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| 馬車道(横浜市中区) …横浜の関内駅を北西に進むと「馬車道」という名の通りがあります。 横浜が開港して,すぐ外国人から「馬車の通れる道を」という要望で整備された道です。 当時は,日本初のアイスを売る店やガス灯が並び,文明開化の最先端の場所だったそうです。2003.3.14 (参考:壁紙「馬車道」) |
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| 日本初のガス灯(復元)(横浜市中区) …1872年,横浜の大江橋から馬車道,本町通りにかけて日本初のガス灯がともりました。 横浜の「馬車道」にある関内ホールの前に,日本最初のガス灯を記念するプレートと当時のガス灯を再現したものがあります。2003.3.14 |
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文明開化 街の様子 …文明開化時の街の模型です。人力車や鉄道馬車のレール,煉瓦造りの家。 そして当時の人々の様子が模型で再現されています。 (拡大写真は2枚)江戸東京博物館2003.3.15 |
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円タク(1円タクシー) …1920年代に現れた,市内どこに行っても1円の均一料金で走った円タク(1円タクシー)です。 実際は,乗客が値切って料金が決まることが多かったとのこと。 写真はT型フォードです。江戸東京博物館2003.3.15 |
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| アイヌの住住居「チセ(チャシ)」(北海道平取町) …木組みの柱に,茅(カヤ)などで壁や屋根を葺いたアイヌの住居チセ(チャシ)です。 釘は使用しないで,ツルなどの植物で固定して作ります。今では,ほとんど北海道でも見ることができません。 写真は,復元されたものと,復元最中のものです。 二風谷アイヌ文化博物館にて。2002.8.11 |
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| 旧樺戸集治監本庁舎(北海道月形町) …1880(明治13)年に,萩の乱や西南戦争などの逮捕者らを大量に収監する場所として明治政府は,樺戸集治監をつくりました。 囚人は,開墾作業のほか,道路開削などの過酷な作業も行わされました。 逃亡した囚人には鉄丸という拘束具も付けられました。その囚人達の様子を,吉村昭が「赤い人」(講談社文庫)で描いています。 写真の建物は,1886(明治19)年に焼失した後に建て直されたもので,廃監後には,町役場庁舎として使われました。 現在は,樺戸博物館となっています。入口のすり減った石段が歴史を物語っています。2000.7.23 |
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新島襄の海外渡航の地碑(函館市) …「北海道第一歩の碑」の近くの倉庫を抜けると「新島襄」海外渡航の地碑があります。 新島襄は,新知識を海外に求めるため,1864年に江戸から函館に渡り,当時の国禁を犯して,上海経由で渡米しました。 修学10年後帰国し,同志社大学の前身となる「同志社英学校」を創設しました。2003.8.7 |
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旧北海道庁舎(札幌市) …「赤レンガ庁舎」は,1888年,明治政府が建設したものです。 塔頂部の高さは33mで,現在の11階建てビルに相当します。赤レンガ庁舎は,1909年に火災で,内部を焼失しましたが,1968年に北海道百年を記念して,創建当時の姿に復元しました。 現在,国の重要文化財。2002.1.7(関連:壁紙 旧北海道庁) |
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| 戦後,砂糖配給券 …戦後,甲府市で配られた砂糖の配給券です。 |
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米穀類通帳 …いわゆる「米穀通帳」。お米の配給を受けるために発行されていた通帳です。 身分証の役割も持っていましたが,1981年に廃止されました。私の父親が持っていたもの。 |
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養蚕=蚕棚 …明治政府は,外貨を獲得するために養蚕を奨励し,生糸を輸出しました。 北海道でも屯田兵に蚕を飼わせ,札幌に官営の桑園を作りました。(札幌の地名「桑園」の由来。) 写真の養蚕の様子は,1905(明治38)年に空知支庁の樺戸郡浦臼町に作られ,その後,開拓の村に移築・復元された,「旧田村家北誠館蚕種製造所」のものです。 昭和20年代後半には,道内では養蚕業は,ほとんど見られなくなりました。北海道開拓の村 2004.6.6 |
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クラーク博士の手紙 …1877(明治10)年に出されたクラーク博士直筆の手紙。 クラーク博士(ウィリアム・スミス・クラーク)は,明治政府の要請で,1876(明治9)年,札幌農学校教頭で赴任。 8ヶ月の滞在の後,離日しています。 「青年よ,大志を抱け('Boys, be ambitious)」の言葉は,有名です。 北海道開拓記念館にて 2007.6.26 |
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黒田清隆とケプロンの像(札幌市) …札幌大通公園10丁目にある黒田清隆像とケプロンの像です。 黒田清隆は幕末に官軍として五稜郭を攻撃。維新後,北海道開拓長官となります。また,大日本帝国憲法発布時の首相です。 ケプロンは,アメリカ合衆国の農政家で,明治4年〜8年まで北海道開拓使の顧問。札幌農学校の設立にも関係しました。 2002.2.8(札幌雪祭りに撮影) |
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春帆楼のフグヒレ酒 …ふとお店で目にしたお酒は「春帆楼のフグヒレ酒」と書いてありました。 「春帆楼」は,山口県下関市にある旅館で,1895年の日清講和条約「下関条約」の会場となった場所です。 「春帆楼」の名前もを付けたのも,条約の場所を決めたのも伊藤博文です。 お酒は,じっくりと味わっていただきました。2004.12 |
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| 北海道の道路元標(札幌市) …有名な旧北海道庁(通称赤レンガ)の正門横に,ひっそりとあります。 道路元標とは,各市町村の国道・道道の起終点とされていた標識です。 1928(昭和3)年初めて設置され,1982(昭和57)年に再建されたものです。2002.1.7 |
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| スピリット・オブ・セントルイス号(レプリカ)(北海道千歳市) …リンドバーグが初めて大西洋無着陸飛行に成功した飛行機。 新千歳空港にて。2001.6.18 |
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昔の電話交換手1 …電話の加入台数の少ない頃は,電話回線を手作業でつないでいました。 2人の前にあるのが,その機械です。昭和30年頃の写真?私の母の職場の様子。 (関連:昔の道具 電話交換機) |
昔の電話交換2 …上の「昔の電話交換手1」よりやや古い写真。 電話回線をつないでいる様子や交換手用のマイクが写っています。 |
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| 明治天皇・皇后御真影 …明治天皇・皇后の御真影です。 「御真影」とは,天皇,皇后の写真(絵)の事です。旧余市福原漁場2004.11.14 |
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| 日本占領下で使用された朝鮮銀行券(1円 昭和7年) …戦前の日本政府が占領していた朝鮮銀行券。 サイズは,横12.4cm×縦7.0cm。兌換紙幣の但し書きが印刷されています。 悲しい歴史の産物。古銭ショップで購入。 |
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ロシア帝国で使用された紙幣(10ルーブル1909) …1909年発行のロシア帝国時代の紙幣。縦長の珍しいデザイン。 サイズは,横10.4cm×縦17.4cm。紋章も入っています。古銭ショップで購入。 |
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| 国勢調査ポスター …昔(?)の国勢調査のポスター。「ありのままに…」と脅かし気味に。北海道開拓の村にて。 |
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康楽館〜日本最古の現役木造芝居小屋(秋田県小坂町) …1910年(明治43年)に建てられた芝居小屋です。 まだ現役の芝居小屋として使用されています。当時の小坂鉱山の厚生施設でした。 回り舞台や切り穴など歌舞伎小屋の舞台裏見学もできます。建物は,国の重要文化財に指定。 私も修学旅行の引率でよく行った建物です。2003.6.3 |
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| 康楽館〜芝居小屋の明かり窓・回り舞台(秋田県小坂町) …「明かり窓」は,桟敷の上部に設置され,自然光を窓の開閉によって光源としたもの。 「回り舞台」は,舞台中央の円形の部分を,舞台の地下で人力によって回すようにした装置です。2003.6.3 |
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| 満州重工業開発株式会社の株券(レプリカ) …満州にあった「満州重工業開発株式会社」の額面50円の株券です。 |
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| 満州で使用された切手 …満州国建国10周年の記念切手。農民らしい人物とバックに工場がデザインされています。 |
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| 満州で使用された紙幣(丙号券1角fen) …満州中央銀行で発行された満州国紙幣。サイズは,横10.2cm×縦5.2cm。戦後は,無効になってしまったんでしょう。 1角は,1円=10角,1角=10分,1分=10厘と考えられる。 (HP「ナマでさわれる実物教材」の高橋さんからの情報)古銭ショップで購入。 |
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| 日本帝国海外旅券(Passport) …1914(大正3年)の外務省が発行した海外旅券(=パスポート)。 移民として渡る人のもので,「身長五尺一寸」や「長男」等と記載され,当時の外務大臣は,加藤高明だったことがわかります。 函館北洋資料館2005.2.19 |
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大東京の麗観(昭和初期の東京絵葉書) …骨董市で見つけて500円で買った昭和初期の東京絵葉書「大東京の麗観」です。(詳細な時期は不明。) 銀座・日本橋・靖国神社, 浅草観音堂・上野・帝国議事堂・丸の内ビル街・皇居・明治神宮外苑絵書館の8枚入りです。 拡大写真でじっくりとご覧ください。2007.09.30 |
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千島樺太交換条約(樺太・千島交換条約)(北海道函館市) …1875(明治8)に日本とロシア帝国で結ばれた国境を確定させる条約。 (署名した場所からサンクトペテルブルグ条約とも言われます。) この時の日本全権大使は,榎本武揚。写真にも「榎本武揚」が読めます。条約の正文はフランス語だそうです。 函館市北洋資料館2005.3.18 |
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樺太国境碑(レプリカ)(北海道小樽市) …1906(明治39)年,日本郵船小樽支店の建物で,日露戦争後,樺太の日露国境画定会議が行われました。 その時の国境に建てられた国境碑のレプリカです。 碑には,「大日本帝国」の文字。なお,その建物は,現在,重要文化財にも指定されてます。 写真は,樺太国境碑の日本側&ロシア側,旧日本郵船の建物,日露国境会議室。 2001.12 |
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本斗商工之栞 …樺太にあった本斗郡本斗町(現在は,ロシアのネベリスク市及びネベリスク町地区)の商工会が,稚内-本斗連絡船航路を宣伝するために,1929(昭和4)年6月に発行したものです。稚内-本斗間で約7時間の船旅でした。 道庁樺太関係資料館にて2006.5.4 (資料参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) |
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| 北海道開拓 | |
| 北海道開拓民の小屋(札幌市) …明治初期の北海道開拓民の小屋を復元したもの。北海道開拓の村。 2000.6 |
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| 北海道開拓民の小屋内部(札幌市) …北海道開拓民の小屋の内部の様子です。すきま風が入ってきそうです。 北海道開拓の村 2000.6 |
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屯田兵村兵屋(札幌市) …1874年(明治7年)開拓使は,最初の屯田兵を札幌の琴似に入地させました。 屯田兵は,軍隊でもあり,開墾作業をする開拓民でもありました。厳しい自然環境の中,小屋の煖房は囲炉裏だけ。 拡大写真には,説明板と記念碑もあります。(国指定史跡)2006_5_4 |
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屯田兵の辞令 …1893年(明治26年)に出された屯田兵の辞令。 北海道開拓記念館にて2007.6.26 |
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| 札幌大通り公園 北海道開拓記念碑(札幌市) …札幌大通り公園6丁目にある開拓記念碑です。 大通公園には,有島武郎文学碑や黒田清隆&ケプロン像などの歴史に関係する記念碑や銅像がたくさんあります。2002.1 |
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北海道第一歩の碑(函館市) …函館の金森倉庫群の近くにある「北海道第一歩の碑」です。 もともとの東浜桟橋で,明治維新以来,貨物船や青函連絡船・北洋漁業の桟橋として活躍しました。 多くの人がここから北海道の第一歩を踏み出しました。(「北海道第一歩の碑」壁紙へ)2003.8.7 |
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札幌ビール園(開拓使麦酒醸造所)(札幌市) …1876(明治9)年に開拓使麦酒醸造所としてビール醸造が,官営工場ではじまりました。 建設事業責任者となった村橋久成は,北海道の気候風土と麦やホップによる農業を盛んにする目的で,札幌の場所を選びました。 札幌ビールのマークは,開拓使関連の「赤い星」=「五陵星」です。 サッポロビール博物館2006.6.25 |
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開拓使麦酒醸造所の開業式(札幌市) …1876(明治9)年にサッポロビールは,「開拓使麦酒醸造所」として開業しました。 開業式の記念写真には,ビール樽を積み上げ白ペンキで「麦とホップを製(せい)す連者(れば) ビイルとゆふ酒に奈(な)る」と書かれています。 写真は,開業式の樽を再現したものです。サッポロビール博物館2006.6.25 |
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開拓使札幌本庁舎(札幌市) …1869(明治2)年に北海道開拓のため開拓使が設置されました。 写真の建物は,1873年に建設された開拓使札幌本庁舎を復元した建物です。 中央の塔の部分まで入れると現在のビルの7階建てに相当する高さです。 本物の建物は,1879年に消失しました。札幌中心部の旧北海道庁(通称:赤レンガ)は,1888年に開拓使の庁舎として建てられました。北海道開拓の村2004.6.6 |
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開拓使発行の船鑑札 …1874(明治7)年に開拓使が発行した船の通行許可証(通行手形)です。 「渡島国亀田郡函館 金峯丸」という船の物です。写真には表と裏がありますが,左側が複製。 小樽市博物館にて 2004.10.23 |
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| 北海道開拓の五陵星(札幌市) …五陵星は,北海道開拓徽章として,北海道開拓使支庁,各支庁,北海道の官営工場の商標,服章などに使用され,北海道開拓のシンボルマークになったものです。 写真の五陵星は,以前の札幌時計台に使用されていたものと,当時の札幌農学校の行事の際,使用されていた装飾品を再現したものです。 現在の時計台,旧道庁赤レンガや札幌ビール園などの建物で五陵星を確認することができます。 (拡大写真にあります。)2002.1.7 |
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| 文学・芸術 | |
| 泉鏡花の生家跡(金沢市) …小説家の泉鏡花は,1873(明治6)年に金沢市(現尾張町2丁目)に生まれました。 「高野聖」で人気作家となり,鏡花の作品は「幻想文学」ともいわれます。 泉鏡花の生家は明治時代に消失し,現在,跡地は,記念館となっています。2007.1.21 |
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| 小林多喜二記念碑(小樽市) …「蟹工船」で有名なプロレタリア作家の小林多喜二記念碑。 小樽旭山展望台にて2001.6 |
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| 岡倉天心生誕の地碑(横浜市) …横浜開港資料館敷地内に,「岡倉天心生誕の地碑」がありました。 岡倉天心は,フェノロサに学び,彼と協力して東京美術学校を開設。日本美術に貢献した人です。 岡倉天心は,「石川屋」という生糸店に産まれ,当時の横浜開港にともない実家が福井から移転していたのだそうです。2003.3.14 |
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岡倉天心の像(福井市) …岡倉天心は,越前藩士岡倉勘右衛門の次男として,1862(文久2)年に横浜で生まれました。 写真は,福井市中央公園の岡倉天心の像です。出張で福井市内をブラブラ歩いていて見つけました。 天心は,自身の心のふるさととして福井に愛着を持っていたそうです。2007.1.20 |
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| 石川啄木一族の墓(函館市) …「一握の砂」で有名な詩人の石川啄木一族の墓。 啄木が函館に住んだのは4ヶ月あまりですが,「死ぬときは函館で…」と言ったほど函館に愛着があったそうです。 1912年に東京でなくなった啄木ですが,遺骨は婦人の希望で函館に移されました。立待岬に行く途中で津軽海峡を臨む場所にある墓には,妻・子・両親が啄木と共に眠りについています。 「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」の詩が刻まれています。2003.8.6 |
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| 石川啄木像 函館大森浜(函館市) …石川啄木が好んだ函館大森浜に啄木小公園があります。 像の台座には,「潮かをる 北の浜べの砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けるや」とあります。 公園内には,西條八十が啄木に捧げた詩が刻まれている歌碑もあります。(「石川啄木像」壁紙へ)2003.8.6 |
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石川啄木歌碑 札幌大通公園(札幌市) …札幌大通公園3丁目に,石川啄木像と歌碑があります。 歌碑には,「しんとして 幅廣き街の 秋の夜の 玉蜀黍(とうもろこし)の 焼くるにほひよ」とあり, 歌碑側面に彫られた「秋風記」には,「札幌は寔に美しき北の都なり」「札幌は秋風の国なり、木立の市なり」…と札幌について印象が刻まれています。 この彫刻は、啄木没後70年を記念して1981(昭和56)年に建立されました。 小学校の自主研修で大通公園を歩いている途中に2007.08.31 |
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| 学校 | |
| 大正時代の卒業写真 …私の祖母の大正時代の尋常高等小学校の卒業写真です。卒業生よりも教員がメインに座っているところに注目。 |
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昭和初期の学芸会 …母の昭和初期に撮った学芸会の記念写真。 のぼりに「御伽草子」とあり,よく見ると金太郎や桃太郎らしき登場人物がいます。 現代の学芸会に比べて,衣装の凝っているところに注目。 |
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| 開拓使時代の教員辞令 …小樽市立量徳小学校は,北海道でも最も古い学校の一つです。 写真は,1881(明治14)年に開拓使学務課からの教員辞令です。当時の教員は「訓導」といわれていました。2004.6.6 |
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| 開拓使時代の卒業証書 …1878(明治11)年の小樽量徳学校の卒業証書です。 「達成学科第六級卒業」と書いています。2004.6.6 |
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黒田清隆の書 …1878(明治11)年11月26日 陸軍中将兼開拓使長官であった黒田清隆の書です。 小樽市立量徳学校の校長室に飾ってあります。2003.8 |
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「皇紀」が記載されている記念写真帳 …澤町尋常高等小学校の1934(昭和9)年に発行された60周年記念写真帳です。 表紙には,「2594.6.26」と西暦ではなく,「皇紀」で記載されています。 「皇紀」は、正式には「神武天皇即位紀元」といい,初代天皇の神武天皇の即位を元年(紀元)とする年の数え方(紀年法)です。 「皇紀」は,「皇歴」「神武暦」「神武紀元」ともいいます。 明治から終戦までは、よく使われたそうですが、現在でも「皇紀」は,正式に廃止されてはいないそうです。2007.10.24 (資料参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) |
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奉安殿と教育勅語 …澤町尋常高等小学校の1934(昭和9)年に発行された60周年記念写真帳にある校歌の写真です。 「奉安殿」の写真と校歌の歌詞には「教育勅語」の語句があります。 「奉安殿」は、各地の学校で,御真影(天皇皇后の写真)と教育勅語をおさめていた建物です。 奉安殿の前を通過する際には,すべての人が服装を正し,最敬礼するように決められていました。 戦後,GHQの指示で奉安殿は廃止されています。 「教育勅語」(=教育ニ関スル勅語)は,明治天皇が臣民に語りかける形式で,戦前は教育の指針とされました。 戦後,1948(昭和23)年に国会の決議で排除・失効されています。 2007.10.24 (資料参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) |
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| 鉄道の歴史 | |
鉄道馬車(札幌市) …「鉄道馬車」(=馬車鉄道)は,名前の通り,馬に引かせる鉄道です。 レールの上を走ることによって,普通の馬車よりもスピードが出たそうです。やがて鉄道馬車から路面電車となっていきます。 写真は,「北海道開拓の村」を走る鉄道馬車です。2004.6.6(拡大写真は2枚)(参考:壁紙「鉄道馬車」) |
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北海道鉄道開通起点標(小樽市) …小樽市の手宮は,日本で3番目(最初は札幌-小樽)に開通した「幌内鉄道」の起点です。 炭坑からの石炭の積み出し用に造られた鉄道なので,産業鉄道としては,日本初となります。 小樽は,この鉄道のため北海道産業の中心地として栄えました。手宮には,「小樽交通記念館」があり,記念標は,その敷地内に建っています。 記念館では,機関車の前部には,カウキャッチャーが見られる,1909年アメリカ製の蒸気機関車にのることができます。 (関連:壁紙 アイアンホース号) 現在,「幌内鉄道」(手宮線)には,鉄道は走っていません。2002.8.26(関連:鉄道発祥の地碑) |
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幌内:鉄道発祥の地碑(三笠市) …幌内鉄道(幌内−小樽)の起点です。三笠市鉄道記念館の中にあります。 記念館では,コークス(石炭をむし焼きにした,火力の強い燃料)輸送に使用された蒸気機関車にのることができました。 2006.8.12 |
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| 手宮線跡地(小樽市) …日本で3番目に開通した,旧幌内鉄道(手宮線)の跡地の写真です。 現在,鉄道も駅も廃止され,跡地は小樽の冬のイベント「小樽雪あかりの路」などに利用されています。2003.8.26 |
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| しずか号(小樽市) …札幌〜小樽(手宮)間を走った陸蒸気の「しづか号」です。アメリカ製なのでカウキャッチャーが前についています。 その他にも幌内鉄道には,「義経」,「弁慶」,「比羅夫」,「光圀」,「信広」といった陸蒸気が使われていました。 (拡大写真には,運転席の写真もあります。)2003.8.26 |
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| 北海道初の鉄道(小樽市) …1880年(明治13年)11月28日に道内初めての鉄道が開業しました。 この写真は,1880年10月24日の開業前試運転のため,小樽の若竹第一トンネルから入船陸橋を通過する「蒸気機関車「弁慶号」の模型です。日米両国旗を掲げ,カウキャッチャー部に人が乗っている様子が模型に再現されています。 小樽交通記念館にて2003.8.26 |
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幌内炭坑鉄道開業式の記事(函館新聞)(小樽市) …1883(明治16)年の函館新聞の記事。 列車が手宮停車場から出発したことや小樽市内で祝旗がたくさん飾られたこと,桟橋から21発の花火をうちあげたこと…と当時の鉄道開業の様子が記録されています。(拡大写真の赤枠の部分をご覧ください。) 小樽市総合博物館にて2008.3.2 |
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機関車庫と転車台(小樽市) …1885年(明治18年)に作られた機関車庫は,現存する日本最古のもの。 レンガ積み一階建て。機関車庫前にある転車台は,機関車の方向を変えるための装置。1919年(大正8年)に製造され,1974年(昭和49年)まで現役で使用されていたものです。 小樽交通記念館にて2003.8.26(関連:壁紙 転車台と車庫) |
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| クロフォードの像(小樽市) …アメリカ人のジョセフ=ユリー=クロフォードは,1878年に開拓使から「鉄道並びに馬車道建築兼土木顧問」として雇われ,幌内鉄道(幌内-札幌-小樽)の建設に技師長として活躍しました。 最大の難所は,銭函〜小樽間の切り立ったカムイコタン海岸の鉄道建設だったそうです。 「小樽交通記念館」の入口に像があります。2003.8.26 |
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手宮駅長官舎(札幌市) …北海道で初めての幌内鉄道の職員官舎として1884年から使われた建物です。 北海道開拓の村に復元移築されました。窓などが洋風の建物で,同様の建物が6棟あったそうです。2004.6.6 |
さよなら手宮線記念切符 …1985年(昭和60年)11月4日に北海道初の鉄道である手宮線が廃止されました。写真は,当時の国鉄で発行された記念切符の見本です。三笠鉄道記念館にて。2006.8.16 |
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鉄道発祥の地碑(横浜市) …1872年に新橋−横浜の間に日本初の鉄道が開業しました。この時の横浜駅が現在の「桜木町駅」です。 現在の桜木町周辺は,「みなとみら21」の入口にあたる場所となっています。 その桜木町の東側のひっそりとした場所に「鉄道発祥の地碑」が置かれています。目立つ場所になく,人気もあまり無く場所を見つけるのに,駅周辺を探しました。 駅の改札口近くには,「お雇い外国人」として来日し,日本の鉄道建設の父とよばれるエドモンド=モレルのレリーフや古写真が飾られていました。2003.3.13 (参考:北海道鉄道開拓記念標) |
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| ★Web中の「小樽鉄道記念館」は,2007(平成19)年「小樽市総合博物館」となりました。 | ||