
ありがとう8000系
〔自由が丘駅 5050系の登場により廃車されていった8000系。同編成は2008/12/18で運用を離脱した。〕
1962年(昭和37年)登場の7000系電車以来の流れを汲むアメリカ・バッド社のライセンスによるオールステンレス車で、機能最優先な直線基調の形態である。輸送力増強と将来の新玉川線での使用を念頭に、東急では初の20m級・両開き4ドア車体となり、在来型の18m3扉車に代わり、以降の同社の標準となった。
前面のデザインは、当初、東急車輛の提案による、FRPの枠を用いた「額縁」スタイルで進められており、モックアップまで製作されていたものの、東急電鉄側の方針転換により、切妻形として簡素化された。一旦お蔵入りとなったデザインは、その後小田急9000形に流用され、日の目を見る。機器類については極めて先進的で、制御系には回生制動が可能な他励界磁チョッパ制御方式を世界で初めて実用化し、また、運転台操作系には、量産車としては日本初となる、マスコンハンドルとブレーキレバーを一体化した「ワンハンドルマスコン」が採用されている。
東横線では2008/1/13に運転終了、大井町線では2008/2/22に運転終了。これにより8000系は全廃された。
〔?駅付近 走行中の車内より撮影。この撮影から5ヶ月後に引退するとは思ってもなかった。〕
〔学芸大学駅 リバイバル急行で運転した8039編成。前面の帯を取り、登場時に近い状態で運転された。撮影日は私の誕生日でもあった。〕
〔学芸大学駅 ファンに見守られ渋谷に向かう同編成。幕も登場時に近い状態です。〕

〔元住吉駅 最後の停車駅になった元住吉駅。この日で営業運転を終了し現在はインドネシアで活躍中。〕
〔武蔵小杉駅 ついに8000系が東横線より撤退する日がきてしまった。幕に戻され、急行灯も復活した。〕
〔菊名駅 この風景も見納めに…〕
〔菊名駅 短い共演だった8000系と元町中華街表示。奇跡的にLEDがはっきり写った。〕
〔元住吉駅 たくさんのファンに見守られ元住吉駅に到着した8000系。この運転は新聞にも取り上げられた。〕
たくさんのファンたちが電車から降りてきた。ものすごい量である。
手作りと思われるHM。最後ということもあり飾りもつけられている。
ファンの待ち望んだ桜木町表示もされた。この後ダイヤの関係で幕が回転中の状態で元住吉駅を出て行った。
〔元住吉検車区敷地外 運転終了後、車庫い戻った同編成。社員がHMを持ち上げて並び、ファンサービスがされていた。〕
しばらくの間急行灯をつけたりなどファンサービスをしてくれた。陽がさしてきたのでその瞬間を一枚。
これで東横線での8000系の運転は終了された。1/23日に同編成は雪の中、長津田工場へ廃車回送された。
大井町線8000系
〔尾山台駅 この時点で8000系は一編成しか活躍していませんでした。〕
〔二子玉川駅 3ヶ月後には大井町線を去ることになる。一般客の人には分からないだろう。〕
〔長津田検車区敷地外 事故を起こしてから運用に入らず長津田検車区に放置されている。たまに検車区内を移動する。〕
〔長津田検車区敷地外 数回だが大井町線へ試運転をしに行ったそうだ。運転復帰にいたらなかったが…〕
〔二子新地〜二子玉川 走行中の車内より。とうとうラストランの日が近づいてきた。〕
〔二子玉川駅 うしろには3/28日より運転する6000系がいる。時代の移り変わりがよくわかる。〕
〔大井町駅 ラストランまで一週間をきった。このころからファンサービスをしてくれるようになった。〕
〔二子玉川駅 ついに運転最終日。飾りが施されなかった。平日ながらも多くのファンが乗車・撮影した。〕
〔九品仏駅踏切 暗くなってきたのでブレてしまった。記録としては最後になったこの一枚。さようなら。〕
これにより8000系は東急より消えました。ですが地方や海外で生き残っている子たちもいます。その車両はのちに撮影に行きます。
なお8001・8005は3/27と4/1に恩田へ回送された。
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