| 閑居洞月記 酒主浄忍 |
| 佛暦2551年 2月 涅槃会には「ねはんチョコ」 ●毎年今ごろになると、我が家の庭に咲く花が無くなります。 かろうじて、黄色のロウバイと銀色のネコヤナギとコウリヤナギの芽と 青木の赤い実が、冬枯に彩をそえています。 ●2月15日は日本仏教では涅槃会です。立春過ぎの行事とは言え、 どこか淋しさが漂います。 いわゆる涅槃図は大乗の涅槃経に基づき、横臥する仏は法身であり、 その上中国風に描かれているのですから、テーラワーダ仏教徒には なじめないかも知れません。しかし、大乗の涅槃経を少しでも理解して いれば、あるいは、涅槃図を鑑賞する時に、見方が変わるかも知れませ ん。 ●今年も10日に天扇院の涅槃図を拝観する予定でしたが、降雪との 予報があったので、11日に変更しました。 ●法身の仏に鍛冶工チュンダが食を供養したのに習って、去年は 「ねはんチョコ」の供養を提案しました。 今年は板チョコ用にパッケージを作り「ねはんチョコ」を仏前に供えまし た。 |
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| 佛暦2551年 1月 ●毎年、暮れになると海外の知人に贈るカレンダー選びが私の恒例 になっています。自分用としては、やはり旧暦を併記したものを選びま すが、今年は「仏教カレンダー」を作ったので役立てようと思っていま す。 ●日本で販売されているカレンダーは、1年を365、2425日とする太 陽周期を基にしたグレゴリー暦が採用されています。 ●一方、宗教面のカレンダーとなると、月の満ち欠けの周期を基にした 太陰暦や太陽の周期も考慮した太陰太陽暦(いわゆる旧暦、農暦の 事)が採用されています。その月の満ち欠けは誰がどこで見ても同様に 判別できるのですが、国や地域によって異なる種類の暦が作られてい ます。 ●ブッダの説かれた「法」も本来は、月の満ち欠けのように誰がどこで 見ても同じはずなのです。それを観る人の主観によって、あるいは無明 という雲がある限り、法という月ははっきりと観えそうにありません。 布薩には 月をながめて 法を観る |
| 佛暦2551年 12月 ●師走になったとたんに、街はクリスマスのイルミネーションで華やかに なり、キリスト教徒でなくても、その片棒を担がされてしまいそうです。 ●「12月8日は何の日ですか」と問いかけて、たとえ日本の仏教徒 であっても、正解を出してくれる人が何人いるのだろうかと考えて しまいます。 ●漢訳仏典によれば12月8日は釈尊成道の日であり、成道会が 催される日となっています。 中国仏教や禅宗では臘八会(ろうはちえ)とも呼び、釈尊の苦行に 習って、座禅をするなどして過ごし、臘八粥(ラーパーチョウ)という雑穀 や果実の入った「かゆ」を食べます。 ●クリスマスに押されぎみな12月に、仏教徒の一人として、成道会を テーラワーダとマハーヤーナの仏教徒が共に祝い喜べるような行事に すべきだと考えています。 カティナ会に 衣かさねる 寒さかな カティナ衣式の帰途にて詠む。 (カティナ衣−詠み易いように、カティナ衣式をこのように名付けた。 冬の季語とする。) 布薩日 今宵はいずこ 四天王 望月を見て詠む |
| 佛暦2551年 11月 「モッタイナイ」の心 ●朝晩はすっかり冷え込み、気が付けば山茶花も咲き、公園のけやき も色づき始めました。廊下の床もつめたくなり、例によって、はき古した くつ下にお世話になる季節となりました。 ●先日、ラジオのある番組で、穴のあいたくつ下は捨ててしまうのか どうか、という問いかけがありました。寄せられた回答の大多数は そのまま捨てるというもので、継ぎはぎをしてはく人はごく少数でした。 ●外国人から「モッタイナイ」は日本のすばらしい文化だと言われて、 改めてそれに気づかされるほど、多くの日本人から物を大切にする 心が失われているのだと思います。 ●「モッタイナイ」に当たる話は仏典の律蔵にもあります。仏滅後の 結集(教義の統一)の後にあった話です。ある時、ウデーナ王の園内の 樹下に座っていたアーナンダ長老に、500着の衣が贈られようとした 時のことです。大量の衣が贈られるのを知った王は怒り、不満の心で 衣がどのように扱われるのか尋ねました。すると長老は、ぼろになった 衣と替え、ぼろになった衣は足拭きや雑巾に作り、ぼろになった足拭き や雑巾は床の敷物に作り・・・・よれよれになった布は、土に混ぜて 土の床に作ると答えました。これを聞いた王は、仏弟子たちは全ての 物を理に叶って処理をしていると感心して、さらに500着の衣を追加し て贈ったということです。 ●私のはき古したくつ下は、継ぎの上に継ぎが重なっていますが、 それなりにはき心地が良いのです。 いにしへの、 伽藍の小径、 菊かをり 国分寺跡にて詠めり |
● 先日、法友のNさんから「日本国内の僧侶と皆さんへのお願い」で 始まる文のコピーを見せてもらいました。 内容は軍事政権下の国民の様々な劣悪な状況を訴え、ミャンマー民主 化運動を支持する僧侶への賛同として、日本の僧侶たちにも覆鉢に協 力してほしいというものです。 ●覆鉢という言葉は知っていましたが、現実にミャンマーで行われてい ることに、さすが仏教国だと改めて実感しました。 ●覆鉢とは信徒の三宝に対する誤った言動に対応して、反省を促すた めの行為です。鉢を伏せて信徒の功徳を絶つという行為なので、僧俗 間の強い結びつきが有ってこそ成り立つ話なのです。しかし今日の日 本仏教界の現状は、僧俗間の結びつきは希薄なもので、覆鉢どころの 話ではありません。 ●仏教は、何か動乱や戦争があるたびに、その影響力が衰退して行く ように思えます。仏教の抗争、抗議手段としては暴力に訴えないので、 理性的であり、強い信念を必要とし、続けて行くには困難を伴うからだと 思います。 ●現状の、ミャンマーの政治的判断は別として、今の私は事の沈静を 願い、仏法の守護神四天王の助けを待つのみです。 「名にしおはば 今こそ護れ 四天王 スワンナブーミ 困苦の民を」 (スワンナブーミ・・・suvannabhumi 仏典ではミャンマー南部をこう 呼んでいる) |
| 佛暦2551年 10月 彼岸の過ごし方 ●今日はまだ暑さが続いていますが、昔から暑さ寒さも彼岸までとは 良く言ったものです。しかし 関東や関西など地域が限られているよう です。 ●いわゆるお彼岸は、基本的仏教から見れば、ゴータマ仏の仏教とは きわめて遠縁になります。阿弥陀仏の浄土(彼岸)を求めて念仏を唱 え、お墓参りをするという日本独特の習慣です。従って 一応は仏教行 事に組み込まれています。 ●彼岸から到彼岸、波羅蜜と連想すると、日本のテーラワーダ仏教徒と して、この行事を受け入れるとしたら、一つは十波羅蜜を実践する七日 間、もう一つは慈しみの念を実践する七日間と見れば良いのかも知れ ません。 ●先日、法友と共にその慈しみの念の為に「ブッダの慈しみの心」という 小冊子を作ったばかりなので、さっそく使えそうです。 ●お墓参り、阿弥陀仏の念仏も結構ですが、日本仏教徒にも「ブッダの 慈しみの心」を唱えてもらいたいと思っています。 |
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| 佛暦2551年 9月 閑居洞月記 ●暑さと共に蝉の声が、特にアブラゼミがにぎやかに鳴いています。 庭先の大輪の白い木槿も陽ざしを照り返して、一日限りの花とは 思えないほどピンと咲きほこっています。 ●風も無く蒸すような暑さの中で、仏典に目を通していると、 仏陀と弟子たちの姿が目の前に浮かび、自分もその中に居るような 気がします。 ●仏典では時に、悟りの境地を酷暑から逃れて、涼しい所で休息する のに例えられますが、庭先の木槿が涼風に揺れるとき、それを実感し ました。 ●木槿一日の栄として、木槿の花は、はかないものの例えとして 詩や文に用いられています。ヒグラシの声と共に花の勢いが無く なります。仏教徒の目から見れば、やはりこの花も諸行無常と重なり ます。 |
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| 佛暦2551年 8月 知っていたつもり ●多くの日本人は、インド(正しくはバーラタ)と言えば、カレー、 お釈迦様、仏教……と連想するようですが、自分はこのような連想を とうの昔に捨て去ったと思っていました。 ●先日、ある話の中で仏典に出る塔婆と霊廟を説明することになり、 さっそくパーリ語辞典で調べてみました。それぞれ、トゥーパとチェーティ ヤという単語の説明で済んだのですが、私は前の連想の延長から、 傍らのヒンディー語辞典を手にして「ヒンディー語も同じような言葉だか ら載っているはずだ」と言ってめくり始めましたが、目指す単語は出て 来なかったのです。同じインドに在った仏教なのに……やはり時の移り 変わりを実感しました。 ●インド文典の正統派言語のサンスクリット語、その辞典には当然のっ ていました。いくつか意味が挙げられる中、塔婆としてのストゥーパとい う言葉は、主に仏教とジャイナ教の間で用いられたようです。知ってい たつもりはまだまだ続きそうです。 |
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| 佛暦2551年 7月 求めて行くこと ●私は2度にわたって「慈覚大師円仁とその名宝展」を見ました。 約1200年前に唐に渡った慈覚大師は10年間の巡礼と求法の旅を 記録していました。いわゆる「入唐求法巡礼行記」で有名になった 下野国(栃木県)の偉人です。 ●テーラワーダあるいは根本仏教を学んだ者の目には慈覚大師の 求めた仏教は異端に写ります。しかし大師の求道心は教義の違い こそあれ、仏教者そのものです。 ●古くは法顕、玄奘三蔵などが仏典を求めて苦難の旅をしていますが 大師の時代も旅は困難を極めたようです。 ●今なら、どのような仏典も居ながらにして入手でき、教えを聞こうと 思えば、いつでも可能になっています。 在家として仏法を実践しようとすれば、今の日本はほどほどに恵まれた 環境にあると思います。 ●どのような形であれ、例えば写経、寺院散策、巡礼もどき・・・・など でも仏教に親しみましょう。 special thanks:Harumi Aida(photo) |
| 佛暦2551年 6月 写経にこだわる ●去る20日はダンマーサナの集会で、シンハラ文字による写経会を 行いました。日本で写経と言えば、墨で書く般若心経が定番ですが、 上級になると、こん地の用紙に金、銀泥という超高級感あふれる仕上 げもあります。博物館などに展示してある経文類の多くは、当時の 最高級の素材を使って贅をつくしています。確かに信仰の証として豪華 な経巻を制作したのだろうが、当事者の何人が経文を理解していたの だろうかと、ふと思うことがあります。 ●お経は、やはりその内容を理解していなければ、意味がないのです が、見慣れない文字を見て、文字を書くことで、必然的にその発音と意 味を知ることになると思います。少なくとも、パーリ語はブッダの話した言 葉に最も近い言語なのです。 ●私は初めてシンハラ文字を見た時に、それまで知っていた梵字とは 違って、曲線の美しい文字だと感じました。私が写経のようなものをし ようと思ったのはつい最近のことで、全くの初心者です。 ●既成の写経に二の足を踏んでいる人、写経はしたいが筆文字の 苦手な人も、ダンマーサナですすめる写経はサインペンでも気軽に 書けるので、挑戦してみて下さい。 ●これから雨の多くなる季節になりますが、梅雨の一日、パーリ文の写 経をして、心を爽やかにしましょう。 special thanks:Harumi Aida(photo) |
| 佛暦2551年 5月 新緑で心を洗う ●我が家の支那菩提樹の新芽が出そろい、 聖菩提樹も赤く芽ぶいて来ました。 ●アウトドアー派の仏教徒のつもりでいる私は、時に新緑の 美しさに目と心を奪われることがあります。 葉の重なり合う様と、色の濃淡と、風に揺れ、そよぎざわめく様子は 見ていても飽きません。ある時は無心に見ているだけで、何か植物 の気のようなものを感じとれます。 ●当然そこには植物だけでなく、大地と空気と様々な目に見えない 微細な、あるいはやっと目で見える生命体など、色々な要素が 織り成す、複合した生命体が存在するはずです。 ●釈尊の時代にも、人々は大木や古木とその地を霊場(チェーティヤ) と呼んでいたこともうなずけます。 ●私は時にこのようなチェーティヤのような場所で慈しみの修習(メッタ バーワナー)をおこなった時、やはり何かしら心身共に清浄、爽快に なるのを感じました。 ●青空と新緑の中に鯉のぼりが泳ぐ季節になれば、仏旗(バウッダ・コ ディヤ)もはためきます。仏教徒はウェーサーカ祭を祝いましょう。 |
| 佛暦2550年 3月 ●今年のお彼岸は日曜から始まって、土曜に終わるという 区切りの良い?七日間でした。私は19日に日光に在る菩提寺に 墓参りをしました。心の大半をテーラワーダが占めていても、やはり 日本人の一習慣として受け入れている訳です。 ●以前に、パティパダーにテーラワーダ仏教徒としてのお彼岸の 七日間を、どのように過ごすべきかと書いた事があります。 私の七日間は18日の朝に仏壇回りを掃除して、半ば在家者としての 完月布薩(マーセー・ポーヤ)に始まり、19日の墓参り、仏画の下絵 がき、21日の慈悲の行念(メッタ・バーワナー)三昧、昔なじんだ漢詩 で、唐代の劉希夷(りゅうきい)作「白頭を悲しむ翁に代る」を久しぶりに 原語で読んで、感慨を新たにしました。 ●この詩は「年々歳々、花あい似たり、歳々年々、人同じからず」で 有名ですが、全編をとおして詩的な無常観あふれる作品です。 墓参りの老人を見るにつけ、この詩の終わりにある「宛転(えんてん) たる蛾眉(がび)、能(よ)く幾時ぞ、須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ) みだれて糸の如し」を実感しました。 ●花祭りが過ぎると、修行に相応しい季節となります。 仏教徒は戸外に出て、アウトドアー派の修行者になりましょう。 ![]() |
| 佛暦2550年 2月 ねはんチョコ ●去る2月15日は日本仏教徒なら誰でも知っている?涅槃会の 日です。本当に誰でも知っているのだろうか?14日はバレンタインデー で文字通り誰でも知っているが、涅槃会を知る人は希です。14.15 の両日とも聖者の死を哀悼し記念する日なのに、14日がカレンダーに 載っていても、15日は無視されているのを見るにつけ、仏教徒としては 全くはがゆい思いです。 ●皆さんに指摘される前に話しておきますが、テーラワーダでは5月の 満月日のウェーサーカ祭にブッダの誕生・成道・涅槃を記念して供養祭 が行われています。ただ、私は仏教の再興の為なら、異教の行事に あやかってでも、利用できれば利用すべきと思っています。 ●私はこう思っています。涅槃会には「ねはんチョコ」をと。今年、 チョコレートを配ったご婦人も、そうでなかった人も、来年は一つ多めに 買って15日は「ねはんチョコ」を仏前に供えませんか? かく言う私は男なので、今年は友人と訪れたお寺で涅槃図を見て、 正統派の「ねはんだんご」を供えました。 3月は「彼岸チョコ」を供えませんか? |
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