ビルマ(現ミャンマー)シャン州を訪れる (20024月)

 

 

418日夕、バンコクに到着。翌19日、朝からサトーン通りの在バンコクミャンマー大使館に出向いてツーリストヴィザ申請。

 

在バンコクミャンマー大使館VISAセクション

 

ミャンマーツーリストヴィザは、翌日発給で810バーツ(約2500円)、別に数百バーツ出すと当日午後発給も可能。午後、アジアブックスとの会見予定があるので、月曜日午前受け取りにする。トゥクトゥク(三輪タクシー)で、シーロム通りのタイ航空オフィスに移動。23日朝のバンコク発ヤンゴン行き(TG303 BKK0815−RGN0905)のチケットを買う。戻りは30日にして、往復7800バーツ(約24000円)。

マンダレー航空よりe-mail回答(インターネット上の応対はパリ事務所)で、直近のため23日予約手続きできず、直接ヤンゴンオフィスに電話を入れてくれとある。バンコクから電話するが、回線の状態が悪い。結局、最近のヤンゴン出発時刻は0700になっているということで乗り継ぎ不可。

 

21日バンコク国立博物館、入って左手、タイの歴史のコーナーは改装中。ドヴァラヴァティー・シュリヴィジャヤのセクションは変化無し。紀元前のバーンチァン遺跡(タイ東北部、彩色紋様土器)の部屋も改装中で、ドンソンドラム(紀元前の祭祀用と見られる青銅鼓、製作の中心は中越国境付近とされ、東南アジア各地で出土する)を一緒に展示する様子。

 

22日、ミャンマー大使館でヴィザ受領。23日、TG303でラングーンへ。乗客は少ない。飛行ルートは、カンチャナブリからモールメインへと、紀元前後からのシャム湾からアンダマン海への交易ルート(ローマ時代の燭台、インド産の装飾ビーズ類など出土する。泰緬鉄道もこのルート)。モールメイン上空で、雲の切れ間からサルウィン河口部が見える。

ヤンゴン、ミンガラドン空港に9時前(時差バンコクより30分有り)に着陸。周囲の風景は、タイのチャオプラヤ河口部とそう変化は無い。空港施設は更新されていず、地方空港レヴェル。飛行機の姿も少なく、国内線のプロペラ機(ほとんどATR72型)が数機。全て駐機場でタラップ使用、バス移動。バスは日本製の中古車両で、空港リムジンや私鉄バス会社の塗装のまま。到着はこの便だけで、入国手続きは並ばずに済む。外貨兌換券両替はUS$200。あたりを探すが旅行会社のカウンターばかりで、国内線の窓口らしいものは無い。手荷物だけなので、空港の外の道路を歩いて国内線ターミナルに移動。このあたりの雰囲気は、旧英領植民地のにおいがある。空港の建物は中央に管理施設と政府関係の使用部分があり、国際線到着から国内線出発まで端から端まで約10分歩く。

 

   

ミンガラドンの外                                                        国内線ターミナル

 

とにかく国内線出発の建物に行くと、入口で航空券と身分証を確認している。外国人であることを示し、中でチケットを買うからと入る。航空会社の窓口やチケットカウンターは無く、チェックインカウンターだけがある。出発標示を見ると、1030分発でヤンゴン・ヘホー・マンダレー・タチレーク・チャイントン行きが有る。ヤンゴン航空のチェックインカウンターで、搭乗できるか交渉。空席は有るが、チャーター便なので旅行社に確認する間待ってくれとのこと。空港施設は、数十年の時間が止まったままのような状態。搭乗OKで、US$121FCU(兌換券)で払う。乗れなければヤンゴンで一泊するつもりだった。

 

     

ヤンゴンエアのカウンター                                          国内線待合室

 

搭乗予定の便は定時出発。客席は半分ほど埋まっている。プロペラ機なので、地上が観察できると期待したが、薄靄がかかったうえに窓ガラスには細かい傷がいっぱいで、地表はほとんど見えず。約一時間半で、ヘホー到着。山間盆地に入って高度を下げると、高台に町が見える。赤土の乾燥した地面が近づき、着陸直前水田が少し。鉄道線路を越して着陸、滑走路の舗装は痛んでいて、砂が被っている。数人が乗り降りしただけで、約15分で離陸。

地上の様子はよく見えないが、山脈を越して飛行40分ばかりでマンダレー到着。この空港は新しいターミナルが造られ、ジェット機が着けられるフィンガーが並んでいる。ここで乗客が増え、ほぼ満席になる。ヤンゴンから乗っている華人系と見える客に、マンダレーから乗り込んで来たビルマ人が知り合いらしく合流したが、商売仲間か?更に一時間半ほど飛んで、タイ国境のタチレーク。山間のかなり狭い盆地に進入する。山肌に、山地民の村と焼畑地が見える。細い川とその周辺に町が見えたのがタイ国境か?滑走路も空港ビルも新しい。ほとんどの客が降りる。ヤンゴンから乗っていたインド系の数人も降りたし、マンダレーで合流したビルマ人と華人の組も降りたから、やはりこの町でタイからの商品を仕入れるのか?替わって乗り込む客は、かなり荷物を持っている。

 

 

マンダレー新空港                                                        タチレーク飛行場

 

タチレークから40分ほどで、チャイントン(チャイントンはビルマ名、旧英語表記はKengtung、現地音はチェントゥン)着。滑走路は新しいが、空港ビルは無く、イミグレーション事務所の小さなビル以外は木造小屋。イミグレーションで何処に泊まるか訊かれる。後でわかるが、外国人は町ごとのイミグレーションオフィスに到着と出発を報告しなければならない。とりあえずチェントゥンホテルと答える。「他にもホテルが有るか」尋ねると、チェントゥンホテルは高級で一泊US$24から、外国人用ゲストハウスはUS$5から有るとのこと。今回は初めてだし、何よりチェントゥンホテルは旧ソーボワ宮殿を潰して、その敷地に建てたものなので、泊まるつもりをしていた。イミグレーションも、高級ホテルに泊まることで受けが良い。

番人小屋を抜けて空港の外に出ると、店が数軒あり、トラックタクシーがいる。町まで2000チャット(約320円、1US$820MKT130JPYで概算)。車は日本製中古、道路は右側通行でハンドル位置が逆になる。バイクは多い。空港からの道はまずまず、車の数が少ないので快適。チェントゥンは2000メートル級の山に囲まれた盆地で、四方に山が重なる。高度は海抜数百メートルあるはずだが、暑季の日中は40℃近くと思える。

 

 

チェントゥン飛行場の外                                              チェントゥンの町へ

 

町の中心部、チェントゥンホテルは二つあった。同じ敷地内だが、バンガロー風のオールドホテルと、四階建てのニューホテル。地形から、ニューホテルが建っている場所に旧ソーボワ宮殿があったと見える。オールドホテルから値段と設備を確認。まあまあだが、エアコンは旧式の窓付け型、TVは衛星受信無し。値段はUS$18まで下げると言う。ニューホテルは、窓サッシや水まわりなど細かいところに安普請があるが、全体としては近代ホテルの標準。エアコンはセパレート型、衛星TV有り、朝食付きUS$24と言うのでこちらにする。但し、電気が来るのは夕方からで、電力が弱いとエアコンには給電しないことが、あとでわかった。とはいえ、部屋からの眺めはまずまず。

 

   

チェントゥンホテル                                                     部屋から

 

時間は午後4時前で、ホテルで地図(手書きのコピー、200チャット)を手に入れ歩いてみる。中庭のプール(中国人客らしい家族の子供が遊んでいた。翌日からは水が抜かれ、空の状態だった)の脇を通り、横道に出て湖に下がる。これが町の中で一番大きいノントゥン湖。対岸に金色の仏陀立像と、カトリック教会が見える。湖では竹の筏に乗って魚を獲る若者。湖の岸から古い住宅地を抜けて、中心部のロータリーへ歩く。家の中には、三階建てに改装し衛星受信アンテナを付けたものもある。道路沿いの店では、理髪店、バイク屋、裁縫屋、古い治療用の椅子ひとつに足踏み式ドリルの歯医者なども。

 

     

ノントゥン湖、ホテルから                                          魚獲り

 

市場は午前中だけで、午後は閉まっている。二階建ての木造タウンハウス(タイやマレーシアなどの古い町と同様の造り)が多い通りを歩いて、バイクタクシーの運転手が集まっているティーハウスに寄る。空き瓶の蓋を使ったボードゲーム(弾いて落とすような遊び)をしている。椅子が低い(20センチほどの高さ、他のティーハウスでも同じ)のがこの地域の特徴か?ティー1杯60チャット(約10円)。経営者は華人。タイ語を話す人間がひとり。(翌日、ガイドの某君から聞いた話では、シャン人はあまりティーハウスに寄らない。従って、ビルマ人か華人が主な客とのこと。シャン人が入るのは麺屋)ティーは、マレー半島と同じでコンデンスミルクに濃い紅茶を入れたもの、美味い。

鳴り物が聞こえてきて、子供を僧院に送る出家式の行列が通る。これは、タイ王国のシャン人(タイヤイ)社会でも重要とされている習慣で、男の子が10歳になると僧院に入れる。それなりの費用がかかり、裕福でない子供には後見人がついて擬制的親子関係を作るようである。やや高台の道を散策し、旧市門を見に行く。民家の敷地内にマンゴーの自生が多い。地図によると、チェントゥンはかなり広い範囲を市壁で囲んだ城市であった様子。現在は、壁は無く、市門だけが残る。近くの民家の一階で、子供が中国語を勉強している。黒板に書かれた漢字を、声を出して(マンダリン)読む。

 

   

出家式の行列                                                               中国語教室

 

地図に示されたソーボワの墓というのを探す。インド風の円蓋がかかった墓は、市の創建期のかなり古いソーボワを祀るらしいが詳細不明。メインストリートらしい道をホテルに戻る。ホテルの傍、旧ソーボワ宮殿敷地の横に、シャン寺院と、マハミヤムニ寺院(20世紀初頭のソーボワ、サオ・コン・キャオ・インタレンが建てたもの)が在る。ホテルのレセプションで、手書きの英文観光案内(チェントゥンの見どころを紹介したもの)を借りて読む。英語の文章は、しっかりしている。

 

   

シャン寺院                                                                   マハミヤムニ寺院

 

ホテルで、「レストランは何処が良いか」尋ねると、中華料理店が一般的で、先ほど通った市門の近くの店を薦められた。ゴールデンバニヤン(金蓉樹飯店)という看板が上がり、外人客も一組いた。鶏の炒め(宮保鶏丁)と野菜スープ(青菜が入った単純なスープ)と白飯と中国茶で、1400チャット(約220円)。鶏の炒めはカリッと揚げてあってなかなか良いできだった。TVにはタイの番組が映り、店の娘はタイ語を話す。

帰り道、通りは暗いが、麺屋にはそこそこ人が入っている。途中のティーハウスに寄る。ここは昼の店より10チャット高くて紅茶一杯70チャット(約11円)、やはりメインストリートだからか?夜10時頃、外からディスコ音楽のような響きがあって、様子を見に行く。ホテルの直ぐ近くに聞こえるのだが、ぐるっと回り道をして湖の岸のそれらしい場所に着くと、もう音楽は止まっていて中古の機械を並べたゲームセンターが店を仕舞いかけたところだった。湖の岸の少し先に、カラオケ屋らしい建物があるので覗く。中国語のカラオケで、客が一組。店番をしているのは若い子供で、コーラを置いているから値段を訊くと500チャットだと言う。タイバーツを受け取るか訊くと、1バーツ=20チャットの計算。50バーツ札(1000チャット換算)を出して、500チャットの釣を受け取る。対岸に灯りが点いたビールを飲ませそうな施設があるが、歩くには遠い。もう一箇所、鼓と鉦のような音が対岸からするが、これは明日の朝僧院に向かう準備らしい。月明りのなか、ホテルに戻る。

 

424日、ホテルの朝食はフライドエッグとトースト。泊まり客は他に二組ぐらい。バイク改造の三輪タクシーを止めて、市場に。市内料金は200チャット(約32円)らしい。

市場はかなり広く(横幅200メートル、奥行き150メートルほどの区画)、食料品から金物、衣料、日用雑貨、文房具、両替商、金行までほとんど全てのものがある。正面側の道路から入ると屋根付きの店舗が並び、奥の方は屋根無しの露店で生鮮食料品の店という配置。大まかに商品ごとの区画分けがされている。山地民の姿も散見される。野菜や果物の種類は豊富だが、米を売る店は少なくほとんど白米。魚を腐らした調味料を売るあたりには強烈な異臭が漂う。調理済みの米製品(おこわのようなもの)に、黄色や小豆色のもち米がある。精肉売場は屋根付きの囲みがされた一区画。市場内の軽食コーナーは、米製の麺類で、スープと具(肉団子とか豚の煮込みとか)に店ごとの違いがある様子。乾電池とか文具は中国製が主流で、質は良くない。衣料品、日用雑貨も多くは中国製。茶を大量に置いている店は一軒だけで、半発酵のウーロン茶。

山地民は歩く速度が速い。

 

       

市場、野菜                                                                   市場、おこわ?

 

      

市場、豆類                                                                   市場、茶

 

      

市場、黒服の山地民                                                     市場、金物屋の店先の山地民

 

ティーハウスに寄ったあと、バイクタクシーで湖対岸に見える仏陀立像の丘まで移動。ホテルで読んだ英文案内に、小さな博物館が近くにあるとしてあったが見当たらず、カトリック教会の方向に歩く。対岸から見えた教会は閉まっていて、その後方にカトリックミッションの建物がいくつかある。湖に向かって下ると、1920年頃から90年頃までチェントゥンで活動したイタリア人カトリック修道女が居た修道院がある。湖の対岸に、チェントゥンホテルが見えるから、ソーボワ宮殿があった時には良い形で見えたかと想像する。

ホテルに戻って、博物館の場所を確認すると、仏陀立像からバイクで登って来た方向に一段下がった位置の建物だったと判明、出直す。中に入ると、番人が掃除をしていて、他には誰もいない。この地域の諸族(タイ族には、チェントゥンのタイ・クーン、シプソンパンナー(西双版納)のタイ・ルー、山地で焼畑をするタイ・ロイ、中国文化のタイ・ヌァ、サルウィン河以西のシャンなどがある。山地民はワ、リス、アカ、エン、パラウンなど)のいくつかの衣装と道具の展示がある。入口の小屋に100チャット、5バーツ、1元などの入場料表示があるが、番人の話では町の反対側のホテルに英語で説明できる人間がいるらしい。

 

     

タイ・クーン                                                              

 

ホテルに戻ると昼で、次はどこに行こうか思案する。レセプションの話では、英語を話すローカルガイドが一日US$10で雇えると言う。とにかく試してみることにする。1時過ぎにガイドが来る。24歳のチェントゥンの男の子。国連関係でチェントゥンに滞在したオーストラリア人から英語を習ったと言う。バイクに乗って来たので、午後は彼のバイクで市内を回って話を聞くことにする。昼食を食べていなかったので、まず彼の薦めで中級ホテルの近くの中華料理屋に行く。春巻きが美味いとのことで、確かにまずまずの味。鶏の炒めは昨晩の店のほうが良かった。

 

町外れの一本大きな木が立つ丘に登る。伝説では、チェントゥンの創建者の時代(つまり北タイのチェンライやチェンマイの創建者マンラーイ王かその子供)に植えられたとされ、周辺に同じ木は無いとのこと。伝説では同じ木が三ヶ所に植えられ、ひとつはタイの何処かだと言うが、場所は不明(ストーリーからすればチェンライあたりか?)。傍にチェントゥンを囲む市壁の遺構が在り、土塁状になった壁の外側には数メートル下がって溝が廻らされていたようである。土塁の間には焼きレンガも露出しており、レンガ自体はそう古いとは思えないが(例えば現在のチェンマイの市壁が19世紀初め頃だから、それと同じ頃か?)、土塁自体はもっと遡って存在した可能性がある。

ガイドの彼によれば、チェントゥンの創建説話では、「初めはこの山間盆地は大きな湖で3つの島があったが、北から来た僧が法力で水を退かせると6つの池が残り、町が出来て12の市門を持った」と言う。この地域の伝承では、仏教も含め様々なものが北の方、中国から来たという意識が強い。また、釈迦とその弟子がチェントゥンを訪れたとする説話もある。丘から東方向を見ると、タイ国境に向かう新しい道路がる。

 

            

ローントゥリー                                                            チェントゥンの市街(中ほどに市場の屋根)

 

町の中心に戻り、ジョムカム寺院とワットイン。どちらも古くて重要な寺院との説明。仏塔の基壇に嵌めこまれた寄進の碑文とかは、クーン文字(チェンマイ文字)で書かれている。ジョムカムは、ソーボワ庇護の寺院であったのか?ワットインは最も歴史が古いとされていて、本堂の仏像の後ろに仏塔があり、堂内に仏塔が取り込まれた形。本尊の頭部を精霊が彫ったとか、仏塔の脇の井戸に水の精霊が居るとか、述べられるから、本来精霊信仰があった地点ではないか?

ここで聞いた話では、日本人伝説について、「時代はわからないが、数百年前、日本人の武士が100人、船に乗って日本を出帆しタイに着いた。タイの王と諍いになりチェントゥンにやって来たが、人数は69人に減っていた。占星術師がその日本人を置いたら良いと言うので、チャオファーは彼等がチェントゥンに留まることを許し、町の人間と結婚して住み着いた」とのこと。

戦時中の話では、日本の将軍が一年ぐらい住んでいた。また、日本軍はビルマ側からやって来て、タイに向かい、その時チャオファーも一緒に逃げた(これは撤退期のことと考えられる)。

いずれの話も、もう少し確認が必要だが、初対面でその場に居合わせた人間の背景や立場が良くわからない状態では、深入りできなかった。ソーボワ関係者について、1997年に死亡した最後のソーボワ、サオ・サイ・ロンの従弟かまた従弟の誰かが未だチェントゥンに存命とのこと。

 

        

ジョムカム寺院                                                            市中心部

 

夕食は普通のシャン人が行くという麺屋で。内容、味とも、タイのスープ麺とほぼ同じ。「伝統マッサージがあるか」尋ねると、近くにあると言うので試す。中国人経営で従業員はシャン人。バンコクの場末の店という感じ。客はビルマ語と中国語を話している。マッサージの手法はタイと同様だが、技術はバンコクのほうが良い。値段はバンコクの三分の一ぐらい。月明かりの下をホテルに戻る。

 

425日、一日車を雇って(12000チャット、約1900円)、ガイドと一緒に近郊の山地民を訪ねる。チェントゥンを北に出て、約30分ほど農村地帯を走ってから山にかかる。キリスト教徒化した村を過ぎ、アカ族の集落で車を降りる。この村は水田を持って定住し、子供は学校に通っている。アカ族の住居は出入り口が二箇所あり、男と女で生活空間が別れている。ガイドは住民と知り合いで、勝手に家に上がりこむ。

歩いて山道を登る。途中、渓流のある場所で休んでいると、アカ族の猟師が通りかかる。筒先から弾を込める銃で、火薬と数種類の大きさの鉛弾を持っている。撃鉄のところに煙硝(子供のころ駄菓子屋に置いてあった)を装着して発火させる。射程は数十メートルぐらいらしい。そこに山から下りて来たエン族の男が通りかかる。色黒のモン・クメール系種族で半裸だが、みんな顔見知りらしい。共通語はシャン語。

 

   

チェントゥン郊外                                                        登り口のアカ族の村

 

30分ほど山道を登って、木々の間にエン族の村が見えて来る。木々をはらった赤土の斜面に高床の住居が並ぶ。床下に木材が多く蓄えられているのは、雨季(5月から9月)に入ると焚き木を切りに行けないから。隣の山の低い位置に、別のアカ族の村が見える。エン族の村に入ると犬が多く、老婦人と小さな子供だけの(成人は昼間、山に出ている)家に上がると、縁台に犬も一緒に上がっている。隅に機織機がある。老婦人が落花生とお茶(薄いウーロン茶)を出してくれる。日蔭になった縁台から眺める山の斜面と木々の緑、遠くの重なる山並みは絶景。

 

     

エン族の村                                                                   エン族の子供

 

下りになった山道を15分ぐらい歩いて、上から見えたアカ族の村に。途中、エン族の子供が蝉獲りをしている。この村のアカ族は未だ焼畑をしている様子。子供の数が多い。

急な山道を下ると、滝がある。今は乾季の終わりで水量が少ない時期。滝から先は平坦な道で、売店が一軒あり、中国製のビール、タイ製の清涼飲料を置いている。店の裏で果樹園を作っていて、スプリンクラーのような仕掛けで水を撒いている。数分で、登り口のアカ族の村が耕作している水田に出る。滝からはすぐの場所だった。

 

     

別のアカ族の村                                                           

 

昼食はチェントゥンに戻る道の途中の、シャン(タイ・クーン)の村で。道路の両側に並ぶ家はどれも結構立派な造り。ここでも麺を食べる。タイとの違いは、テーブルに魚醤ではなく醤油が置いてあること。店のおばちゃんの話では、明日が満月でモンラーの町ではポイ(祭り)があり、若い者はモンラーに行っているとのこと。

 

     

タイ・クーンの村                                                        パラウン族の村

 

午後はパラウン族の村。平地定住、水稲、シャン文字使用とのことで、いったい何がシャンと違うのかと思うが。ここの子供たちが町に住めば、一市民だろう。ガイドの彼に、ここの若い世代がチェントゥンの町に住んで市民生活をすればシャン人と呼ぶかと尋ねてみる。それは違うという返事だが。

温泉に向かって移動する。途中の村は中国風の墓地を持っている。タイ・ヌァの村だと言う。温泉は熱湯に近く、周りの売店では温泉卵を売っている。源泉を水路で冷まして個室に導き、入浴させる施設がある。硫黄の匂いはするが薄い。個室の温泉に入ってみたが、タオルを持って行く必要あり。

 

   

温泉                                                                             西瓜畑

 

帰り道、ガイドの親戚が居るという村の西瓜畑に寄って西瓜を食べる。甘くて美味しい。畑の先にチェントゥンの町が見える。村の僧院に居住しているガイドの従弟の僧がやって来て少し話す。英語で話す機会がないそうで、勉強するにはどこへ行けば良いか考えているようだった。ヤンゴンにもシャンの寺院があって一年ちょっと居たようだが。チェンマイにはシャンの寺院があるし、チェンマイ大学なら英語もできるんじゃないかと言ってみても、どうもここの人々はこちらが想像するほどタイ王国に期待していない。現実には、TVではタイの放送を見ているし、タイの日用品が出回り、バーツが流通していてもだ。確かにタイ人化する気になってそれが可能ならば見方が違うかも知れないが、タイ王国でシャン人と言えば不利があるし、ここに戻って来るつもりなら、ビルマ語を忘れるわけにはいかないし。

 

426日、ホテルをチェックアウトして、朝から中国国境の町、モンラーに向かう。車は往復貸切で60000チャット(約9500円)、そのうち約24000チャット(厳密には200人民元)が車一台のワ・ステート(モンラー周辺の特別区)への入域料。市場に寄って人民元に両替する(チェントゥンでは1人民元=120チャット=19円ぐらいになるからかなり高い)。

チェントゥンを北東方向に出る。道路幅は6メートルほどで、最初の10キロ程はアスファルト舗装済み。その後は道路両端のコンクリートによる土止めがされ、ローラーで固められた砂利道。この道路は、ワが資金を出し中国人を雇って人海戦術で造らせたという話。ちなみに昨日、北に向かって走った道路や、タイ国境に向かう道路は、ワがタイの建設会社に施工させているので、道路端の土止めをせずに道路幅を広くする造り方、重機を使って作業するので短い工期で仕上がるということだ。いずれの道路も雨季に使用可能。

2000メートル級の山間を抜ける。昔はこのルートを馬やロバで交易したわけだが、確かに農民の気質ではなく行商人の気質がなければ超える気にならなかっただろう。タイ族の特性に、山間地の移動を厭わないものがあるのだろう。もちろん中国からの行商人はいたが、タイ族自身各モン(山間盆地の政治社会単位)間の交易を昔からやっているし、現在でも、例えば、昨日昼食をとった村の若者はバイクでこの道を越えてモンラーの祭りに行っている。

山道から、アカ族の村とかタイ・ロイ(山地に住むタイ族)の焼畑地とかが見える。途中、アカ族の集落。ここには寺院(このアカ村は仏教徒)や小学校(ミャンマー政府の派遣教師)がある。1時間強走り、下りになって中規模の川の手前にミャンマー軍のチェックポイントがある。外国人はイミグレーションオフィスの許可を得ているか確認する。これは、ガイドが今朝、小生のパスポート番号とヴィザの内容を控えて行って、チェントゥンのイミグレーションオフィスで許可を取ってきた。

 

   

山地を抜ける                                                               途中のアカ族の村

 

橋を渡るとワ軍のチェックポイントがあって、ピストルを構えた番人が数人、車の外から確認するだけ。更に10分ほど走り、道路がアスファルト舗装になった村に、ワの入境管理ポイントがある。車を降りて窓口の前を歩いて通過する。運転手はここで、車両の入域料を払ったようだ。チェックポイントの表示はビルマ語と中国語で、通貨は人民元になる。この地域の正式名称は、東部シャン州第四特別区(Special Region No.4 in Eastern Shan State)で、ミャンマー軍政と1992年に和解したワ州連合軍(United Wa State Army)が管理する自治区。北東側は中国国境で、住民は中国側のシプソンパンナー(雲南省西双版納泰族自治区、主邑は景洪)と同じタイ・ルー。

 

     

ワの入境管理処                                                            水田と水牛

 

水田や西瓜畑を持った村を過ぎ、山肌を焼いてマンゴーとライチーのプランテーションを始めた地区を通り、立派なゴルフコースを過ぎるとモンラーの町に入る。中国の地方小都市という雰囲気。

町に入ってすぐに人だかりがあり、ポイ(祭り)が開かれている。車を止めて歩いてみると、賭け事の屋台がほとんどで、着飾った住民が集まっている。子供の僧がトランプゲーム(21)のテーブルを囲んでいたりする。絵柄サイコロの賭けは、二つの絵柄にお金を賭け、三個のサイコロを転がして指定した二つの絵柄が出れば勝ちらしい。他に、輪投げのような遊びで、輪を転がして倒れた輪が地面に置かれた景品を囲み込んでいれば景品がもらえる。あとは、籤。一枚一元で、番号によって最高100元紙幣が当たるという単純なもの。気合が入って真剣な雰囲気のテーブルは、数字札を合わせてやるようなもので、写真を撮るなと言われた。鳴り物の一団が先導して、長い竹筒が到着する。火薬を詰めた花火で、後方の田圃に向かって発射する。携帯電話を持った人間が結構いる。ミャンマーにはほとんど無いが、タイ国境や中国国境地帯では、タイや中国で登録した携帯を使用している。当然ここは、中国の携帯電話で、町の電話線も中国の電話回線が来ている様子。

 

     

ポイ、サイコロ                                                            ポイ、携帯電話

 

ミャンマー政府のイミグレーションオフィスに寄って到着を報告し、ホテルにチェックイン。名前は孟拉賓館と漢字で標示(正確には孟の字は孟が篇で旁に力で、モンの音。西双版納の泰族の地名のモンにこの字を当てる)、1泊180人民元、部屋は典型的な中国の地方都市ホテル。旧市街にワ政府の建物があり、中国風の看板に、ミャンマー国家平和発展評議会のキン・ニュンと握手するウ・サイ・リン(ワ・ステートの首領、シャン人、中国名林明賢)が描かれている。この町はお金があるようで、黄色のトヨタセリカとかセルシオなどの新車が走っている。

 

     

左がウ・サイ・リン                                                     特区政府事務所

 

中国国境は町の北東の端で、門があり、傍に中国の標識が立っている。ミャンマー側の車はこれ以上入れないが、100メートルほど先に中国側の検問所がある。ここに並んだ土産物屋のなかに中国の銀行の出張所があり、クレディットカードのマークも付いているのでキャッシングできるか尋ねるが、中国の銀行発行のクレディットカード以外扱わないと断わられる。

丘の上に建つビルマ寺院の仏塔に上がると中国側の町Daluo(打洛)が見える。ここからシプソンパンナー(西双版納)の主邑Jinghong(景洪、ツェンフン)まで車で3時間とのこと。寺院には中国人観光団が次々と訪れ、靴を脱げとか女性は塔の上に登るなとかの注意が中国語で標示してある。更には参観順路が指定してあって、脇の土産物屋に導かれるようになっている。

 

 

中国標識                                                                      中国、打洛の町を望む

 

寺院の下に、芥子栽培博物館なるものが造られている。中には、1992年のワ軍とミャンマー軍の和睦以前はどのように芥子が栽培され、アヘンに精製されていたかを示し、今は国連の援助もあって芥子栽培を止め、立派に更正しましたというストーリーが展示されている。

 

     

芥子栽培博物館                                                            モンラーの町

 

現在のモンラーの町は、四年ばかりで造られたようで、中国人観光客用の新しいホテル、24時間営業のカジノ、オカマショー(タイの観光地にあるもの。中国人は「人妖」と呼んで人気が高い見世物)、ロシア人ダンスショー、食用珍獣市場(中国人が珍重する動物を売っていて、傍の中華料理店に持ち込むと料理してくれる)、カラオケ、ディスコが並ぶ、中国人向け観光歓楽都市なのである。

カジノを覗くと、ゲームはほとんどバカラ(トランプを使った、親が勝つか子が勝つかの単純なゲーム)で、大部屋の最高賭け額が3万元(約40万円)だから、貴賓室とかの賭け額は推して知るべし。こういったカジノが、新市街の中心以外に各大型ホテルにも設けられている。珍獣市場に並んでいるのは、スッポン、蛇、アルマジロ、山猫、梟、鹿、その他、乾したムササビのようなものとか、蝙蝠のようなものとか。ホテルの脇に止まった車のナンバープレートに「蒙」の文字があるから、内蒙古からの車両か。

 

     

珍獣市場                                                                      カジノ

 

夕食後、ポイの会場を見に行くがほとんど仕舞いかけ。その後、カラオケ・ディスコを見に行く。入り口付近には、女の子が何人かいる。午後9時まではカラオケタイムで、中国語のカラオケ。飲み物は缶ビール、缶コーラ等、一杯10元。客にはシンガポール人の団体がいたりするから、雲南観光の途中に組み込まれているのだろう。昼間、珍獣市場のあたりには香港人客もいた。マンダリン(普通話)のカラオケに辟易するが、広東語ポップスも普通話で歌ってしまう。ひとりだけ広東語で歌う人間がいた。

ここにいると、まるで中国の植民地にいるような気になる。特にシンガポール人などが、大中華の思いに酔った様子で、この中国人用歓楽租界とも言うべき町で、勇ましい中国歌謡などを絶叫する姿を見ると複雑な気分になる。危ない感じも受ける。ホテルの部屋に戻ると、ドアーの隙間から中国語のバーの名刺が投げ込まれていて、「24小時熱誠服務」とかのキャッチコピーに携帯電話の番号が載っている。場所が「紅灯区」としてあるのがわかりやすい。

 

427日、ホテルをチェックアウト。茶店でビルマ風の麺スープと、マレー半島ならロティと呼ぶ薄いパンケーキとティーの朝食。どれも悪くない。近所の屋台を見ると、タイ風の米麺を食べている。モンラーの市場を見る。外側は新しい建物になっているが、店舗の数や品目はチェントゥン市場のほうが多い。焼き豆腐、納豆、こんにゃくなど発見。

 

   

モンラー、朝の麺屋台                                                 市場、米

 

   

市場、豆腐と焼き豆腐                                                 市場、納豆

 

手持ちの現金が少なくなり、今日中にタイに出国することに決める。これからチェントゥンに戻り、タイ国境まで行く別の車を探すことにする。まずモンラーのイミグレーションオフィスに寄って、出発の連絡が必要。イミグレーションオフィスの人間が途中の検問所まで同乗させてくれと言うので承諾。外国人の動向チェックも兼ねているかと想像するが、断わる理由はない。

通り道のシャン(タイ・ルー)の村で写真を撮る。ワのチェックポイントの傍で売っていたパイナップルを買い、ミャンマー軍のチェックポイントに隣接した茶店で切って食べる。壁にポスターが貼ってあるが、ミャンマー政府の公衆衛生部局がビルマ人モデルを使って作ったカレンダー。他に、シンガポールのタイガービール(ミャンマーで製造しているらしい)と、インレー湖の近くにある日本・ミャンマー合弁会社のポスターだと言う日本の着物姿が写ったもの。ここからまた、途中のアカ族の村まで乗せてくれと言う別のイミグレーション関係者を同乗させる。

 

     

タイ・ルーの寺院                                                          タイ・ルーの村

 

チェントゥンに午後1時前に着き、イミグレーションオフィスに直行して出発許可を取る。イミグレーションは、タイ国境に向かう車を決めて運転手と一緒に来いと言う。タイ行きの車を走らせる運転手の家に行き、交渉。基本的に四人相乗りで、今二人客がいるから二人分払ってくれたら直ぐ出発できると言う。タイ側の国境閉門(午後6時、ミャンマー時間で午後530分)までに確実に着けるならと承諾する。運転手の話では3時間で着くとのこと。一人あたり350バーツ(タイに向かってはバーツ圏)で、二人分だと700バーツ(約2200円)。

この運転手と再度イミグレーションに出頭。建物は旧ソーボワ宮殿敷地に隣接する植民地風の造りで、元はソーボワの役所か英国行政官の役所だったと思える。車で待っていても良いのだが、建物の中に入ってみる。手入れがされていない古い建物の薄暗い室内に、書類を積んだ机がいくつかあって数人が事務作業をしている。薄暗い階段を上がった二階の部屋で、パスポートを確認する係官が運転手の名前を控え、何か指示する。

ここで、ガイドとモンラーまで出かけた運転手と別れ、タイ行きの車で出発。運転手は町のコピー屋で、パスポートと書類の写しを数枚とる。更に、初日に散策した旧市門の近くで客と荷物を載せる。待っていると、赤トンボのメロディーがどこからか聞こえてくる。ちょっと考えて、日本の歌のはずだから何事かとあたりを見回すと、東京都清掃局と書かれたゴミ収集車が回っている。日本の中古車をそのまま使っていて、音楽もそのまま流れている。

 

     

チェントゥンのイミグレーションオフィス                  チェントゥン旧市門

 

チェントゥンの出口で検問所。運転手は車を降りて、事務所にコピーを提出しに行く。通りがかったトラックに乗ったインド系の商人の男は、顔見知りらしい係官と挨拶して手数料を渡していた。道路は未舗装だが、ローラーで固めた4車線は充分とれる幅で、車が少ないから時速60キロ以上出せる。タイ国境への旧道は山頂の英国時代の拠点ロイモイを経由していたが、新道は谷間の登り下りが少ないルートを通る。

運転手が、このルートを日本軍がやってきたと、祖母から聞いたと言い出した。日本軍がタイ軍と一緒に来て、今の市場のあたりと病院を砲撃したと聞かされたと言う。それ以上の詳しい話は、知らないとのこと。

いずれにせよ、今日は手持ちの現金が無くなったのでタイに向かうが、次回は陸路で楽にアクセスできるとわかった。数年前に訪れた人の話では、旧道しかなく雨季は通れない劣悪な道で、56時間かかるとの情報だった。

 

チェックポイントがいくつかあり、運転手は車を降りてコピーを提出する。1時間ばかり走ったあたりで、谷が狭くなった数キロだけは未だ工事中。山をダイナマイトで爆破して、パワーシャベルが大きな岩を谷川に落としている。10分ぐらい待って、パワーシャベルが踏み固めた一台分の幅のところを通過。それを過ぎると快調なドライヴ。次の開けた山間盆地がモンパヤッで、中間点。入り口と出口に検問所。盆地部は水田が拡がり、町はタイと同じような感じ。ここでまた、イミグレーションの人間が次の町まで乗せてくれと同乗。道は再び山間に入り、山を抜けると町があって中心部に一本別れ道があるからワンパイあたりか。東に行けばすぐにメコン河で、ラオスと接するところ。

この町を過ぎると高い山は無く、丘陵地を抜ける感じになる。十字架が建って教会があるクリスチャン・アカ族の大きな村を通る。平坦地になったところで、町があるからモンホープンか。ほとんどタイの雰囲気。ここからは、道路沿いの視界に民家が途切れることなく、左手にタチレークの空港を過ぎ、町に入る。ここで午後5時で、町の中は車が多く(タイの車も走っている)、少し焦る。

国境の橋の脇まで行って車を止め、ミャンマー側イミグレーションオフィスに運転手と一緒に出頭。もう帰り支度をしていたが、係官は好意的で、運転手にもう一通パスポートコピーを撮ってくるように指示し、出国スタンプを押す係りの人間が帰ろうとするのを呼び止めて待たせる。

 

 

ターキレックの町                                                        メーサイ

 

無事、時間ぎりぎりに細い川にかかる橋を渡ってタイ側、メーサイに入国。タイのイミグレーションの係官が、こんな時間ぎりぎりに来るなと軽く文句を言う。チェンライまで行きたいがと尋ねると、バスは終わっているから、フォントンホテルに言えば車を手配してくれるとのこと。ここで、手元の現金は50人民元と200バーツだけ(両方合わせて日本円で1300円ぐらい)だが、タイの各銀行の支店が通りに並んでいてATMから現金が引き出せる。

教えられたホテルで、「チェンライまでの車があるか」と訊くと、700バーツで行くやつが居ると言うのでOKする。やって来たのは、ホンダのCVRの新車に乗った若い兄ちゃん、小遣い稼ぎらしい。道路沿いのバンコク銀行のATMで現金を引き出し、一路チェンライへ。一時間で到着。ミャンマーとは別世界の感がある。

 

428日、午前中、軽くチェンライ観光。ワットプラケオとワットシンの二つの寺院を見てから、店を開けていたエージェントで午後のバンコク行きのチケットが発券できるか尋ねる(日曜日なので、直接空港に行くつもりだった)。OKで、チケットを持って来るから15分ほど待ってくれと言う。その間、店の経営者と話すと、チェンライ発でチェントゥン、モンラー、ツェンフン(景洪)を経由し、ラオスを抜けて戻って来る外人観光客向けのツアーを考えているとのこと。タイから小奇麗なバスで回れれば面白いと思う。

今でも、チェンマイから飛行機でツェンフン(景洪)に飛んでラオス経由でチェンコーン(チェンライから近いメコン河沿いのタイの町)に戻るのと、ラオスをルアンパバーンからヴィエンチャンにまで行って、ノンカイ(ヴィエンチャンからメコン河にかかる橋を渡ったタイ側の町)に戻るツアーは有ると言う。

 

午後、バンコク着。伝統マッサージに直行、連休で日本人観光客が多く、少し待たされる。

 

 

 

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