敷 島 随 想

(百人一首歌人旅)



「連 載」 第 101 回  *** 第22番(その2) ***
*****  文屋康秀ー文屋の故郷  *****

目    次
<押立神社> <文室氏族> <参考メモ>

百人一首・第22番 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ


<押立神社>

 滋賀県愛知郡湖東町大字北菩提寺に火産霊大神(ほむすびのおおかみ)と伊耶那美大神(いざなみの
おおかみ)を祭神とする「押立神社」があります。
 地理的には、その名の通り、琵琶湖の東側、近江八幡市、安土町のさらに東に隣接しています。
 北は五個荘町やや愛知川町を介して彦根市があり、南は八日市市があり、周辺一帯はかっての近江
商人発祥地になります。

押立神社の参道と本殿

湖東町の地理
  この町の西側を東海道新幹線が東側を名神高速道が通り、東方一体は湖東三山と金剛輪寺や百済寺
などの県立自然公園となっています。菩提寺地区は、町内北部県道13号線沿いに位置しています
から、近江米を産する近江平野の真っ直中に当たりましょう。

 この神社の由緒は次のように伝承されています。

 「火産霊大神は、上古より押立山の三瀬嶽に鎮座されていました。伊耶那美大神は、称徳天皇朝の
  神護景雲元年(769)に加賀国の白山より遷御された。」と。
 「天元元年(978)、押立庄下一色の「文室康兼」の邸宅に権殿を設け、運命水神社と称し、
  その後、現在地に遷座して押立庄総社押立大明神と崇敬された。」とのことです。

 ここに「文室康兼」なる人物が神社の創建に関与していたことが分かります。氏名より推して、
明らかに文室康秀の親族に当たりましょう。
 文室康兼への崇敬の念から、平成14年5月、有志の方々によって押立神社に文屋康秀・朝康父子の
百人一首歌碑が建立されました。

文屋康秀・朝康父子の百人一首歌碑
 当社では、毎年四月下旬「押立祭」を催しています。「客人祭」ともいわれ、地区周辺の十八ヶ字の
中から2ヶ村落より「卯之鳥」と「擬宝珠」の神輿を渡御させるものです。
 また六十年に一回「ドケ祭」という名の祭事も挙行されています。
 これはかってその昔、祭神遷御の時、氏子が揃って迎えたお渡りで、「ドケ」とは、「道化」あるいは
神様のお通りで「ドッケ、ドッケ」の意味とか。
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<文室氏族>

 押立神社の遷御に尽力した「文室康兼」は「文屋康秀」の近しき親族であったかどうかは確認でき
ませんが、両名とも「ふんや」と呼び、呼ばれていたことから、氏族系統を同じにすることになるで
しょう。
 文室氏の系統は歴史資料に依りますと、次のようになります。

 天武天皇皇子長親王の子智努王・大市王兄弟が天平勝宝四年(752)孫王賜姓の先例として臣籍
降下し、文室氏(姓は真人、のち朝臣)を賜ったものです。後に「文屋」の姓も称しているという
ことです。
 「文室智努」は天平宝字五年(761)、名を浄三(きよみ)と改め、従二位まで昇進し、770年
78歳でなくなっています。
 その子に大原と与伎がおり、大原は三諸朝臣となり、その子の綿麻呂・秋津兄弟が文室朝臣を継承
しました。

 文室浄三(智努王)の生きた時代は、万葉集の末期に当たりますから、二首ほど「従三位智努真人」で
万葉集に記載されています。巻17・3926番歌の詞書きに「智努王」として、また巻19・4275
番歌では、

 「天地と久しきまでに万代に仕へ奉らむ黒酒白酒を」

 なお、文室智努の弟・文室大市は「邑珍」とも称し、奈良朝廷の後期に要職に就きました。
 以上の文室氏族の経歴要点は下記の参考メモに記します。
                                    (以     上)
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<参考メモ>

      文室浄三(ふみやのきよみ)(693〜770)

  奈良時代の貴族。天武天皇孫。長親王の子。智努王。
  養老 元年 717 従四位下直叙
  天平十九年 747 従三位 非参議 摂津大夫歴任
  天平宝字元年757 六月参議 文室智努
      五年761 中納言 文室浄三(智努)
      七年763 御史大夫 
      八年764 九月辞任
  東大寺兼法華寺大鎮、浄土院別当に任じ、鑑真大和上の菩薩戒を受け、
  のち、伝燈大法師位を授けられ、「三界章」「仏法伝通日本紀」を著す。


      文室大市(ふみやのおおち)(704〜780)

  長親王第七子。大市王。
  天平十一年 739 従四位下直叙、 刑部卿、大蔵卿、弾正尹、民部卿歴任。
  天平神護元年765 従三位
      二年766 参議 中納言
  天平宝亀二年771 大納言
      三年772 老病で致仕上申
      五年774 致仕勅許
     十一年780 十一月没。前大納言正二位。77歳。 
  天平勝宝年間以降、政変によって罪に陥る者多し。よって沙門で身を全うせんとした。


      文室綿麻呂(ふみやのわたまろ)(765〜823)

  平安期官人。文室真人浄三孫。三諸朝臣大原の長子。
  延暦十四年 795 従五位下。右大舎人助、近衛将監、播磨守、侍従、中務大輔、右兵衛督、
            右京大夫、左大舎人頭歴任。
  大同四年  809 文室真人朝臣賜姓
  弘仁元年  810 薬子の変で平城上皇側にあり、左衛士府に禁錮。坂上田村麻呂献言で許される。
            正四位上参議で、上皇の東上を阻止。大蔵卿兼陸奥出羽按察使。 
  弘仁二年  811 征夷将軍で、蝦夷を討つ。天平宝亀五年(774)以降の
            陸奥辺境蝦夷征討終結。
  弘仁七年  816 右近衛大将。
  弘仁八年  817 兵部卿
  弘仁九年  819 中納言勲四等
  弘仁十四年 823 四月没。59歳。


      文室秋津(むみやのあきつ)(787〜843)

  文室浄三孫。大原第四子。
  弘仁七年  816 従五位下叙
  弘仁八年  817 甲斐守
  天長七年  830 従四位下参議、右大弁、左大弁、春宮大夫、左近衛中将、検非違使別当、
            右衛門督歴任。
  承和九年  842 伴健岑の謀反に連座、出雲員外守左降。
  承和十年  843 従四位下、没、57歳。
  非違を監察するに長じた。
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平成14年12月15日・磯城島綜芸堂・主筆 謹言
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