トルコ旅行記 2003年8月23日‐8月30日 その3
ホテルを出発し、ギリシア・ローマ時代の都市遺跡ヒエラポリスからパムッカレの石灰岩の壁を見る。17年前にあった源泉に近いホテルは取り壊され、石灰棚にも入れなくしている。

ヒエラポリス ヒエラポリス墳墓

パムッカレ パムッカレ

パムッカレ パムッカレ
西にセルジュクに向かって走ると、緑の谷には果樹が繁り、地中海世界である。昼過ぎセルジュク着。レストランの裏には実を付けた果樹林がある。エフェスの遺跡の横を通り、先にマリアの家に向かう。峠道を登ると、眼下に地中海の海岸線が望める。
マリアの家は、近年ローマ教会がその可能性を認知したため、世界中からの巡礼団で賑わっている。1987年当時は、単なるイスラームの観光地であったのだが。

セルジュク、果樹園 エフェス、マリアの家

マリアの家 マリアの家
エフェスの遺跡には上のアゴラから入って、大劇場方面に下る。

エフェス エフェス

エフェス、図書館 エフェス、大劇場

エフェス エフェス、港への通り

エフェス、遠くに聖母教会跡 エフェス、アルテミス神殿跡と聖ヨハネ教会跡
その後、皮製品の工場を兼ねた土産物屋へ。ここでも日本語を話す販売員が大勢いる。
「日本語はチャナッカレのカレッジに日本語科があって。ここは、基本給なしの歩合だけですよ、ほんとに」と言う彼女は、コンヤの出身でこの近くに一人で部屋を借りて住んでいるとのこと。
夜、高速道路でイズミルの街に入る。泊まったホテルは中心部から少し離れているが、車が行き交う道路を渡った海岸沿いに遊歩道があり、22時を過ぎても散策する人々や岸壁から暗い水面に向かって釣をする人々が居る。さすがに海の傍で湿度が高い。
辺りを一回りし、一組だけ客が入った人気の無いホテルのバーでバーテンダーと話すと、街の中心まではタクシーで数分とのこと。一組だけの客は、トルコ語はドイツ語とはかなり違って中国語に近いとかの話題になって、こちらと目が合う。
「中国語と言うより、日本語や韓国語に近いので・・・」と、彼等の話に入った。若いエンジニア風の3人(ドイツ人1人、トルコ人2人)はゴミ処理関係の仕事で、ビジネスの相手は地方自治体、明日はコンヤまで車で移動するとのこと。日本語には漢字が入っているが、言語構造はトルコ語と同じとされるウラル・アルタイ語族でなどと説明する。若いドイツ人の彼は、トルコの文化や歴史にはさして情報がない。あんなに沢山のトルコ人労働者がドイツで働いているにもかかわらず、の思いがしたが、受け手の側はそんなものかも知れない。
更にドイツ人の彼が、友達の中国人から貰った幸運のお守りだと言って「一家平安」とか彫られたブレスレットを見せる。家族が平和の内に在るぐらいの意味だと教えると怪訝な顔をするが、中国ではそれが幸せな事だと考えると説明すると、やや納得。漢字の読み書きができる事は彼等にとってかなりエキゾチックらしいが、実は、読み書きできても中国人とは話せないと言う意味がよくわからない。なんとかトルコ人は「トルコ語の中にもアラブ語そのままで使っている単語もあって」と、ちょっと近いけど、でも違うんだけどね。

イズミルの朝 イズミル、通勤のバス
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