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林田力『東急不動産だまし売り裁判』新聞 政策、社会運動

 

政治... 2

宇宙基本計画(案)に宇宙開発廃止論を対置する... 2

入管難民法改正案の問題を明らかにする集会... 4

竹島(独島)問題は日本側の動きが根源... 5

石原コンクリート都政の問題点を明らかにしたシンポジウム... 5

弁護士... 8

天下りと随意契約−法律事務所の事例... 8

宇都宮健児氏、日弁連会長選挙当選の要因... 8

宇都宮健児日弁連新会長の課題はモンスター弁護士の排除... 9

社会運動... 11

社会主義理論学会第20回研究集会開催... 11

大阪社会運動顕彰塔で社会運動の意義を再確認... 12

雑誌「プランB」読者会で活発な議論... 12

ネット右翼の原動力は世代間差別への反感か... 13

「天皇をひっぱたきたい」と言えないネット右翼の限界... 15

書評... 16

『東京湾の原子力空母』の感想... 16

『貧困にあえぐ国ニッポンと貧困をなくした国スウェーデン』の感想... 18

『憲法改正試案集』井芹浩文著... 19

『内部告発!社民党』松下信之著... 21

『マルクス主義の解縛』の感想... 22

『近代日本と戦争』の感想... 24

【書評】『疑惑のアングル』の感想... 25

 

東急不動産だまし売り裁判とプリウスの不具合

http://hayariki.noblog.net/

林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』

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東急不動産だまし売り裁判さんのページ

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オーマイ林田力

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林田力と桐田詩夜葉 on Technorati

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林田力とは - @PEDIA(アットペディア)

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林田力 - あのひと検索 SPYSEE [スパイシー]

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動画検索

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政治

宇宙基本計画(案)に宇宙開発廃止論を対置する

政府の宇宙開発戦略本部(本部長=麻生太郎首相)が2009年4月末にまとめた「宇宙基本計画(案)」へのパブリックコメント受付が2009年5月18日で締め切りになる。「宇宙基本計画(案)」は有人宇宙計画や防衛分野での利用など従来の方針を大きく転換するものだが、記者は宇宙開発廃止の立場からパブリックコメントを送付した。

宇宙は地に足付いた健全な生活を送る人々の生活とは無関係な頭上はるか彼方にある。そのような宇宙に挑む資金と時間があるなら、もっとこの人類の生活圏を豊かにすることに目を向けた方が有益である。現実から目をそらして宇宙で夢想するよりも、地球上での義務を果たすべきである。人類が足を置いている地球には解決しなければならない問題が山積みしている。

地球環境も守れないのに、宇宙開発を進めるのは浪費であり、無意味である。現実に地球環境は悪化しており、大気汚染や大規模自然災害で苦しんでいる人々が沢山いる。その人々を置き去りにして、莫大な国民の血税を浪費し、国威発揚や科学者の名誉心・道楽を追求するのは欺瞞である。人類及び地球上に生息する生命の平和的共存ができてからでも遅くはない。自分達の身が立つ開発を優先させるべきである。目先の問題を処理できていないのに、未来の夢を語るのは現実逃避である。

宇宙ステーション・宇宙基地を建設したところで、地球上で生活を送る何10億の人類のほんの一部でも養えるわけではない。そもそも先祖代々生活し、住み慣れた母なる地球を捨てて、生存環境を構築するだけでも高価な装置が必要な宇宙で生活することは幸福を意味しない。膨大な国民の税金と、一つ違えば人命まで犠牲にして、競ってロケットを打ち上げたとしても人類が豊かになるわけではない。19861月のスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故は記憶に新しい。

日本の経済的繁栄の一因は宇宙を舞台にした軍拡競争に参加しなかった点にある。宇宙開発が繁栄を約束するならばソ連は崩壊しなかったし、米国が双子の赤字に苦しむこともなかった。現実はその逆で、経済性を無視した宇宙開発競争が米ソ超大国の経済を疲弊させた。宇宙開発は経済にとってお荷物である。地球上で生活する人類に恩恵を与えないものが経済発展をもたらすというのは幻想に過ぎない。

何の戦略もないまま先端技術というだけで飛びつくのは昔からの日本人の悪癖であるが、結果は膨大な資金、時間、更には人命までも費やし、徒労に終わるだけである。しかし残念ながら、現実を直視できる人はいつも少数派である。

不況で自分に自信が持てずナショナリズムで自尊心を維持するしかないため保守・右傾化した層は、「日本」「国産」「自主開発技術」等の言葉が出るとROIも検証せずに酔いしれてしまう。日本は経済大国と自惚れているが、経済の規模こそ大きいものの借金の規模はそれより遥かに大きい。

宇宙開発は夢や感動を与えてくれるから、縮小すべきではないとの見解がある。無駄な公共事業に費やす資金があるなら、新しい分野である宇宙開発に投資すべきと言う。しかし夢や感動を与えてくれるのは宇宙開発に限らない。科学技術には他にも沢山の分野があるし、文芸やスポーツも大きな夢や感動を与えてくれる。それら他の分野の人の夢を否定する一方で、他の分野の方に宇宙開発に対してのみ夢や感動を抱けと強制することは不公正である。以上より、国策としての宇宙開発を廃止して人々の生活を豊かにすることを目指すべきである。

 

入管難民法改正案の問題を明らかにする集会

在日本朝鮮人人権協会及び在日朝鮮人人権セミナーの共催で「新在留管理制度関連法案を斬る! 新たな入管体制に見る日本の外国人政策」が2009年5月23日に東京ボランティア・市民活動センター(飯田橋セントラルプラザ)にて開催された。現在国会で審議中の入国管理・難民法改正案等の在留管理制度関連法案を検証し、あるべき入管制度・外国人政策を考える集会である。報告者は旗手明・自由人権協会理事、金舜植弁護士、前田朗・東京造形大学教授の三名である。

集会冒頭で在日本朝鮮人人権協会の河正潤会長が挨拶した。河会長は法務官僚・池上努の1960年代の発言「日本にいる外国人を煮て喰おうと焼いて喰おうと勝手」を引用し、それから半世紀を経て日本の外国人政策の何が変わり、変わっていないのか本日の集会で一緒に勉強したいと語った。

最初の報告者である旗手氏は「法案のねらいと内容、それがもたらす問題について」と題して報告した。旗手氏は新在留管理制度の背景として在日外国人への二つの視点を指摘した。第一に911同時多発テロ以降の流れで外国人をテロリスト予備軍とする視点であり、第二に少子高齢化の中で国内の労働力不足を補填するための労働力とする視点である。両者の視点とも外国人を監視し、管理する発想しか生まれない。

改正案の問題点として在留管理制度と住民台帳制度を連動させた結果、非正規滞在者が住民基本台帳の対象外になることを指摘した。非正規滞在者が住民基本台帳の対象外とされた結果、行政サービスを受けられなくなる恐れがある。結論として、新制度は「外国人の命を削ることになる」と批判した。

続いて金氏が「在日朝鮮人の処遇について」と題して特別永住者の問題を報告した。金氏は問題点として3点を指摘した。

第一に改正案では2年以内の海外旅行では再入国許可が不要になったが、「有効な旅券」所持という要件があるために朝鮮籍の特別永住者には改善にならないと指摘した。朝鮮民主主義人民共和国のパスポートを日本政府が有効な旅券と認めないためである。大学受験資格を外国人学校にも開放する際も朝鮮学校に的を絞った差別が行われたが、それと同じ姑息なやり方である。日本政府は内外の批判をごまかすだけで、在日外国人の人権を保障する意識がないことを示している。

第二に国連の自由権規約委員会からも差別と勧告された悪名高い身分証の常時携帯義務である。政府提出の改正案では特別永住者には特別永住者証明書の常時携帯義務が課され、差別状況は何ら変わらない。民主党の求めた常時携帯義務削除を与党が受け入れたと報道されているが、保守派の巻き返しが起こるのが常であり、予断を許さないと語った。

第三に特別永住者から漏れている在日朝鮮人の存在を指摘した。たとえば戦前に日本に連れて来られ、日本で生活の基盤を築いたが、戦時中は朝鮮に疎開し、戦後になって日本に戻った在日朝鮮人は特別永住者の要件を満たさない。彼らへの救済処置が必要と主張した。

最後に前田氏が「国際的な人権潮流における日本の外国人施策の位相について」と題して報告した。前田氏は最初に在日朝鮮人が多大な不便を受けている状況を紹介した。たとえば在日朝鮮人が海外旅行中に再入国許可証を紛失してしまっても、日本の領事館では「日本政府にできることはありません」と逃げてしまう。また、再入国許可証という制度は日本独特であるため、入国時の審査で非常に時間がかかるケースもあるという。

国連人権委員会など国際機関では日本の差別状況への理解は広まっているとする。しかし、情報を隠し、批判をはねつけることしか考えていない日本政府の姿勢が障害になっている。日本政府は世界第2位の国連分担金の負担国であることを背景に事務局に圧力をかけていると主張した。前田氏は戦わなければ権利は実現できないとしつつ、日本の人権状況が改善したと国際機関に胸を張って報告できるようにしたいと結んだ。

日本政府が進めようとしている新在留管理制度の問題点を浮き彫りにした集会であった。

 

竹島(独島)問題は日本側の動きが根源

問題は日本政府がどのように考えているかではなく、どのような言動をしたかである。日本の文部科学省が中学社会科の新学習指導要領の解説書に竹島(独島)を明記したという、これまでとは異なる行動をとったことが問題である。それに対し、韓国側が反応しただけである。

これまでとは異なる行動をしたならば、何らかのレスポンスが生じるのは当然である。その程度の推測もできないならば日本政府は愚かになる。逆に計算しているならば韓国との関係悪化を歓迎していると受け取ることができる。意図的にせよ、愚かにせよ、日本側の動きが根源になっている。

領土問題は損得問題ではなく、いかに反発を受けようと主張を抑制すべきではないというのは一つの考えである。しかし、今まで主張していないことを主張するわけであり、この時期に敢えて行う意図が問題になる。

外交上は北朝鮮との拉致問題やミサイルの脅威を抱え、韓国と対立を深めることが得策ではない筈である。それにもかかわらず、敢えて韓国人を激高させる政策を採ったところには、むしろ韓国との対立を狙う意図があったと考えたくなる。安易な陰謀論への戒めは一般論として理解できるが、本件において韓国側の怒りを計算に入れていなかったとなると、あまりにも日本の当局が愚かになる。

 

石原コンクリート都政の問題点を明らかにしたシンポジウム

シンポジウム「もう、ごめん!石原コンクリート都政」(東京を考えるシンポジウム実行委員会主催)が2010年2月13日に東京都渋谷区の東京ウイメンズプラザホールで開催された。新銀行東京や築地移転、オリンピック誘致など、様々な分野に渡る石原都政の問題点が炙り出された。

司会は前国立市長の上原公子氏と一水会顧問の鈴木邦男氏である。鈴木氏は冒頭で石原慎太郎都知事の問題点として排外主義を指摘した。その顕著な例が衆議院議員総選挙の選挙活動期間中に、石原氏の公設第一秘書・栗原俊記が対立候補の新井将敬氏の選挙ポスターに「北朝鮮より帰化」というシールを貼って逮捕された黒シール事件である。鈴木氏は三島由紀夫を例に右翼思想が排外主義に直結するものではないことを強調し、石原氏の問題性を浮き彫りにした。

基調講演者の斎藤貴男氏が遅れたために順番を入れ替えて、山口義行・立教大学教授の新銀行東京の問題についての説明を先にした。山口氏は石原氏のキーワードとして、徹底したウケ狙い、無理を押し通すための無駄、責任のなすりつけの3点を挙げた。

新銀行東京はウケ狙いで始まった。金融機関の貸し渋りから中小企業を救済するという名目を支持した人々も少なくなかったが、新銀行東京の参入時は貸し渋りが一段落し、金融機関が貸し出し競争を再開した時期であった。そのために中小企業の資金需要は乏しかったが、新銀行東京は無理をしてでも業績を伸ばそうとし、資産を食い潰していった。

そして破綻が明白になった後は責任のなすりつけである。偉そうなことを言っている人が責任をとらないことは教育上悪影響を及ぼす。今では新銀行東京から借り入れると、他の金融機関が見放した倒産寸前の会社と思われてしまうと中小企業経営者層から敬遠されている。

新銀行東京は2009年度中間決算で初の黒字になったが、そのカラクリも明らかにした。融資先の倒産に備えて積み立てた「貸倒引当金」を取り崩した見かけだけの黒字である。一日も早く整理することが必要と指摘した。

続いて演壇に立った西崎光子・都議会議員(株式会社新銀行東京に関する特別委員)は都議会で「一日も早く店仕舞いを」と主張しているが、自民党や公明党が抵抗していると説明した。知事の責任を追及し、都民への情報公開を進めるため、特別委員会の審議への注目を求めた。

次は斎藤氏による「石原都政10年の検証」と題した基調講演である。斎藤氏は石原の問題点を明らかにした書籍『空疎な小皇帝―石原慎太郎という問題』の著者である。石原氏を取材していくうちに「どこをどうしたら、このような人間になってしまうのかという思い」になったと語る。批判対象でも取材するからには、取材対象に惹かれる点があるものだが、石原氏の場合、つまらない話ばかりで次第に取材が嫌になった。たとえば料理店で店員を怒鳴りつけるというエピソードなどである。人間の醜さをモロに見せつけられた。石原氏側は最初から最後まで取材拒否であったという。

石原都政は小泉政権の構造改革を先取りしていた。強いものが弱者をいたぶるのが当たり前とする社会を目指している。但し、構造改革には生産性の向上・経済の効率化などの目的があり、格差拡大などはマイナス面とする見方もある。これに対して、石原都政では差別が目的化している。

石原都政の手法は嘘と恫喝であり、これほど最低の男は存在しないとした。その例として公設派遣村の入所者200人が所在不明とされた問題を指摘した。夕食時までに大田区の「なぎさ寮」まで戻れなかった入所者が200人である。多くの入所者は、その後に戻ってきており、派遣村で実際にいなくなった人数は少ない。

最後に斎藤氏は石原氏を追及しないマスメディアや石原氏に投票する有権者も問題であると指摘した。石原氏の本質は弱者差別であるが、だからこそ石原氏に投票するのではないかと問題提起した。人間存在のあり方が問われていると結論付けた。

日本消費者連盟の吉村英二氏は築地移転の問題を指摘した。移転の理由として築地市場の老朽化が挙げられるが、これは別の場所に移転する理由にはならない。集荷力の向上についても、土壌汚染が発覚した豊洲には誰も出荷したがらない。営業しながらの再整備も可能である。東京都は臨海の開発に失敗し、膨大な赤字がある。築地市場の土地を売却したいだけである。石原氏は既得権益の破壊者と受け止められがちであるが、実態は土建屋都政である。

福士敬子・都議会議員はオリンピック誘致の問題を指摘した。オリンピックはスポーツの祭典ではなく、企業の事業祭典になっている。石原氏は財界にとって利用しやすいために、財界がこきつかっているのではないか。石原都政で一貫しているものは再開発や道路などの事業である。オリンピック誘致では予算はあってなきがごとしで、無駄遣いが行われたと述べた。

外環道検討委員会の金子秀人氏は東京外郭環状道路の問題点を指摘した。東名以南の計画はなく、外環道は都市計画的に破綻していると主張した。

土肥信雄・前都立三鷹高校校長は教育委員会による教育現場への締め付けの実態を語った。教育委員会が管理するための教育であり、生徒のための教育になっていない状況である。

全国福祉保育労働組合東京地方本部の民谷孝則氏は福祉切捨ての問題を述べた。福祉施設への人件費補助削減などにより、介護職は低賃金に苦しみ、男性の寿退職なども起きているとする。

吉田万三・元足立区長は医療・社会保障の問題を述べた。切捨ての一例として、保健所が統廃合され、一部の保健所が保健相談所に格下げされている点を指摘した。将来的には保健相談所を民間委託するための地ならしではないかと問題提起した。

来るべき都知事選挙では皆が力を合わせられるようにすることが大切であると強調した。有名人を探して一発ホームランを狙うのではなく、ヒットの積み重ねが大切と主張する。

最後に実行委員長の宇都宮健児・弁護士から閉会の挨拶がなされた。宇都宮氏は都政を転換させなければならないと述べる。弁護士にとって一番大切なことは弁護士法第1条にある「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」である。この点で石原氏は弁護士にはなれないが、政治も弱い人に手を差し伸べるのが本来のあり方である。石原都政の実態を都民に伝えること、政治的立場を超えてつながっていくことが重要であると締めくくった。

 

弁護士

天下りと随意契約−法律事務所の事例

官僚の天下りを受け入れる見返りに、企業・団体が天下り官僚の出身官庁から受注を獲得する利権の構図が批判されている。最近では農林水産省所管の独立行政法人「緑資源機構」の官製談合が問題になっている。その農林水産省と法律事務所についての天下りと随意契約の事例を報告する。法律を守ることを使命とする法律事務所でも天下りと受注の構図が見られることには驚かされる。

高木賢・元食糧庁長官は農林水産省退職後、弁護士となり、井口寛二法律事務所(東京都千代田区神田駿河台)に入った(農林水産省「平成14年再就職状況の公表について」20021226日)。

高木氏は東大在学中に司法試験に合格しており、退職後、司法修習生となり、弁護士となった。高木氏のような食糧庁長官経験者は、農林水産省事務次官になるか、所管法人に天下りするかで、弁護士となるのは珍しい。緑資源機構等にみられるように天下り公務員が税金食い潰すことに比べれば、一見、美談とさえ思えてしまう。

しかし、その判断は早計であった。高木氏を受け入れた井口寛二法律事務所は農林水産省から総合食料局所管事務に係る法律顧問の契約を随意契約で締結していた(農林水産省「平成17年度 所管公益法人等以外の者との間で締結された随意契約の点検・見直しの状況」)。

農林水産省は随意契約とした理由を「契約の性質又は目的が競争を許さないため(会計法第29条の34項)」とする。一方、点検結果は「見直しの余地あり」で、平成19年度から公募を実施するとした。即ち井口寛二法律事務所との随意契約には疑問があるため、公募に改めたことになる。

井口寛二法律事務所は農林水産省OBの高木氏を受け入れ、農林水産省と法律顧問契約を随意契約で締結した。建設会社が天下りを受け入れ、公共事業を受注することと同じ構図である。天下りの弊害は数々の談合・汚職事件で明らかにされているが、実態は国民が想像する以上に広範囲に及んでいる可能性がある。

 

宇都宮健児氏、日弁連会長選挙当選の要因

日本弁護士連合会(日弁連)次期会長選挙の再投票が2010年3月10日に行われ、多重債務問題への取り組みなどで知られる宇都宮健児氏が、主流派の擁立した山本剛嗣・日弁連前副会長を破って当選した。日弁連の改革を訴えた宇都宮氏は「風通しの良い、市民のための日弁連を作りたい」と抱負を述べた。

2月に行われた1回目の投票では山本氏が得票数で勝っていた。宇都宮氏の逆転勝利は、派閥の締め付けよりも自らの良心を優先させた弁護士が増えたことを示している。主流派の牙城の一角である大阪弁護士会でも宇都宮氏が勝利しており、中央対地方という単純な図式では語れない奥深さがある。

会長選挙の最大の争点は法曹人口削減問題とされるが、この見方も単純である。法曹人口削減が求められる根拠として、弁護士の質の低下が挙げられる。これに対して弁護士の数を減らしても質が維持できるとは限らないとの反論がある。これは一般論としては正しい。

しかし、問題は従来の弁護士像から外れた異質な弁護士が増えていることである。それは「広告弁護士」とでも呼ぶべき存在である。派手な宣伝広告を行い、過払い金返還請求や債務整理など手っ取り早く金になりそうな案件ばかりを手掛け、自らの利益追求にのみ走る。

この種の弁護士が依頼人の利益にもならないことは全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会が債務整理をビジネスにする弁護士らによる債務者を食い物にした二次被害を指摘し、弁護士単独の広告禁止を求めていることから明らかである(「多重債務広告と任意整理のあり方に関する決議」2009年11月29日)。

そこでは「法律トラブルもサービスも当事者毎に異なるのであり、それ故に資格者の行う広告はこれを画一的に広告できる商品とは異なり、結果として虚偽誤認を招きやすい」と主張する。宇都宮氏も弁護士の広告に批判的な立場を明らかにしている(宇都宮健児「弁護士・司法書士広告の問題点」消費者法ニュース第78号、2009年)。

弁護士の広告には消費者が弁護士の情報を得ることができ、弁護士を選択できるというメリットがあると反論されるが、積極的に広告しているのは広告弁護士ばかりである。弁護士広告は、まともな弁護士から消費者を遠ざける結果になる。弁護士広告が二次被害を生むと指摘される所以である。

弁護士の使命は「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」である(弁護士法第1条)。弁護士の質の低下とは、法律知識が不十分ということ以上に弁護士の使命に反した広告弁護士が跋扈していることである。法曹人口削減については賛否が分かれるとしても、より根本的な弁護士のあり方についての問題意識が宇都宮氏への支持を集めた要因と考える。

 

宇都宮健児日弁連新会長の課題はモンスター弁護士の排除

異例の再投票に持ち込まれた日弁連会長選挙(2010310日)では、無派閥の宇都宮健児弁護士が主流派閥の支持した山本剛嗣・日弁連前副会長を破って当選するという快挙を成し遂げた。改革を訴える宇都宮氏の当選は、弁護士の置かれた状況への強い問題意識が背景にある。宇都宮氏を当選させるに至ったエネルギーは弁護士会の内外で噴出している。

兵庫県弁護士会(春名一典会長)は323日の臨時総会で、司法試験の合格者数を年間3千人まで増やすとする方針を見直し、年間千人程度に段階的に減らすよう政府に求める決議をした。日弁連会長選挙で宇都宮氏は1500人程度への削減を訴えていたが、兵庫県弁護士会の求める削減幅は、それ以上である。これは宇都宮氏の改革に対する地方からの援護射撃となるものである。また、中途半端な改革に終わらせないためのプレッシャーとも読み取ることができる。

この兵庫県弁護士会の決議と同日に日経BP社が運営する安心・安全情報ポータル「SAFETY JAPAN」には悪の弁護士が増えているという衝撃的な記事が掲載された(夏原武「「モンスター弁護士」急増中。「借金整理を頼めばかえって損」「自ら詐欺主導」「夫婦で8億脱税」など。 今後弁護士が信用できなくなる「理由」を、全部書く!」SAFETY JAPAN 2010323日)。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20100318/216607/

記事では依頼人を食い物にする弁護士や、偽造した代理権委任状で交渉の相手方から金を詐取した弁護士の事例が紹介される。このようなモンスター弁護士出現の背景として法曹人員増加を指摘する。また、避けた方がいい弁護士として「広告をばらまいているような弁護士」に言及する。これらは宇都宮氏の問題意識と重なる。

この記事の優れた点は弁護士業務全体の問題としてモンスター弁護士に警鐘を鳴らしている点である。これまで依頼人を食い物にする弁護士も弁護士広告の問題も債務整理の分野を中心とする傾向があった。弁護士にとって過払い金返還請求は労せずに利益を得られる分野であり、モンスター弁護士が債務整理に群がったことは事実である。しかし、上限金利引き下げや総量規制、消費者金融業者の業績不振により、過払い金返還バブルは崩壊しつつある。

過払い金返還バブルの崩壊と共に債務整理に群がったモンスター弁護士も消滅してくれれば問題ないが、彼らは別の分野で儲けようとするだろう。債務整理を主力としていたモンスター弁護士が債務整理市場の縮小によって弁護士業務一般に進出していく。モンスター弁護士は債務整理という特殊な分野に限定される問題ではない。

モンスター弁護士が弁護士業務一般に進出する害悪は、債務整理分野の比ではない。モンスター弁護士の被害者は依頼人と交渉・訴訟の相手方に大別される。依頼人はだまされた面があるとしても、その弁護士を自ら選択した結果である。これに対して、交渉・訴訟の相手方は悲惨である。その弁護士を自ら選択したわけではなく、相手方の弁護士を変えさせることはできない。虚偽主張や不正を平気で行うような弁護士と戦わなければならない。

モンスター弁護士が債務整理に集中していた時は、相手方はグレーゾーン金利で儲けていた金融会社であった。モンスター弁護士も金融会社もどっちもどっちという価値判断があった。しかし、モンスター弁護士が弁護士業務一般に進出することで、弁護士を立てた交渉や裁判に巻き込まれた一般の市民がモンスター弁護士の被害者になる。これは弁護士に対する社会の信頼を損ねかねない問題であり、宇都宮新会長の大きな課題になる。

 

社会運動

社会主義理論学会第20回研究集会開催

千石氏によるマルクス主義批判

社会主義理論学会第20回研究集会が2009年4月29日に東京都・文京区民センターで開催された。「マルクスをどうする?」をテーマに、千石好郎・松山大学教授の著書『マルクス主義の解縛』(ロゴス、2009年)を基にマルクス主義の功罪及び現代的意義について活発な議論が交わされた。司会は田上孝一・立正大学講師である。

集会では最初に千石氏が「マルクス主義の解縛」と題してメイン報告を行い、それに対してコメンテーターである岡本磐男(東洋大学名誉教授)、上島武(大阪経済大学名誉教授)、村瀬大観(現代思想研究会)の3氏がコメントした。最後に参加者からの質疑応答にあてられた。

千石氏は市場や国家を廃絶・死滅させようとするマルクス主義の目標を空想的と批判する。人間は制度を創造し、手直しすることの積み重ねでしか、より良き社会を構築できないためである。また、下部構造(経済)を歴史発展の主因と捉える唯物史観には限界があり、文化など複合的な視点の重要性を主張した。例えば格差社会の元凶である就職氷河期も人口ピラミッドの歪みから説明できる。圧倒的に多い団塊の世代が経済の縮小する中でも職にとどまっているために若年層が弾き出された。それ故、階級論から格差社会を語ることには限界があると主張した。

続いてコメンテーターがコメントした。岡本氏は千石氏のマルクス主義批判は革命思想としてのマルクス主義に対するもので、マルクス経済学に対する批判にはならないのではないかと指摘した。また、市場経済の廃止を空想的と切り捨てるが、人類の歴史を振り返ると、市場経済よりも共同体経済の方が長期間・広範囲に行われており、市場経済を必然視する方が空想的ではないかと主張した。

上島氏はロシア革命を民衆が支配階級を振り捨て歴史の担い手になることを行動において示したと意義付ける。その上で革命を蒸気機関に喩えて、蒸気(民衆の自発性)がピストン付きのシリンダー(前衛党の指導)に注入されて動力(革命)が生じるとしたトロツキーの言葉を引き合いに出し、前衛党に一定の評価を与えた。

これに対し、村瀬氏は千石氏の主張に賛同し、スターリニズムの由来を職業革命家による前衛党の指導を必須としたレーニンの外部注入論に求めることは妥当とする。革命時の一時的な措置として正当化するならば、職業革命家から労働者へ実権を戻すことが可能か検討する必要があると主張した。そして分派活動こそ党に力を与えると問題提起した。

参加者からの質疑応答では様々な意見が出されたが、千石氏が狭隘と批判した唯物史観について関心が集中した。会場からは経済が上部構造を規定するという唯物史観の有効性は失われていないのではないかと意見が出された。また、唯物史観は経済決定論ではなく、経済を重視する思想ではないか、経済重視とすれば複合的な史観と差は少ないのではないかと指摘された。これに対して、千石氏は唯物史観では説明できない面がある以上、マルクス主義に拘泥するのではなく、現実に即して理論を精緻化していくべきと反論した。

社会主義理論学会は研究者が発表するアカデミックな学会であるが、広く一般にも門戸を開放している。今回の集会でも労働組合の活動家が活動経験を踏まえて発言するなど実践的な要素があるのが特徴であった。

 

『マルクス主義の解縛』の感想

http://www.book.janjan.jp/0903/0903219870/1.php

 

大阪社会運動顕彰塔で社会運動の意義を再確認

大阪城公園(大阪市中央区)の北東の片隅に大阪社会運動物故者顕彰塔がある。JR西日本・環状線大阪城公園駅のすぐ西側である。塔とは言うものの、細長い訳でも高い訳でもない。公園内の設備のための建物と思ってしまうような形態である。しかし、紛れもなく戦前戦後の社会・労働運動に業績のあった先達を顕彰する塔である。建物に近付くと説明板によって顕彰塔であることが確認できる。

顕彰塔は大阪の労働者、農民、民主団体、有識者有志の協力により、197010月に竣工した。大阪を表現した基盤(大阪市電の敷石)の上に理想を表象した20メートル四方の上屋が大衆の腕をイメージした4柱の梁で支えられた構造である。塔の内部には物故者の尊命を記した芳名板が掲示されている。顕彰塔を管理運営する財団法人大阪社会運動協会では毎年1015日に「社会運動物故者顕彰追悼式」を行っている。毎年、新たな顕彰者を追加しており、20081015日現在では1580名が顕彰されている。

顕彰塔の周囲は広場になっており、バーベキューを楽しむ人々で賑わっていた。この平和な賑わいも、時の権力に弾圧されながらも窮乏に耐え命を賭して、生涯を捧げた社会運動家の活動があったればこそである。一方で現在の大阪城公園がホームレスのテント村を行政代執行により撤去して成り立っていることを忘れてはならない。社会運動の現代的意義を再確認する大阪城公園であった。

 

雑誌「プランB」読者会で活発な議論

隔月刊誌「プランB」の読者会が200956日、東京・文京区民センターにて開催された。「プランB」は社会問題を扱う硬派な雑誌である。発行元はロゴス社(東京都文京区)で、雑誌名には閉塞時代を打ち破る代案の提示という意味が込められている。

20062月に「もう一つの世界へ」という誌名で創刊され、20092月の第19号から現在の誌名に改題し、最新刊は20094月発行の第20号である。「プランB」となった第19号から読者参加型の試みとして、編集委員と執筆者、読者が一堂に会して感想や意見を述べあう読者会を開催した。今回は2回目の読者会で、参加者は11名であった。記者は第20号に書評を掲載した関係で、末席を汚すことになった。

20号は労働組合、農業、竹島(独島)の帰属、王制を廃止したネパールの近況など多岐に渡るテーマを扱っており、それを反映して読者の感想や意見も多様であった。本記事では3点ほど指摘する。

第一に労働組合運動の前提として、労働者の置かれた状況についての現状認識がある。グローバリゼーションの結果、世界的に労働条件が平準化したとする見解と、格差が拡大して二極化したとする見解が対立した。

古典的な経済学の立場からは完全自由市場では商品価格は平準化する(一物一価の法則)。ここからグローバリゼーションが進むことで国家別の規制が弱まる結果、長期的には労働条件が世界的に平準化するのではないかと指摘された。これに対して現実には自由競争化は配分を不公正にし、格差を拡大させると反論された。

第二に農業問題である。自然を相手にする農業の特殊性から、農業を保護する必要性を強調する論文の主張に対しては異論が提起された。農業も工業技術によって生産性を増大できるとの主張がなされた。食品に対して遺伝子組み換え技術などの安易な工業技術を利用することの危険性が再反論される一方で、無菌状態の植物工場では農薬が不要になるなど工業化によって安全性が高まる面もあり、一概に否定できないと批判された。

第三に不動産問題である。雑誌のコラムでは国の持ち家政策の歪みから、住宅が過剰供給された結果、空き家が増加していると指摘された。記者は自身の新築マンション購入トラブルの経験をもとに、地域の住環境を破壊し、マンション住民も不幸にする分譲マンションが大量に建設される実態を問題提起した。

これに対して、欧州では芸術家やホームレス、移民労働者の空き家占拠闘争が起きており、空き家もホームレスも増加する日本に示唆を与えるとの意見が出された。実際、2009年初めには東京・日比谷公園の年越し派遣村の要求に押されて厚生労働省が講堂を開放した。マンションの乱開発を抑制し、住居のない人に空き家を提供できるような政策が求められている。

深い議論が行われ、勉強になった読者会であった。

 

ネット右翼の原動力は世代間差別への反感か

民族差別を助長すると批判されたものの、ネット右翼からは支持された『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)の著者・山野車輪氏が新作『「若者奴隷」時代』(晋遊舎)を2010年3月15日に発売した。同書は世代間差別をテーマにしたもので、若者が高齢者に搾取されていると訴える。

ネットカフェ難民や内定取り消し、ニート、派遣切り、ワーキングプアなど若者を取り巻く環境は厳しい。若者は貯金することも結婚することもできなくなった。しかし、それらに若者が責任を感じる必要はない。元凶は異常なまでの高齢者への優遇であると同書は主張する。『マンガ嫌韓流』で韓国・朝鮮人に向けられていた憎悪のターゲットが高齢者に移したような書籍である。

予め断っておくが、私は『マンガ嫌韓流』を支持しない。反対に『マンガ嫌韓流』を支持する層(ネット右翼)が広がっている現状を憂慮している。しかし、『マンガ嫌韓流』の著者が高齢者批判を展開したことはネット右翼を理解する鍵になるために、本記事で取り上げる。

私は書評記事で「ルサンチマンの蓄積したネット右翼などが声高に「嫌韓」を叫ぶ傾向が見られる」と記した(「『韓国現代史60年』の感想」)。ここにはネット右翼が増えた理由を、格差社会化する日本でルサンチマンが鬱積した若者を中心とする人々が、自らの卑小な自尊心の代わりに民族的自尊心で代償するためとする分析がある。しかし、この分析は半分しか答えになっていない。

現代日本の若者が虐げられ、搾取されていること、そして虐げられた人々が政治意識を高めることまでは説明できる。しかし、政治意識に目覚めた結果、右傾化すること、弱者(たとえば差別に苦しむ在日韓国・朝鮮人)に冷酷になれることは当然の帰結ではない。

戦後日本の支配体制は一貫して右の側であった。社会に不満があるならば左傾化する方が自然である。また、虐げられた人々が他の弱者の一層の不幸を望むことは、人間の浅ましい側面であるとしても、真面目に問題意識を持つ人の態度ではない。これらの疑問は『「若者奴隷」時代』に見られる高齢者への反感が答えになる。

私は右派でも左派でもない。私が社会性を強めた契機は大手不動産会社との新築マンション購入トラブルであった。右派であるか左派であるかは問題外であった。ケ小平氏は「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫」と発言したが、私もマンション購入トラブルの助けになるならば党派やイデオロギーは問題にならなかった。

しかし、新築マンションだまし売りに苦しむ私に共感してくれたのは左派であった(「市民メディアは「左」が定位置」)。私が左派に見えるとしたら、苦しむ人に冷たい日本の右派の偏狭さが原因である。

そのような私でも左派の体質に疑問を感じることがあった。平等を重視する一方で、世代間差別には無自覚な点である。その一例として私が呼びかけ人に名を連ねるメーリングリスト「CML(市民のML)」で若い女性議員を「ちゃん」付けで呼ばれた件がある。「ちゃん」付けした当人は「自分の子どもくらいの世代の女性議員に「ちゃん」付けすることは親しみを込めてのもので、差別的意図はない」と主張した。一方で、当人は発言者に差別的意図がなくても差別の構造を生み出す発言は問題であると他者の発言を批判していた。この点の矛盾を指摘したが、問題意識が通じたかは疑わしい。

このような体質がある限り、若者から広汎な支持を得ることは難しい。世代間差別に無自覚な左派の体質への絶望と反感が、社会に不満を持つ若者をネット右翼にさせている。前述のとおり、私はマンション購入トラブルを出発点にしているため、その助けになる限りにおいて右派とも積極的に情報交換しているが、彼らは左派に「団塊世代の懐古趣味」というステレオタイプなイメージを抱いている。左派のイデオロギー以前に世代間ギャップへの抵抗感が強かった。その意味でネット右翼と世代間差別批判はマッチする。

私も世代間差別について問題意識を有している(「ここにも世代間格差『名ばかり管理職』」)。それでも私がネット右翼に流れなかった理由は新築マンションをだまし売りした不動産会社という明確な敵を認識していたためである。正しい敵を認識していたために、「在日特権」のような虚構に矛先を向けることもなかった。

世代間差別は韓国・朝鮮人差別に比べれば取り組む価値のある問題である。しかし、十羽一からげな高齢者批判は、世代間差別を生み出した制度的・構造的要因を放置してしまう。また、高齢者の中にも社会的弱者が存在するが、そのような層を叩いて卑小な自尊心を満足させるならば、韓国・朝鮮人差別と同じ病理に陥ることになる。

現在日本は多くの矛盾を抱えており、若者は怒って当然である。むしろ大人しすぎるくらいである。しかし、間違った方向に怒ることは矛盾に責任のない他者(在日韓国・朝鮮人など)を傷つけ、本来の矛盾を温存させてしまうことになる。その意味で社会性に目覚めた若者がネット右翼となってしまう現状は社会にとって大きな損失である。

 

関連記事:

『韓国現代史60年』の感想

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市民メディアは「左」が定位置

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ここにも世代間格差『名ばかり管理職』

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「天皇をひっぱたきたい」と言えないネット右翼の限界

ネット右翼の心理が理解できる論文に、赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(論座2007年1月号)がある。格差社会の日本で貧困から抜け出せないフリーターの著者が「国民全員が苦しむ平等」である戦争にしか希望を見出せないと主張した。

この論文は戦前の軍国主義への反省をベースとする言論界に大きな衝撃を与え、強い批判もなされた。しかし、非正規労働者の置かれた悲惨な状況への認識の欠けた批判は、たとえ建前論としては正しくても赤木氏に対して無力である。そして非正規労働者の置かれた状況が改善されていない現在でも本論文は依然として力を持っている。

私も赤木氏と同世代であり、「社会の歪みをポストバブル世代に押しつけ、経済成長世代にのみ都合のいい社会」との不満は直感的に理解できる。私自身も大手不動産会社から不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りされ、社会の矛盾を嫌というほど味わった。それ故に虐げられた人々が矛盾を恒常化している日常を破壊する出来事を希望する気持ちには大いに共感する。

赤木氏は戦時中に徴兵され陸軍二等兵となったが丸山眞男が中学にも進んでいない一等兵に執拗にイジメられたエピソードから、「戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ」と主張する。

戦争にでもならなければ丸山眞男のようなエリートを殴るチャンスはないという主張は間違えではないが、問題はインテリを殴る程度の希望で良いのかという点である。現体制に不満を抱いているならば、何故、体制の頂点に位置する「天皇をひっぱたきたい」とならないのか。インテリを殴ることは代償行為にしかならない。

そして「天皇をひっぱたきたい」ならば戦争ではなく、革命を希望しなければならない。戦争は日常を破壊するとしても、現体制を守ることが目的である。戦争に組み込まれることは現体制の歯車になることである。

生きる意味すら見出せない悲惨な人生では現体制の歯車になった方が、まだ自尊心を満足させられるかもしれない。しかし、それは現体制に虐げられた者の希望として、あまりに卑小である。国家そのものとまで称されたフランス国王が死刑になったフランス革命のように革命こそが逆転の希望を持てるものである。

天皇ではなく丸山眞男を殴りたいとする赤木氏自身には論理の一貫性がある。赤木氏の怒りの矛先は権力者よりも、「貧困労働層を足蹴にしながら自身の生活を保持しているにもかかわらず、さも弱者のように権利や金銭を御上に要求する、多数の安定労働層」に向いている(「けっきょく、「自己責任」ですか 続「『丸山眞男』をひっぱたきたい」「応答」を読んで」論座2007年6月号)。

何故ならば「金持ちや権力者が恵まれているのは、血筋や家柄という固有属性を持っているからであり、彼らが戦争で死んだとしても、その利権は、固有属性を持たない私には絶対に回ってこない」からである。ここには血筋や家柄は覆すことができないという諦めがある。日常を根本的に覆す戦争を望みながらも、格差社会の前提を受け入れてしまっている。

ここにネット右翼の限界がある。体制の根幹に位置する巨悪には目をつぶり、自分達と近い立場を攻撃することで満足する。「自分達はフリーターなのに、在日コリアンが自営業者であるのは許せない」的な発想である。そこにとどまっている限り、ネット右翼は体制に利用されるだけで、社会を変革する真面目な運動にはなりえない。

 

【オムニバス】ネット右翼の原動力は世代間差別への反感か

http://www.janjannews.jp/archives/2921859.html

 

書評

『東京湾の原子力空母』の感想

本書は原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀米軍基地へ配備されることの危険性を明らかにした書籍である。本書は大きく4章に分かれ、原子力空母の母港化の問題を多面的に検証する。

1章では原子力空母を横須賀に配備することの合理性が低いことを明らかにする。現在の米軍艦隊は日本に米軍基地が存在しなくても、有事に日本周辺に継続的に展開するだけの機動力を有している。それにもかかわらず、依然として在日米軍基地が存在するのは、アフガニスタンやイラクに部隊を展開するためと本書は喝破する。

加えて原子力空母は通常型の空母と比べて能力的に優れているわけではなく、ライフサイクル・コストは原子力空母の方が高いという実態も明らかにする。また、米国は日本で考えられている以上に市民の動向に敏感であり、日米同盟を前提としても原子力空母を受け入れる必然性は存在しないと主張する。

2章では原子力空母の危険性を明らかにする。原子力空母は原子力発電所と同じく原子炉を搭載する。そのため、原発が東京湾に浮かぶようなイメージとなるが、空母には通常の原発以上に危険である。原子力空母ではウラン燃料の濃縮度が原発の燃料よりも高い。長期間交換しないでも活動できるように核兵器並みの濃度になっている。また、原発建設で行われるような安全審査は行われていない。そして実際に原子力艦船で事故は起きている。

2章の後半では横須賀港に停泊中の原子力空母に事故が起きた場合の被害をシミュレートする。その結果は首都圏一帯に被害が広がるという恐ろしいものであった。南南西の風が吹いている場合、東京都心の多くの部分や埼玉県南端の住民が急性障害(脱毛、嘔吐、白血球異常など)になる。職業人の年間被ばく線量限度の50ミリシーベルトを被ばくする範囲は埼玉県東部、茨城県西部、栃木県の南部が含まれる。本書は「横須賀にこのような原子炉を「設置」しようとすることは、住民との十分な離隔が確保できず、技術的にみても不可能と判断されるべきものです」と結論付ける(62ページ)。

3章では横須賀に大地震が発生する可能性が高く、地震被害を受けやすい地形であることを説明する。原子力空母の事故を考える上で忘れてはならない点は、自然災害の二次災害としての原子力事故である。本書では国内原発の設置基準にも当てはまらないような横須賀に原子力空母を配備することは無理があると主張する(90ページ)。2007年の新潟県中越沖地震では柏崎刈羽原発が大量の放射能漏れを起こしており、本書の着眼点は重要である。

4章では原子力空母の母港化に反対する市民の動きを紹介する。特定非営利法人まちづくり情報センターかながわによる調査では横須賀市民の65%が原子力空母の配備に不安を持ち、63%が反対と回答した。興味深い点は原子力空母の配備に賛成した市民も、その52%が配備の是非を住民投票に問うべきと回答している点である。

賛成でも反対でも地域の問題を住民主体で判断するプロセスを重視する市民が増えていると本書は分析する(118ページ)。これまで市民は「国の方針」や「基地の町の宿命」ということで、生活や安全に関わる問題でも判断を停止してきた。しかし、現在では自己決定を求める新しい風が吹き始めているとする。

本書で取り上げられている原子力空母の母港化に反対する市民運動は「Think globally, Act locally」を地で行くものである。情報収集においては米国の資料を広く集め分析する。一方で運動の要請先は基本的に国ではなく、自治体である横須賀市である。世界的視野で考え、地域に根付いた運動を進める。それが新しい風に結びついたと考える。

本書出版後の20089月にジョージ・ワシントンは横須賀に配備された。しかし、それは運動の終わりを意味しない。実際、原子力潜水艦ヒューストンの放射能漏れ、沖縄県うるま市への原潜プロビデンスの無通報寄港と、原子力艦船の問題が相次いでいる。この点で原子力艦船の危険性を分かりやすく説明した本書は非常にタイムリーであり、その意義は大きい。吹き始めた新しい風が本書によって一層大きなうねりとなることを期待したい。

 

『貧困にあえぐ国ニッポンと貧困をなくした国スウェーデン』の感想

本書は貧困をなくした生活大国スウェーデンの実態を説明した書籍である。著者は元ストックホルム大学客員教授で、スウェーデンの社会制度についての書籍を複数冊出版しているスウェーデン通である。

本書で描かれるスウェーデン社会は、格差が拡大する日本とは対照的である。スウェーデンではワーキングプアやネットカフェ難民のような、生活に苦しむ若者の存在はあり得ないとする。スウェーデンでは無職の若者がすぐに生活保護を受給でき、短期に自立できるためである(3ページ)。

このスウェーデンモデルを支える思想が「公的主義であり、個人生活への公的責任」である(167ページ)。これは個人の生活を支えることを公(国、地方自治体)の責任とする考え方である。日本で勢いを得ている「小さな政府」の対極の思想である。著者は「小さい国家と政府では、人びとが満足し、かつ安心できるような役割を果たせないことだけは明白である」と断言する(59ページ)。

これに対しては国が個人生活まで負担するとなると、財政がパンクしてしまうとの批判が考えられる。ところがスウェーデンの財政は日本政府よりもはるかに健全である。これは国による個人生活への支援によって個々人の自立が促され、結果として中間所得層が拡大するためである。中間層が拡大すれば救済すべき貧困者は減少し、税収は増加する(107ページ)。この好循環は、格差拡大が消費減退をもたらし景気を失速させ、それが一層格差を拡大させるという悪循環に陥っている日本と対比できる。

日本では「大きな政府」といえば、高福祉高負担となり、財政が悪化し、社会から活力がそがれるというお決まりの論法が登場する。しかし本書は、その種の言い尽くされた議論では得られない新鮮な視点を提供してくれる。それは1年の半分近くをスウェーデンで暮らすという著者ならではの客観的な視点である。日本を離れることで、日本の非合理な点を直視できる。例えば以下のような主張ができる日本人は少ないだろう。

「日本では、自らを勤勉と自画自賛してきた。しかし、広い世界を見回せば、過酷な気候、社会、それに労働の条件の下で懸命に働く途上国の人びとも勤勉といえるはずであるので、日本人自身の傲慢で狭量な過信に過ぎなかった。」(26ページ)

私は日本社会を批判する書籍を多く読んできたが、物足りなさを感じることも多かった。それは多くの論者が日本の問題点を批判しつつも、それでも日本社会は諸外国と比べて格別悪いわけではないという類の無根拠な思い込みが背後に見え隠れしていたためである。批判者であっても「日本には悪いところもあるが、良いところもある」という身贔屓な感情を捨てきれていない論者が少なくない。

日本の政治が問題を抱えていることは多くの国民が認識していることである。それにもかかわらず、日本では政権交代がほとんど行われていない。そこには現状を批判する立場の人々も、どこかに現状を肯定したい気持ちがあり、全否定できないという甘さを抱えていたことが一因である。

それに比べると、著者は島国という井の中の蛙になっていない。それ故に日本の問題点を直視できるし、悪いところを躊躇なく切り捨てることもできる。本書は日本国内の常識が決して世界の常識ではないことに気付かせてくれる。多くの人々が本書を読み、社会のあり方について考えるきっかけにして欲しい一冊である。

 

『憲法改正試案集』井芹浩文著

護憲派も改憲派もまずは改正案を知ろう

本書は現在公表されている主要な日本国憲法の改正案や改正意見を比較し、解説したものである。取り上げた改正案・改正意見は公的なもの(衆議院及び参議院の憲法調査会最終報告書)から、政党の作成したもの(自民党新憲法草案、民主党提言など)、議員個人のもの(鳩山由起夫「新憲法試案」など)、民間のもの(読売新聞試案など)まで網羅している。

著者は長年ジャーナリストとして選挙・政治報道に携わり、現在は政治学の研究者である。憲法学者ではなく、著者のような経歴の持ち主によって本書が刊行されたことは、現代日本において憲法改正問題が、すぐれて政治的な性格をはらんでいることを示している。

何故ならば護憲が一方の党派の政治目標になっている状況では、憲法改正を論じること自体が特定の政治的立場の表明につながるためである。これに対し、本書では改憲反対論者であっても、むやみに憲法改正論を非難するのではなく、議論に加わるべきとする。それが「国のかたち」を豊かにすると主張する。

実際、憲法改正案を並べてみると、改憲論の問題点が浮かび上がってくる。多くの憲法改正案に対する私の第一印象は、「果たして改正案と言えるのか」というものであった。改正とは不適当な箇所を改めることである。憲法改正とは現行憲法を前提として、その中の不備な部分を改めることである。

ところが改正案は、現行憲法の文章を修正するのではなく、全く新しい文言になっているものが多い。これは前文に顕著である。憲法改正案ではなく、新憲法制定と呼ぶ方が内容的には相応しい。

ここには日本人の憲法改正に対する未熟さがある。日本の歴史上、実質的な意味での憲法改正は一度も行われていない。形式的には大日本帝国憲法(明治憲法)から日本国憲法への改正一度のみである。これは改正の形式を採っているものの、天皇主権から国民主権への根本的な変更であり、実質的には新憲法制定であった。この経験しかないため、「憲法改正=憲法の作り直し」という発想になっているものと思われる。

日本の敗戦時には憲法をゼロから作り直す必然性があった。日本が受諾したポツダム宣言は無責任な軍国主義の駆逐を主張しており、日本は軍国主義国家から人権を尊重する民主的な平和国家に生まれ変わらなければならなかった。そのためには天皇主権の大日本帝国憲法を全否定する必要があった。

かくして日本国憲法は誕生した。基本的に護憲派を自認する人々は日本国憲法に象徴される戦後の民主化を肯定的に評価する。これに対して改憲論には「押しつけ憲法論」に見られるように日本国憲法そのものに否定的な立場もある。そのような憲法否定論者も改憲論に与しているところに改憲議論が紛糾する原因がある。

本来、憲法改正とは憲法を改正したいだけの内容があって、その部分を変更するものである。その意味で改憲派と護憲派という対立軸が生じること自体が本来は不自然である。たとえば「日本国憲法の中の天皇制だけは容認できない。国民主権や法の下の平等を定めた憲法の他の条項とも矛盾する。だから第一章を抹消すべき」という主張があるとする。ここには天皇制廃止についての賛成派と反対派の対立があり、憲法を改正するかしないかは結果に過ぎない。

ところが、現代日本の改憲議論は新しい憲法を作るべきか、そのままの日本国憲法でいいか、という改憲の是非自体が目的化された感がある。この点については憲法を聖典のように扱う護憲派に原因があると非難されることが多かった。

しかし現憲法を継承しない新たに創作した文章を憲法改正案として提示する改憲派も、特定の政策の実現ではなく憲法の作り替えを目的化していると批判できる。これは護憲派が改憲議論への参加自体を拒否することを正当化する理由にもなりうる。

実際のところ、本書で指摘されているとおり、憲法改正案で改正される内容の多くは現行憲法の枠内でも新規立法で実現できるものである。憲法改正案の多くは国会議員の手によるものだが、国会議員の本務は憲法に従って法律を議決することである。本来の任務である立法権でできることを行わず、憲法改正を名目とした憲法制定ゴッコに明け暮れているとしたならば本末転倒のそしりを免れない。

本書は改正案の紹介が主眼で、著者の主張は抑制している。それでも時折登場する著者の意見は非常に鋭い。印象的な内容は公の支配に属しない教育事業への公金の支出を禁じた現憲法第89条についての議論である。

この条項は私学助成との関係で問題になる。多くの論者は価値判断として私学助成を肯定する。私立学校も公立学校と同じく重要な教育の基盤になっているためである。そのため、私学助成に違憲の疑いが生じないような憲法改正を主張する立場もある。

これに対し、著者は「私学振興の目的のためには、高い学費を支払わされる私学生に対して授業料(あるいは入学金)の直接助成をするべきだった」と主張する(208頁)。私立学校に助成するために、私立学校への文部科学省の口出しが可能になり、天下りポストを提供する結果にもなっている。この弊害を避けることが現憲法第89条の趣旨ではないかとも主張する。実に興味深い見解である。著者の憲法論を前面に押し出した論稿も読んでみたいと思わせる内容であった。

 

井芹浩文

『憲法改正試案集』

集英社

2008521日発行

277

 

『内部告発!社民党』松下信之著

読者レビュー◇リストラに動じない毅然とした姿勢

本書は社会民主党執行部から整理解雇された職員による解雇無効を求めた闘争記である。労働者の党を標榜していた社民党(旧日本社会党)が労働者の首切りをしていたというショッキングな内容になっている。

本書はタイトルも著者のスタンスも社民党のあり方を問うものとなっているが、硬派な内容だけではない。本書には著者による映画の感想や戦国武将の人物評も収録されている。それらも自らの整理解雇に引き寄せて論評されているところが興味深い。記者(=林田)は東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実を隠して新築マンションを購入したため、裁判で売買代金を取り戻した経験がある(参照「東急不動産の遅過ぎたお詫び」)。

個人が組織を相手に戦う場合、個人の尊厳をかけたものとなりがちである。そのため、直接関係しない映画を観ていても、どうしても自分の紛争に引き寄せて考えてしまう。記者自身が身をもって経験しているため、著者の思考経路も理解できる。

本書を仕事の観点から眺めると、社民党に関心のある人だけでなく、全ての労働者にとって関係する内容になっている。不況が深刻化する中で派遣切りの次は正社員の首切りが進むとの声が囁かれている中で、整理解雇と戦う著者の姿勢はリストラに怯える労働者の参考に資するところ大である。

著者が最初に受けた整理解雇通知文書は党首ではなく、幹事長名義で書かれていた。これに対して、著者は雇用責任者の名前で書かれていない通知は無効と突っぱねた(9ページ)。

著者は党の財政難を理由として自主退職を強要されても、「私は財政難だとは思わない。財政難だという具体的な事例を見せてもらっていない」と反論する(12ページ)。社民党は旧社会党時代と比べて議員数が激減しており、財政難という説明は感覚的に納得してしまいがちである。しかし著者は、その種のフィーリングに惑わされず、あくまで具体的な資料による説明を要求する。「百年に一度の大不況」という言葉の前に労働条件悪化やむなしという諦めムードが漂う労働界も著者の姿勢を見習うべきである。

しかも著者は退職を強要する幹事長に「第一義的責任は、経営側である党役員にある。まず役員が自らを処するのが筋である。役員は責任をとらないのか?」と逆に言い返している(13ページ)。

企業がリストラを進める場合、企業側からの一方的な解雇はハードルが高いため、企業はあの手この手で従業員に自主的に退職させようとする。残念ながら社蓄とまで揶揄される日本の従業員には著者のように毅然とした態度を示せる人は少ない。これは著者が社民党の理念である労働者の権利擁護という価値観を自らの血肉としていたからこそできたことである。

日本の左派運動家には自分の生活を犠牲にして運動に献身することを美徳とするマゾヒスティックな傾向が否めない。本人のマゾヒズムにとどまるならば他人が口を挟む必要はないが、他人にも強制する点が大きな問題である。

逆に自分達は例外扱いで、他人にだけ強制する「他人に厳しく身内に甘い」輩も少なくない。本書が批判する政党職員の労働者としての権利が蔑ろにされている点は、その現れである。これでは左派と普通の市民の溝は深まるばかりである。著者のように理念を自らの生活において実践できる人物こそ本来は労働者のために活躍の場を与えられるべきであると感じた。

 

『内部告発!社民党―社会党的なものの再生を』

著者:松下信之

出版社:ロゴス

定価:1600円+税

発行日:2008622

206

 

『マルクス主義の解縛』の感想

本書はマルクス主義信仰の縛りを解くことを目的とした書籍である。ソ連崩壊によってマルクス主義の社会的評価は著しく低下したが、日本のマルクス主義信奉者はソ連の失敗をもたらしたマルクス主義の問題点について十分に総括していないのではないかというのが著者の問題意識になっている。

日本の右派が都合の悪い過去(十五年戦争時の日本の戦争犯罪)から目を背けていると内外から批判されていることは有名である。同じ論理が左派にも当てはまることは興味深い。過去を水に流して反省しない点は左右を問わない日本人の民族性になっている。

マルクス主義は人類の歴史を階級闘争の歴史と定義し、階級のない社会を目指す。ところが社会主義を標榜した国家(旧ソ連など)でも現実はプロレタリアートの中の支配者が圧倒的多数のプロレタリアートを支配していた。一般の労働者にとっては支配階級が封建貴族やブルジョアから共産党に代わっただけであった。

この点を本書は多くの先行研究に依拠して明らかにする。時代状況や問題意識を共有していない多くの思想家が旧ソ連などの支配層の正体を知識人としていることには驚かされた。

●ミハイル・バクーニン「本物や偽物の学者という新しいごく少数の貴族」(47ページ)

●アルヴィン・グルドナー「文化的特権者としての新しい階級」(75ページ)

●ダニエル・ベル「知識人が社会主義の下では必然的に特権階級となる」(145ページ)

資本主義社会では資本(貨幣)を持つものが支配層であったが、生産手段の私有を廃止した社会主義国家では知識を有する者が支配層に取って代わったことになる。

私は旧ソ連などの支配層を知識人とする見方には腑に落ちない点がある。旧ソ連などは揃いも揃って戦前の日本と同じように軍国主義的であり、警察国家である。実際、本書が取り上げた高田保馬はソ連を「真先に五カ年計画をたてて軍備の充実を行ひ」「人間の生命を塵埃のように扱う」と批判する(235ページ)。

旧ソ連などにおける知識人の知識がマルクス主義のドグマに囚われた狭いものであったとしても、資本の代わりに知識が支配を正当化させる価値となったならば、むき出しの暴力で人民を抑圧する支配体制にはならないと考える。知識人は暴力から最も遠い存在である。知識人が支配層になるならば、もっとスマートな体制となる筈である。

資本が支配する社会に比べるならば、知識人が知識によって支配する社会の方が本来は期待できる。派遣切りによって住居まで失ってしまう、むき出しの資本の論理が横行する日本においては尚更である。この意味で本書の姿勢とは正反対であるが、社会主義社会がブルジョアに代わる知識人支配を意味するならば、理想社会ではないとしても、漸進的な進歩として社会主義を目指す意義はある。

ところが、現実に社会主義を標榜した国家は抑圧的な体制になってしまった。ここからは旧ソ連などの支配層になった知識人に一般的な知識人とは異なる権威主義的な要素があったことが推測できる。これについても本書はヒントを提供する。それは科学的社会主義との呼称で殊更に科学にこだわり、「下部構造が上部構造を規定する」として経済(生産関係)に偏重する姿勢である。まとめれば文化的・精神的な要素の軽視である。

このようなマルクス主義の構造的な欠陥から日本の左派は目を反らせていると本書は批判する。私も著者の主張に同意するが、一方で本書が明らかにした社会主義を標榜した国家の失敗を踏まえると、日本の左派の動向に一筋の光明を見出せる。

それは憲法第9条擁護に代表される徹底した平和主義が左派の運動の中心的価値となっていることである。海上自衛隊員が隊員15人相手の格闘訓練をさせられて死亡した事件が報道されたが、軍隊は本質的に人権や民主主義とは両立し難い非人間的な組織である。

戦前の日本が暗い陰惨なイメージで振り返られがちなのは甚大な戦争被害を受けたからだけではない。社会の隅々にまで軍隊的な思想が支配していたからである。この暗さは旧ソ連などの抑圧体制に通じる。その意味でマルクス主義への総括が不十分であるとしても、日本の左派は軍隊を否定する平和憲法を掲げることで旧ソ連と同じ轍を踏むことはないと期待できる。

 

『近代日本と戦争』の感想

本書は韓国の日本研究者が戦争という視点から日本の近現代史をまとめたものである。韓国は日本の帝国主義によって最も大きな被害を受けた国の一つである。しかし、本書では被害者としての視点は抑制されており、日本研究者としての中立的な記述になっている。

本書によって明治維新後の日本が際限なく戦争を繰り返していたことが理解できる。日本の戦争を正当化した論理が、山県有朋首相の第1回帝国議会(1890年)施政方針演説にある「利益線」であった。利益線は主権線(国土)を守る上で重要な地域を意味し、当時は朝鮮を念頭に置いていた。

ここから日本に敵対的な勢力が朝鮮半島に形成されてはならず、日本の勢力下に置かなければならないという発想が生まれた。これ自身が朝鮮の人民を無視した手前勝手な理屈である。しかも日本は朝鮮を植民地化した後は、朝鮮を守るためには満州、満州を守るためには華北が必要と無限に主権線・利益線を拡大していった(45ページ)。

この発想が日本の破滅をもたらしたが、本書は戦後にも利益線の影響を見出す。平和憲法を有する戦後日本が再武装した契機は朝鮮戦争であった(167ページ)。戦争国家を正当化する論理として朝鮮半島の危機が持ち出された点は戦後も変わらない。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の飛翔体発射をめぐる過剰反応を振り返ると、その思いを強くする。

著者は自衛隊の海外派兵、日米同盟の強化、社会の右傾化から戦争国家日本が今も続いていると警告する。その上で戦後日本が戦争を経験しなかった要因として平和憲法の存在を挙げ、日本国憲法を世界遺産にすることを提言する(187ページ)。

本書は歴史を歪曲して日本を美化する立場とは対極に位置する。その本書が国家と国民を明確に区別し、日本の侵略戦争が国民の利益にならなかったと断言する点には救いがある。すなわち、日露戦争後の税負担率は日清戦争前の4倍になり、国民の窮乏をもたらした(99ページ)。また、国民は異質な環境の満州へ生活基盤を移すことを望んでおらず満州は国民にとっての生命線ではなかった(129ページ)。さらに平和憲法を敗戦という窮地に追い込まれた状況で日本人の平和を愛する本性が現れたものと評価する(187ページ)。

醜悪な過去を直視することには勇気が必要である。それ故に格差社会化する日本社会で負け組とされてルサンチマンが鬱積した人々は史実から目をそらし、過去を美化することで民族的自尊心を満足させる傾向に流れやすい。これに対して、本書は日本の過去を直視した上で、日本の中に世界に誇るべきもの(平和憲法)を見出した。これほどまでに日本を深く理解した研究者が隣国にいることは日本にとって幸福である。

 

著者:李盛煥著

訳者:都奇延・大久保節士郎

出版社:光陽出版社

発行日:2009年10月25日

 

【書評】『疑惑のアングル』の感想

本書(新藤健一『疑惑のアングル 写真の嘘と真実、そして戦争』平凡社、2006年5月15日発行)はフォトジャーナリストによるドキュメントで、写真や報道の裏に隠された世論操作に迫る。

横田めぐみさんの写真、9・11テロの映像、イラク戦争でのフセイン大統領拘束劇の舞台裏、ロバート・キャパや岡村昭彦ら写真家のエピソード、日本軍の工作機関など内容は多岐に渡る。戦争がプロパガンダと密接に結びついていること、戦後日本も国家による謀略と無縁ではないことが様々な観点から示される。その中でも前半(第2章「見えてきた戦争」)と後半(第5章「闇の連鎖の彼方に」)で繰り返し取り上げられ、本書の背骨になっているテーマが普天間基地(米海兵隊普天間飛行場)問題である。

本書の主張は明確である。普天間基地の返還は1995年の沖縄米兵少女暴行事件を契機として沖縄県民から高まった基地縮小の声を受けてのものと説明される。しかし、実態は逆であったとする。

もともと米軍は老朽化し、補修も難しくなった普天間基地をもてあまし、辺野古沖への海上空港への移転を温めていた(90ページ)。さらに米海軍は空港に隣接して空母も接岸できる軍港を計画していた。そこに日米のゼネコンやコンサルティング会社、シンクタンクも加わり、新基地建設は一大利権プロジェクトとなった。

結論として、辺野古移設は米軍基地強化とそれに伴う利権獲得から生まれたものであった。米軍にとっては辺野古沖への移設が先にあり、普天間返還は住民の安全を考えてのものではなかった。この裏の狙いは普天間返還交渉に関わった日本政府や沖縄県の関係者も認識していたものであった。ここに普天間問題が今も迷走している原因がある。

民意が辺野古への基地建設を否定していることは明らかである。2009年の総選挙ではマニフェストに「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」と掲げた民主党が勝利した。民主党と社会民主党、国民新党の「連立政権樹立に当たっての政策合意」にも「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。」と明記された。そして2010年の名護市長選挙では辺野古への移設に反対する稲嶺進氏が当選した。

ところが日本政府の動きは民意を反映するものになっていない。これは普天間返還の表向きの目的と裏の動機の乖離があるためである。米軍基地負担の縮小を求める住民の願いが捻じ曲げられ、移設先ありきで議論されてきたことが今日の普天間問題迷走の背景である。その捻じ曲げられた実態を本書では明らかにしている。普天間問題が依然として迷走している現在において読み返す価値がある一冊である。