2002年9月西双版納景洪旅行記 2
9月20日
朝から450元(約6750円)の約束で孟海(モンハイ)、孟混(モンフン)経由、中緬国境の打洛(タールー)まで往復することにする。途中に在った「千年茶樹王」なる樹に寄ろうとしたら、「それは枯れた。没有了」。後で地図を見ると、孟海の先を孟遮(モンツェー)まで進み、山に入ると巴達(パータ)という辺りに「野生型茶樹王」と言うのが在るが、それだけで一日はかかる。

景洪周辺地図
景洪を西に向かい、流沙河に沿って走る。この辺り川砂の採取場が多い。10キロばかり進むと、山が迫り瀾滄江河岸の景洪盆地に向かって流沙河が瀑布状に落ちかかる地点。水力発電所が在り、そこからは流沙河に沿う高原平野の風景に変わる。水田が多いが、場所によって青田から刈り入れ中の田まで在り、各種の米を植えている様子。他には茶畑、かなり傾斜の急な場所で摘み取りをしている泰族を見る。このあたり、特に民族による作物の区分けは見えない。

流沙河瀑布 高原平野 田圃の奥に村(布朗族?)

泰族 刈り入れ 泰族村 泰族 茶摘
回教泰族村の看板があり、確かに集落の中にモスクの屋根が見える。少し走ると道路わきに、温泉入浴二元の表示も。
孟海の町に入るとここにもモスクが在り、道端の米麺小吃店の壁にはメッカのカーバ神殿の掛け物、米麺の具は羊肉の佃煮みたいなもの。店番の娘の顔付きや米麺に香菜を載せるところなど、泰族である。漢人の回ではない。

孟海 中央奥にモスク 回教小吃店 米麺

孟海郊外 農作業 孟海郊外 水牛
孟海を過ぎて南下すると孟混。ここは日曜日が大市場日で、周辺から山地民等多くの人を集めるとのことだが、生憎金曜日である。とは言え、市場を散策。観光客狎れしているのか、アカ族のおばはんは小物を売りに寄って来る。この辺りの衣装には、短めのシン(腰巻)の下に色染めのタイツを穿いた格好があり斬新な感覚。日本の農村の脚絆姿にも似ている。

孟混 山地民 市場周辺

市場周辺 孟混市場 孟混市場

孟混市場 タイツ 孟混市場 孟混市場
孟混の郊外に寺院が在り、覗く。まずまず手入れされていて、ちょうど通りかかった僧が手に経典らしい文書を持っているので話しかけると、タイ王国のタイ語で話がわかった。お堂に招き入れ、英語のパンフレットが有るからと見せられたのは、なんと4月にシャン州のチェントゥンから訪れた中緬国境特別区モンラー(孟拉)の案内書である。僧が開いた頁には国境のモンラー側に聳える仏塔(大金塔、4月にその上から打洛の町を望んだ)が載っており、「この先にこんな立派な仏塔がある」とおっしゃる。が、その横にはしっかり、東部墠邦第四特別区モンラーの首領ウ・サイリン(林明賢)とミャンマー国家平和発展評議会SPDCのキン・ニュンが並んで拝礼している写真。更に頁を捲ると、芥子撲滅博物館やその他モンラーの観光施設の案内があるではないか。
僧が手にしていた文書を見せてもらうとタム文字の手書きのようで、「ナーモ、タッサー」というやつかと尋ねると、「そうそう、ここのところが」と開いて指し示して戴いた。
綺麗な堂内の様子とあの案内書から、ここら辺りまで林明賢のお布施が届くのではなかろうか。何しろ国境から50キロ、モンラーから景洪に向かう幹線道路で最初の大きな町である。或いは、4月にモンラーで見たホテルやカジノの従業員はここらの住民であったか。

孟混郊外 孟混郊外寺院 寺院の小坊主

寺院本堂 モンラー案内書 タム文字経文
孟混を出て10キロほどは水田が広がる高原平地が続くが、その先で高原が切れて谷間が開ける。数百メートル下った河谷地に集落が遠望される。道を下ると狭い谷筋の斜面に阿克族や布朗族の村落がある。渓流地の少しの隙間や斜面には棚田など。

谷を望む 阿克族村耕地 阿克族村

渓流地の水田 前方山上に布朗族村 棚田
やや谷が広くなりかけたところで、大きめの村落があり泰族村。通過する時スピーカーからタイ王国のお寺の催し物に似た音が流れていた。その先に大き目のゴム林があり、それを抜けると小ぢんまり纏まった村落が愛尼族の村。標識に曼芽(マンヤ)とある。そこから緩い傾斜で土地が広がると打洛に至る。

ゴム林 愛尼族村 曼芽標識
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