あるいは、大峰山・熊野・本宮への修業の途上、必ず、 立ち寄って目に焼き付けた風景であるようです。 以上、僧侶としての行尊にとってゆかしきところである那智、熊野、粉河、槇尾、天王寺、三井寺 等を巡拝して参りましょう。目次に戻る
(その1)法然上人語録 ある人「念仏の時に眠くなって行が出来ません。この障害を防ぐには ?」 上人「目が覚めたら念仏をしなさい」 上人「往生は確実なものと思えば確実、不確実と思えば不確実」 上人「疑いながらでも念仏すれば往生する」 (その2)怒りっぽい良覚僧正 寺のそばに大きな榎があったので、人々が「榎の僧正」と呼んだ。 こんな名は怪しからんというので、その木を切ってしまい、その根があったので、 人々が「切杭の僧正」と呼んだ。 僧正は益々立腹して、切り株を掘り返して捨てたので、そのあとが大きな堀になったから、 人々は「堀池の僧正」と呼んだ。 (その3)高倉院法華堂の律師の人生訓 某僧の律師は自分の容貌の醜悪で陋劣なので、鏡も見ず、人とも交際しなかった。 ・・・賢そうな人でも、人の批判ばかりしていて、自分を事は知らないものである。 自分を知らないで、他を知るという道理はあるはずもない。それ故、自分を知って いるのを「ものを知る人」と称すべきである。 形が醜くとも気がつかず、心の愚なのを知らず、藝の拙劣も知らず、自分が詰まらぬ 人物というのも知らず、自分が歳を取ったのも知らず、病気になりそうなのも知らず、 死の近づいているのも知らず、行う道の未熟なのも知らず、わが身の欠点も知らず、 まして、他人が誹っているのも知らないのである。 ・・・形醜く、心懼れながら、宮に出仕したり、無知でありながら大才に交わったり、 未熟の芸を持って練達の人の座に加わったり、頭に雪をいただきながら壮者と並んだり、 力及ばぬ事を希望したり、さらにその望みの叶わぬことを嘆いたり、来るはずのないことを 期待して、人を懼れ、人に媚びるなどは、人の与える恥辱ではない。 どん欲の心に惹かれて、われとわが身をはづかしめているのである。貪欲の念の止まない 結果、眼前に死が来ているのさえ、確実に認識できないのである。 (その4)兼好法師の高僧談五箇条(「一言芳談」より) 1.「する」か「しない」か迷うことは、概して、「しない」ほうがよい。 2.仏道を心掛けるものは、味噌桶一つ持たぬ事。 3.遁世者は、何もなくとも不自由しない生活様式を考えること。 4.上流人は下等社会人のように、知者は愚人のように、富人は貧民のように、 才能の士は無能者のようにありたい。 5.仏道を願うとは、暇のある身になって、世間のことを心に掛けないこと。
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