40歳台で始めるダイヴィング
− 学生さんにマケテはいられない − 2001年9月 タオ島
タオ島に出かける事になったのは、付き合いだった。タイ南部、サムイ島の北、シャム湾の小さな島である。

手前コ・タオ、奥にコ・パーンガン、コ・サムイと並ぶ。(スラータニからバンコクへの機上より)
これまでダイヴィングを試みた事はなかった。モルディヴもプーケットも、今年の2月にバリ島の東部に行った時も、全てシュノーケリングまでで押し通して来た。どうもあの機械を背負って行く姿が、たいそうに思えたからである。
今回ついにダイヴィングにチャレンジすることに決めたのは、タオ島には他に楽しみがないのと、日本人インストラクターのダイヴショップが若い人たちを集めて大変な人気だと聞いたからだ。バックパッカーがダイヴィングすると聞いて、これはお気軽なノリでも良いのだなと惹かれるものがあった。私的なことながら、昔から体育会のノリはきついし、変に「道」につながる日本的な心性も落ち着かないもので。
行きは、9月3日の夜バンコク空港近くのホテルに1泊、4日朝からバンコクエアーでサムイ島まで飛行機という大名アクセスで、午前9時前にはもうサムイ島に着いてしまった。

サムイ空港に着いたバンコクエアー
迎えの車(ダイヴショップの手配)でサムイ島の船着場へ移動。移動は30分弱、スラータニからのフェリーも入る桟橋に着く。今日はエクスプレス・ボートで、11時発と言われしばし辺りを散策。

サムイ島桟橋。大きい船はスラータニからのフェリー、手前がスピードボート。
船は1時間半程で、途中のパーンガン島へ。ちょうど満月のすぐ後でパーンガンの桟橋はフルムーンパーティー帰りなのか、難民状態のバックパッカーで溢れていた。この連中はサムイ方向に乗ろうとしていたが。

パーンガン島桟橋
更に1時間半ばかり走るとタオ島が見えてくる。船が着くのは島の西側、メーハート地区である。モンスーンの影響で、島の東側には村が無い。

前方にタオ島
この島は1930年代は政治犯の流刑場所に使われたが、1940年代に特赦で政治犯が釈放されると無人島になる。1947年ふたりの開拓民によって現在の町のもとが築かれるが、それでも80年代に初めてバックパッカーが訪れてから外の世界に知られるようになり、90年代に入ってダイヴィングショップが開かれると多くの人々がやってくるようになった。

タオ島、船が着くメーハート地区。左奥の青い船がある辺りがダイヴボートの桟橋。
着いたら午後の3時過ぎ。ダイヴショップのスタッフ(ちょっと中田ヒデにも似たR介君、重い荷物を持ってくれます。)に迎えられて、早速港にあるショップの事務所でプランの確認。小生、「初めてオープンウォターやってみます」と言うと、「じゃあ今から学科やりましょう」。エッ、まあ他に何かすることもない島だから、とりあえずホテル(タオ島で一番贅沢なホテル=エアコンが付いている)にチェックインして、すぐ事務所に戻ってきますという段取りになった。
なにしろこのシーズン、学生さんがいっぱいで毎日10人ぐらいオープンウォターコースに入る!そうで、溜まると大変なのと、おそらく小生の高齢を考えての個人指導扱いになったようである。本人は肉体年齢38歳ぐらいのつもりなのだが。講師はKさん、ちょっとバブルな生活も経験したあとでの、若き日の夢を実現するインストラクター転職人生である。なにしろ小生の年齢を考慮してか、懇切丁寧な大人の指導です。しかし、私は学科は得意なのである。とは言え、事務所が6時に閉まり、ホテルのロビーに移動しての学科教習も、自家発電の暗い明かりではついにギヴアップ。ともかく、明日実技を始めるところまでは進んだから、残りの学科は明日の実技の合間にということになりました。

これが島のメインストリート。坂を上がって、右手に丘を抜けるとチャロック・バーン・カオ地区。
翌朝、ダイヴショップのメインオフィスがある島の南側、チャロック・バーン・カオでプール講習です。初めて装備を着けましたが、思ったよりわずらわしいものではない。ポイントは呼吸の仕方(常にゆっくりと呼吸し続ける)が、シュノーケルとかの癖で息を止めたくなってしまうところ注意です。こともなくプール実習クリア。
昼飯は、午前中のダイヴ組が戻ってくる前に、ダイヴショップ・ブッダヴューのレストランで50バーツの定食。ここは学生さんが50人ぐらい泊まっていて、毎晩がコンパ状態という大盛況なのである。

ブッダヴューの浜辺。名前の由来は、画面中央、岬の先の岩が仏の坐像に見えるから。この湾は水深1メートル程度の遠浅。
そして午後は、1時前にトラック3台の荷台に乗り込んでダイヴボートの桟橋へ向かう。なんと9割がたは学生さんなのである。

桟橋に繋がれたダイヴボート。
船一艘、全部ブッダヴューのダイヴァー。これは異様なことなので、よそのダイヴショップは5、6人がせいぜいなのに、なんとブッダヴューだけ40人から50人の勢力。にぎやかな船上はほとんどコンパのノリである。私は高齢者特別個人指導のKさんアテンドですが、10人ぐらいの学生さんを相手にするオープンウォターのインストラクター、バックパッカー出身、Y姐さんなど、まるで幼稚園の先生です。

ダイヴボート船上
午後、ダイヴ実技2本。初めて潜った海は、桟橋から30分ばかり船を走らせ、島の北側に廻り込んだところのマンゴベイ。水深10メートル程で、フラットな砂地。耳抜きはシュノーケルでもできているから、別に特に難しいことはなく、「水深10メートルでもそうたいしたことはないなぁ」という感覚。忘れがちなのは、息を常にゆっくりとし続けること。あと、大事なのは中性浮力が取れているか。ばたばた動かなくても、水中で一定深度を保って静止できるかがポイントである。ダイヴィングは競泳のように泳ぐことより、むだな運動を減らして一定の呼吸を維持するのが大事なだけに、ワシのように肉体年齢38歳なら楽勝である。
一本目、40分ほど潜って浮上。5メートル附近での安全停止は、ロープを持っていないと浮き上がり気味になるが。
船上で、ボンベを付け替えてから休憩。パイナップルとかスイカとかが用意されていて美味い。紅茶は、コンデンスミルクを思いっきり入れて飲むのがアジア風である。学生さんとお話なんかして水面休息1時間。しかし、女の子が3割ぐらいで、どうみても男の子よりはシッカリしてる。自立心があるというか、どうも男の子は群れたがるようで、情けない。
二本目、同じくマンゴベイで35分。インストラクターのKさんがいろいろ魚を指してくれるのだが、私は感激が薄い人で申し訳ない。これはログブックを付けるのに重要なのだが。かくして、あっけなく初めてのダイヴィング2本終了。島に着いてから未だ24時間である。
桟橋に戻って、ログブック付けして、学科試験。これは得意である。今まで試験で落ちたのは、大学入試の何校かだけで、運転免許の学科も旅行業取扱主任者国家資格も楽勝である。従って、100点しかないつもりが、50問中4つも間違えて92点では本人としては不覚である。うーん、「2つは問題原文の米語から訳した日本語がよーないからや!」

タオ島、部屋のヴェランダからの眺め。正面の小さな島は砂州の綺麗なナンユァン島。シュノーケルポイントで、その周りにダイヴィングスポット。
晩飯はホテルの近くの村の食堂で。これは大正解。タイのなかでも美味いほうにランク付けで、水も食材も陸地から持ち込まなければならないタオ島では、素晴らしいできである。
翌朝、桟橋の横のコーヒーハウスでコンデンスミルクたっぷりのコーヒーとドーナツ風の揚げ物で朝食。朝、本土からの食糧や生活用品を積んだ船が入って、商人と船長らしいオッサン連中がコーヒーを飲みながら、札束を出して船荷の支払いをしている。

桟橋の横の小屋に集まった船主たち。
ダイヴィング2日目の朝は、8時から船を出して、島の南側シャークアイランドへ。シャークと言っても、鮫がいるのではなく、やや大きめの岩が鮫の背びれに似ているからついた名前。3本目はやや深く潜って、18メートル。これはシュノーケルでは味わえない世界。確かに魚の種類とか、風景が違って、ダイヴィングの威力を感じる。うっかりしていると攻撃されるゴマモンガラにも遭遇。

島の南端。画面中央の岩がブッダ坐像に見える。
水面休息1時間で、その間に船は10分ばかり移動してアオ・レークの湾に。ここは最大深度13メートルほどの砂地。オープンウォター最後の実技でマスク脱着をやって、無事コース修了。なんとここまで、約44時間でオープンウォター資格取得です。これで、世界中バディがいればどこでもダイヴィングが楽しめるわけです。ここまでの感想は、「ドン臭い学生さんよりはワシのほうが上手やろ」。ちなみにオープンウォターの講習費用は、日本円で2万円ぐらい。お薦めです。

バンガロー
あっけなくオープンウォターを修了したので、次の二日間で、アドヴァンスド・オープンウォター(マルチ、PPB、ナイト、ディープ、ナヴィの5本)までやってしまいました。更に、タオ島の最終日の9月9日は、午前2本、午後2本のファンダイヴで、結局6泊して毎日2本は海に入り、トータル13ダイヴしてしまったのであります。
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