チェンマイの近くの村に泊まる

 

200212月末、チェンマイ市内のホテルはどこも混んでいた。日本から来た友人はその知り合いのタイ人と、インタノン山のキャンプ場に行く予定だと言う。私は寒いのが嫌いである。何とか市内で宿を見つけるからと友人を送り出そうとすると、迎えに来たタイ人の女の子は「じゃあうちに泊まればいい。ちょっとタイ語できるでしょう?」

チェンマイから南に30キロばかり、サンパトンの近くの村で「両親の家でもおばあちゃんの家でも部屋はいっぱいあるから」とのご招待である。いくらタイのホスピタリティとはいえ、それは申し訳ないからと遠慮すると、「とにかくうちまで来てお昼を食べましょう。用意してありますから」と村まで出かけた。女の子の彼氏というのが運転するジープを追って走ること約40分、道は国道を離れ農村地帯に入り込む。水田に混じって、大きく枝をはったこんもりとした果樹が多い。あとで聞くと全部ラムヤイ(龍眼)だとのこと。

 

        

                                                                                               村の道路

 

家に着くと、数種類の料理を載せた丸いお膳が出てくる。本物のカントークである。プラスチックの米びつの中には蒸したもち米が薄い布に包まれていて、手で適当な量のもち米をつかみ丸めるようにかまえて、お膳の上の料理と一緒につまんで食べる。野菜炒めやタイカレー、この地方の定番の豚の皮の揚げ物に数種類のディップである。

 

          

お膳に載った料理                                                                      古い家

 

ところでこの村の人は何処の人と尋ねると、ラーチャパット日本語科を出た女の子は周りに訊きだす。家人の答えは「タイ・クーン」。この一言でにわかに、厚かましくこの村に泊めてもらうことにした。ここ一年、妙な縁からビルマ(現ミャンマー)シャン州のタイ(Tai)族について調べているが、タイ・クーンとはチェントゥン(Kengtung)のタイ族である。昨年四月にはメーサイから北に約130キロのチェントゥンを訪れてもいる。家人の話では、この附近の村はタイ・クーンで、国道に近いあたりはタイ・ヨーンとのこと。タイ・ヨーンはビルマ(現ミャンマー)領内でもラオス国境に近いモン・ヨーンからの移住者である。以前からチェンマイ周辺には、18世紀末にビルマ支配からの再独立を果たしたチェンマイ王国のカヴィラ王の時代に、現在の中国のシプソンパンナーやラオスのルアンパバーン地域、それにビルマ(現ミャンマー)のシャン州などから移住したタイ族がいるとは聞いていたが、まさにその村に入り込んでいたわけだ。

 

とは言え、友人たちがインタノンへ向けて出発したあとには、チェンマイ語(タイ王国北部方言。チェントゥン、シプソンパンナー、ルアンパバーン地域と元は同じ)だけの世界にたった一人で放り出された。なかなかスリルである。この家のお父さんが普段は家の中にしまってあるピカピカのオートバイを出して来て、村を案内してもらえることになった。村であるからまずは中心とも言えるワット(お寺)に連れて行ってもらう。名前はワット・S、この村もS村と言う。

お寺に隣り合って学校があり、その校庭には村の男達が十数人座り込んで、80メートルばかり離れた校庭の端に据えられた不思議な形の太鼓のセッティングを眺めている。男たちの前方には折りたたみ椅子にどっかりと座って時おり太鼓に指示を出す何かこわそうな僧侶。昔は二頭立ての牛で牽いたと見える台車の上に、直径一メートル、胴部の長さ二メートルばかりの太鼓が据えられ、その太鼓の一方の先には更に一メートルはある木製の大砲のようなものが付いている。どうやら反響装置で、太鼓の音を一方向に遠く響かせる仕掛けに思える。こわい僧侶(おそらくこの村で一番尊敬されるべき存在)が合図すると、小坊主が必死の形相で太鼓を叩く。太鼓の筒先の正面、約80メートル付近の椅子に座ってじっと聴いていた僧は、短く何やら指示を出す。

 

             

村のお寺                                                                                    調整中の太鼓

 

       

村の人々                                                                                    学校では踊りの練習

 

僧侶の指示で太鼓の張りや、太鼓の打面に貼り付けてある黒い塊(もち米を練ったもの)の量を変えたりしている。村人の輪に入って、何とかあやしいタイ語で理解するところ、明日は太鼓の競技会で、この村の太鼓はラーンナー全体で一、二を争うものらしい。そう言われればよその村でも調整に余念がないのか、夕暮れの景色のなかで遠くにいくつか太鼓の響きがある。

 

夜、今は独立して別に家を持っているこの家の息子がやってきて、何とか話をしようとするがなかなからちがあかない。小生の不確かなタイ語VSチェンマイ語である。『ボッ・フー(マイ・ルー)知らない』と『ボ・ペン・ニャン(マイ・ペン・ライ)気にしない』は良くわかるようになった。「ちょっと待ってろ」と出て行って、村で英語を話す人間を連れてきた。三十半ばで、若いときは森林局でメーホンソン県の森林監視所などにいたが数年前に村に戻って来て、今はラムヤイの畑を四ライ持っているとのこと。どうやらラムヤイはいい値段になるらしく自慢げである。一年一作が基本で、最近は農薬を使って二作する畑もあるが、それは邪道らしい。香港あたりだとライチーのほうが値段が高いがと水を向けると、このあたりでライチーを作ると酸っぱくて良くないという返事。

話は村のことになって、人の出入りや通婚圏を尋ねると、タイの他地域どころか村にはアメリカ人二人にドイツ人一人が村の娘と一緒になって棲んでいるそうである。ドイツ人は年に三ヶ月ほど国に帰ってお金を持ってくるパターンで、畑まで持っていると言う。確かに翌朝、村を散歩すると子供と遊ぶアメリカ人の家があった。

 

元森林局員の彼には先妻との間に生まれた子供が居るそうだ。先妻はメーホンソンにいたとき知り合ったタイ・ヤイ(シャン)で、綺麗だったと自慢する。森林局だから山地民の焼畑問題について尋ねると、やはり一定区域を割り当てても数年で移動するから破壊が進むばかりと見ている。焼畑の生態に則した対策はあまり考えられていないようである。ところで、ビルマ(現ミャンマー)のエスニック問題からタイ領内に入って来る人たちがいるけれど、タイにはまだまだ土地があるのだから受け容れてもいいのじゃないかと言うと、これにはかなり強い調子で反論した。彼の論理は、「ビルマは永年の敵である。なんで戦いを繰り返してタイが手にした土地を、敵に分けてやる必要があるんだ」である。どうもシャンでもカレンでも、ビルマ側にいる人間即ちパマー(ビルマ人)らしい。

 

        

実をつけたラムヤイ                                                                   村の家

 

農村の朝は早い。まだ暗いのに人の動きがある。時計を見ると六時前、もうひと寝入りと思うが昨晩は十時から床に付いている。少し明るくなったので起き出すと、この家のお母さんは「お父さんは畑に行ってるから」と集落のはずれまで案内する。そこはラムヤイ園の端で、鶏小屋や自家消費用の菜園がある。小屋から出た鶏が餌を食べているところだった。菜園には調理用の香草類がひと通り揃っている。ラムヤイ園を歩くと、二十年は経つというかなりの巨木で、竹を使った枝支えがしてあり、古い枝を払う作業が行なわれている。手押しのポンプがあって試してみると、呼び水をすれば水が揚がってきた。ただし、その水は数メートル地下の汚い水で、今は百メートルほど掘った井戸からポンプで揚げて使っているそうだ。水が必要な季節には、地下水でラムヤイ園全体に水を張るようである。

 

        

                                                                                               菜園

 

        

ラムヤイ園                                                                                

 

午後、太鼓の競技会を見に行く。国道の反対側のお寺には、近隣の村から台車に載った太鼓が集まっている。境内には露店や飲食屋台が並んで縁日風、お寺では伝統楽器の演奏がある。競技の方法は四台、四つの村が横一列に太鼓を審査員席に向けて並べ、約80メートル離れた審査員席の指示で太鼓を打ち鳴らす。基本は一台ごとに、ゆっくり打つのと三連打とを順におこない、最後に全部で乱打する。一回だけ太鼓の並ぶ位置を換え、同じ打ち方を繰り返して得点をつける。上位二台が予選通過で、これを繰り返して勝者を決めるシステム。だが、この音の違いというのが突然聞いただけではわからない。それに同じ太鼓でも、ゆっくり打ったときと連打したときでは音色が違う。太鼓の形状からして、古くは伝達用に遠くまで明瞭に音を飛ばす目的があったのだろうと想像するが、しろうとにはどれも似たように聞こえてしまう。審査員席の多くは僧侶で、各太鼓に細かな点を付けている。さて、S村の太鼓であるが、あえなく予選敗退。村の人間いわく「太鼓は調整が難しいんだ」。あとは、競技が進む中で屋台のビールなど飲んでなごやかに観戦。

 

             

会場のお寺                                                                                 太鼓の移動

 

             

一列に並んだ太鼓                                                                      奥のテントが審査員席

 

もう一晩泊めてもらって、翌朝、村のお寺を見に行くと太鼓は仕舞われ、お寺の奥では新しい水浴び場の壁塗り工事が進んでいる。セメントを塗っているのは昨日太鼓を動かしていた村人たちで、その横ではあのこわそうな僧侶(実は泊めてもらった家のお母さんの兄弟なんだそうである)が、今朝はちょっと気楽な感じで壁塗り作業を監督している。お声をかけると、もち米を膨らませたお菓子などすすめられた。ここで村人に訊いてもはっきりしなかった質問をしてみた。この村のタイ・クーンはいつごろここに来たか?である。「二百年ぐらい前」と、予想の範囲の返事であった。「今はビルマ(現ミャンマー)とのつながりはほとんどない」とのことである。この質問、若い世代は自分の村がタイ・クーンだと言うのもおぼろげで、少し年長者でも何時、何処からこのあたりに来たかはあやふやで、まあそれだけみんなタイ王国人になっているということだろう。

 

        

村人と僧                                                                                    苗田

 

村には二泊させてもらったが、村を歩くと伝統的な高床の家屋が残る。この地域の伝統家屋は階段が二箇所ついていて、ひとつは居間に上がり、もうひとつは露台の洗い場に上がるから、玄関と勝手口という感じらしい。ラムヤイ園の間に残る水田では刈り入れが終わり、片隅では二作目の苗田が依りしろらしい木を囲んで緑の茎を伸ばしている。夜、若い世代と話した時、冗談半分に、村に空家があったらひと月ぐらい都会人を住まわせて、村の約束に従って農作業も含めた生活を送るというエコ・ツーリズムでもやってみたらと言ってみたが、結構いけそうな感じがする。

お寺では、壁塗りの一人に代わって、セメント塗りをやらせてもらった。水浴び場とはいえ、お寺の一部であるから多少の積徳(タンブン)になったと信じている。

 

 

 

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