チェンラーイ、パヤオ、チェンマイ マンラーイ王とパヤオの盟約
チェンラーイの町に入ると日は暮れていた。中心部を二回ばかりまわって、旅社の看板のわりには四階建ての校舎みたいなホテルに入る。訊くと一泊220バーツ(約660円)。やっぱり校舎のような造りの階段を三階まで上がり、寮の個室のような部屋に入ると、備え付けのホーロー製タン壺がいかにも中国風である。トイレとシャワーは各室にあり、すり減ったゴム草履が備えてあるのも良い。昨年四月は中緬国境モンラーの町からチェントゥンを通って一気にチェンラーイまで三台の車を乗り継いで、市内では一番かというホテルに一泊1300バーツで泊まり、近代世界の快適さに感激したものだが、この大旅社もまた違った味わいがある。
チェンラーイの町にもナイトバザールがあり、踊りの舞台もあって、チェンマイと似た趣向だが、同じことをやっては町の規模も小さいだけに、もうひと工夫欲しいところである。
朝、通りの店で食事をし、ドイ・トーンの丘に登る。マンラーイ王が象に乗ってこの丘に登り、周りの地形を眺めてチェンラーイの町を造ることにしたとされる。きっとそれは午後だったような気がしてならない。この地域の朝の光は水分が多いのか山には霧がかかり、平野は眩しくて見通しが悪い。午後になると陽射しの下で景色がはっきりし、青い空の下、山の稜線と、平野の拡がり、川の流れが見やすい。特に朝のこの時間、町がある方向を見ると逆光で影になる。何はともあれ、この丘の高みにはチェンラーイ市の臍(Tai族的感覚で、町にも人間の身体と同じように頭や脚があると考え、臍はその中心)とされる空間があり、近年整備されたらしいややヒンドゥー的な世界観のモニュメントが造られている。

チェンラーイの旅社 ドイトーンのモニュメント
チェンラーイを出て国道1号を、時速140キロほどでパヤオに向かう。その先ランパーンからバンコクにまで繋がるこの道路は、「寔に立派な舗装路であり、自動車は如何なる快速力も欲する儘」という70年近く前の記述どおりである。
パヤオに至って町に入ると、大きな湖がある。湖岸の道を行くと、ラーンナーのマンラーイ王とスコータイのラーマカムヘン王の友達だったパヤオのガムムアン王の銅像が湖に向かって立っている。この三人、互いの血を啜って堅い盟約を結ぶのだが、その場所はこのパヤオの湖のほとりである。誠に麗しい男の誓いではあるが、正直言っていまいち動機がよくわからなかった。明確な敵があって一緒に闘いましょうでもないし、お互いの領土は尊重しましょうでは何か良い子のお約束みたいで、血盟などたいそうな事をすればそれで領土を護れると考えたのなら権力者の資質としては疑わしい。これを伝えるチェンマイ年代記のくだりを読んで、非常に納得した。ことの起こりは女である。
時期はマンラーイ王がチェンマイを創建する前、まだチェンラーイを本拠にしたころの話。スコータイのルアン(ラーマカムヘン)王はしばしばメコン河で髪を洗うため、パヤオの土地を通ったそうである。本当にシャンプーをしに行ったわけではなく、何らかの儀礼的意味(ソンクランなど)があるのは理解できる。ついでに、スコータイのTai族はメコン流域からメーイン川水系をたどってスコータイに入ったらしいことも窺える。さて、パヤオのガムムアン王の妃でウア・チェンセーンというのがいた。もちろん当時のことであるから大勢いた妃のひとりだろうが、美貌を誇ったそうである。このタイプの常で、料理の好みの違い(ビーフシチューが汁っぽいと指摘された)から「ガムムアンはワタシのことを大切だとは思っていないのね」と、いつもパヤオを通る格好いいルアン王とお友達になる。これは面子にかかわるので、ガムムアンはルアンを捕まえるが、以前からこの二人は友達だし、事を荒立ててスコータイを敵にはしたくない。さてどうしたものかと困ったところで、マンラーイの登場である。
チェンラーイからパヤオにやって来たマンラーイは、この二人の争いを金で済ますことにし、その金額まで決めてしまう。「9ルン9ルアン子安貝」というのがどれくらいかはわからないが、寧ろ儀礼的で象徴的な数字であるようだ。何はともあれ、どちらの面子も救った見事な決着。ガムムアンにすればスコータイと事を構えたくないし(その前にはマンラーイと戦争になりかけ、チェンラーイ付近の村を譲って友好関係を維持している。勢いのあるマンラーイとルアンに挟まれた小国の苦悩がにじむ話)、ルアンにすればこれぐらいのこと(ウア・チェンセーンが押しかけて来た)で命まで取られたりしたら今やアユタヤどころか南のナコンシータマラートまでその名を知られる我が身が情けない。実に有り難く気の利いたマンラーイの決着で、ここに三人は堅い友情を誓うのである。
この話、男の感覚からいうととても良くわかる気がする。その後、マンラーイはハリプンチャイ(ランプン)を滅ぼしてメーピン川水系を手に入れ、新しい都ノッブリ・シー・ピンチャイ(第九の都にして栄えあるピンの勝利)を造るにあたって、堅い友情で結ばれた二人を建設予定地に招いてあれこれ相談している。チェンマイ創建のことである。

パヤオの湖を行く舟、手前に生簀 湖畔
湖畔の道を進むと、湖には緑の浮き草があちこちに群れを作り、その中を漕ぐ舟も見える。湖を望む立派な二階建ての木造別荘建築があるが、空家の様子。ラーマV世の別荘だったという説も聞いた。湖に張り出した小屋があり数人の住民、遊覧船でも出すのかと見に行くと、小さな生簀がまわりにあって魚を養殖している。

浮き草 湖を望むヴィッラ
パヤオから西に山を越えると、チェンラーイからチェンマイを結ぶ国道118号に出る。チェンマイ方向に走ると道端に温泉があり、食堂と土産物屋が並んで路線バスも立ち寄るドライヴイン風になっている。温泉は小さな川のほとりに湧き出していて、温泉卵はできるがプールとか入浴施設はない。
クイティオ(麺)を食べた店に、立派な壺とか、ケース棚に陳列された陶器類がある。尋ねると店の主人はスコータイの出身で、陶器類はほとんど最近の焼き物。昔は陶器を扱ったことがあるらしく、「時代物と言われていても本物はなかなか無い。美術館に展示してあっても結構贋作」ということだ。
山を抜けるとドイサケット、三人の王がシティープランを練ったチェンマイは近い。
|
|