チェンマイの北、ここは桃源郷か?
その村に入り込んだのは、チェンマイ県の国境、ヴィアンヘンを目指すつもりで間違ったからだ。チェンマイを出て北に約70キロ、チェンダオの町から左に山に入ってヴィアンヘンに向かうはずだった。チェンダオの町中に「チェンダオ洞窟、こっち」の看板。地図を見るとその道で山を抜けられそうである。行きがけに洞窟とやらも覗いてやろうと、数キロ走ったところで車を止める。
古色ただよう仏塔があり、背後に迫った花崗岩質の山塊に洞窟入口。このあたり、雰囲気は蒼然として悪くない。入洞料を払い電灯がともった洞窟を少し入ると、案内人が居て「ガスランプ代を出せば標準コース以外の奥をガイド付きで周れる」という。見たところ世界中によくある石灰岩洞窟だし、私は洞窟オタクでもないので、仏像などが置かれた標準コースをさっと見て切りあげる。

チェンダオ附近 チェンダオ洞窟の寺院にて
お寺の前の店でクイティオ(麺)を食べながら、この道をずっと行ったらヴィアンヘンに着くか尋ねると、普通は街道に戻って少し先の立派な道を行くけど「行けないわけではない」との返事。先に進むと、谷あいの村には不似合いな大きな屋敷が在ったりする。さっきの店で、台湾人かと訊かれ、台湾人ならどうたらこうたらと言っていたから、中国系の金持ちがいるのか?
数キロ走ると谷が狭くなって、綺麗なお寺の入口で道が切れた。タイ語の立派な看板があり、駐車スペースの横には仏塔も。しかし、整備されている割には人気がなく、入口の脇の売店には山菜を売る婦人、門内の立派な倉庫の前でペンキ塗りをしている小坊主が二人、森閑とした風景である。よくわからないが、なにやらどことなく「ありがたそうな」雰囲気も漂う。門内に進むと敷地の突き当たりにまた門があり、そこから背後の山に向かって登る階段。かなり急な角度で、両側に迫った山間へと向かう。ふだんならここらで引き返すところだが、どこか日本の霊場とか言われる場所に似ている。『山までは見ざりき』というフレーズも浮かんで、一体この先になにがあるのか見てやろうという気になった。
久々に息を切らせながら最初の登りを過ぎると露台があり、階段は緩やかになって岩の間を切通しのように抜けて奥へと続く。「ありがたさ」が増す景色である。進むとやがて寺の菜園らしきものがあり、渓流の水音を聞きながらふと目線を上げると、狭い谷を挟む山に金色の仏塔が聳えている。前方の谷が行き詰まったあたりに僧坊と寺院、確かにここは高僧の修行場であったかと納得する。僧坊の並び、一段高い場所、山膚を穿つように建つ本堂らしき建物に至ると、英語の因縁書きもあって、ここが数年前に遷化されたルアン・ポー・シム大僧正晩年の修行場であったと知れた。

ルアン・ポー僧院の登り口 切通し

寄進の仏塔 僧院からの眺め
大僧正はイサーンの出身、森林修行派の流れのようで、遍歴ののちこの山に至り、晩年はこの地に留まられた。人々の崇敬を集め、バンコクの王様も心を寄せられて大僧正位を贈られ、この御堂や金色の仏塔を寄進された由である。
あたりを見渡すと高山の懐深く、振り仰げば青天に白雲を流す逆光の山塊、森閑とした静寂の中、わずかに響く渓流のせせらぎに午後の僧坊は人の声も無く、さまよわす遥かな視界の彼方には再び重層する峰峰。仏心の縁も薄き身でさえ、なにやら有り難さに包まれる空間である。
戻りながら階段の数を数えると、230段ばかり。ちゃんと数えれば227段(小乗の戒)ではないかと考えたりする。駐車場に戻るまで、人に行き会わなかった。
山菜を売る村人に道を尋ねると、このお寺に入って来る手前の分かれ道を進めば、更に奥に入って山地民の村が在るとのこと。教えられた道をたどると、森林局のチェックポイントが在る。どこまで行くつもりか訊かれ、ヴィアンヘンまで抜けられるなら抜けたいと告げると、「この車では無理だ。本格的なランドクルーザーでなければ、途中のモン・コンまでだな」。どうやら、このポイントを過ぎるときつい山道になるが、山地民の村をいくつか通って、その先のモン・コンという、名前からしてタイ族の村までは普通車でも行けるらしい。森林局のゲートは六時に閉まるが、今からならモン・コンまで行って戻って来るのは可能だろう。備え付けノートにサインして山道に入る。
果してコンクリートの舗装はあるが、一速でしか登れない山道で急激に高度を上げ、尾根筋に出る。景色は良い。少し走ると村の名を書いた看板と脇道があり、それをたどるとすぐに村がある。高床ではなく、土間式の住居の表では唐辛子らしいものを干している。住民に訊くと、ラフ族村。やや前方に傾斜した広場からその先の山を見ると、鋭角的に連なる峰の形がスイスの高原を連想させ、ここらあたりに山小屋風のホテルでもあれば面白いなどと考える。このラフ村に泊まるには山の装備が必要だが、景色は申し分ない。とは言え、自然派でない身には、つい、村には衛星TVが有るぞとか、携帯の電波は来ているなとか気付いてしまう。

山道 ラフ村から
松林の尾根道を走ると、またラフ村があり、その次に少し違った感じの地形で村の表示があった。脇道に逸れるとあずまやがあり、家族が休んでいる。訊くとカレン族で、村は道の先に在るが車では行けないとのこと。言われたとおり、その先のやや広い隙間に車を置き、歩いて進む。ところが、道は谷に向かって強い傾斜で下り始め、あたりの空気は湿ってきて、足元も水分の多い泥道になる。不安になって耳を澄ますが人の気配はない。更に10分ばかり下っても村の姿が見えず、間違ったかと引き返す。なんと、あとでカレン族研究の某女史に話したら、その道を進んで良いので、尾根筋に住むラフ族やアカ族と違い、カレン族は谷底の渓流があるあたりに村を作るのだそうである。言われて納得、道路はたいてい尾根筋を通っていて、道路の近くにあるのはラフ村とかアカ村である。『何事にも先達はあらまほしきもの』である。
道路は下りになり、一山越えた谷筋に入った様子で、渓流に沿う狭い谷間に田圃や牛の姿が現われる。集落をひとつ過ぎると、森林局のチェックポイント。ここまでが森林局の管轄範囲らしいが、こちら側はチェックなし。
数キロ進むと、遅い午後の穏やかな光に包まれる山間盆地が開けた。典型的とも見えるタイ族村で、高床住居の村落の中ほどにお寺と学校。集落を抜けると四方を山に囲まれた小盆地空間に水田が広がる。田圃の端には桃のような木も植わる。
のどかである。山塊の中央部あたりに出来た掌のような平地で、包み込む山の稜線は柔らかく、幾重にか重なる山並みが、その向こうの喧噪や憂いを遥かに遮っている気分になる。ここでは時計の針も速度を落とすかの思い。
村を歩くと、果樹に登った子供が大きなさやえんどう状の実を落とし、その下で数人が拾い集める。高床の家先では、竹を裂いて何かを編む婦人たち。見かけない人間が通り過ぎても、そう気にもかけない様子。

モン・コン 村
飲み物とお菓子を置いている店で尋ねると、ここはタイ・ムアン(チェンマイのタイ族)との答え。そう言われればそれまでだが、何か風景や空気に、もっと山に囲まれたチェントゥン(現ミャンマー、シャン州)やシプソンパンナー(現中国、雲南省)のタイ族世界を思わせるものがある。

村 村人
夕暮れの光の中、もと来た道を急ぐ。心の内に、茜が射す尾根筋の山地民空間という回廊を抜けて、俗界に戻るイメージが膨らんで行く。一速のエンジンブレーキで坂を降り、六時前に森林局のチェックポイントに到着。ノートに帰着のサインをすると、あの小盆地の存在が夢幻かとも思え、ノートを見ていると戻って来ない者も有るようだ。
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