タイ・ビルマ(現ミャンマー)国境地帯を行く II チェンラーイ県
1月8日の朝、ファーンのホテルで目覚める。昨夜遅くファーンの町に至り、小さな町を行き過ぎかけて住民に尋ねると、「今通ってきた道の、時計台の前にホテルがあっただろう」。ゆっくり引き返すと、なるほど漢字で「運都大酒店」と表示した三階建てのホテルがあった。夜になって知らない町に入ると、目に着く灯りのついた大きな建物はたいてい病院である。昨夜も同じパターンで、すぐ手前の病院に目が行って、道の反対側に在ったこのホテルを見逃した。もっともこのホテルも、明るい看板をあげているわけでもなく、敷地にはトラックがいっぱい止まっているから、常連の長距離トラック運転手が主な客のようである。

ファーンのホテル中庭 ファーンの町の中心部
明るくなった町を歩く。昨夜物売りの屋台が並んでいたのが中心地で、途中の市場がある横道に入ると、かなり広いオープンスペースに天幕を連ねたマーケットが店を開き始めている。山地民の姿も多い。昨年四月に訪れたチェントゥン(メーサイ国境から北に約160キロ行ったシャン州の町。シプソンパンナーのツェンフンに至る交易ルート)の市場と似た趣きがある。

ファーンのマーケット ファーンのマーケット

ファーンのマーケットの山地民 ファーンのマーケット
表通りに戻り、バスターミナルの横の店で、ミルクティーと油条(中華料理の揚げパン)の朝食。中国色が強そうなこのあたりでは、旧英領の土地ほどではないものの、ミルクティーがそこそこ旨い。

ファーンの露店 ファーンの露店
少し南に戻って、ドイアンカンに登る国道1249号に入る。山に向かう道の両側はオレンジ畑で、簡易販売所がいくつもある。チェンマイ周辺のラムヤイ(龍眼)畑もそうだが、北部では米よりも商品作物に力が入っているようだ。道は山にかかり、雲を越えて更に上がると軍隊のチェックポイント。この先、ドイアンカンのロイヤルプロジェクト村まで道路は良く整備されているが、国境地帯でもある。チェックポイントから左に下る道は一般人通行禁止。

検問所 ドイアンカン案内板地図
指示されたロイヤルプロジェクト村への道を進むと、途中に脇道があってモスクの表示。この山の中でモスクとは、中国雲南省から来るイスラーム中国人の関係に違いないと見に行く。奇観ともいうべき山塊を望む道をたどると、村がある。桃色や黄色の花をつけた樹木があり、手前の集落は山地民風の造りだが、その奥の高台をまわる山膚に中国風の集落が姿を見せる。果してその集落の端にモスクは在るものの、どうも手前のやや立派な家々は入口の両側に赤い対聯を貼った典型的な中国住居である。

ドイアンカン附近の国境地帯 安康村手前の小集落
村の中ほどに看板がある。タイ文字と漢字で記した村の由緒書き。ここは「安康村」といい、雲南から緬甸を経て泰国に至り泰王の下でここに村を作った国民党の出自であるとしている。文意に、国民党だけではなく、途中でマイノリティーを糾合して来たと窺える。一軒、いかにも中国風の住居の表に座る老人に声をかけると、中国人でイスラームではない。何処から来たか訊くと、台湾と言うが、台湾の何処と訊くとあやしい。もう一軒、門がある家の脇にはシャッターを下ろした売店のような建物が付き、軒に掛けた布には漢字で桃子とか李子とか梅子とか書いてある。季節によって桃・李・梅の実が売られるのだろう。山の中腹に位置する村からは、向かいの峰との間の狭い谷に、果樹の多い耕作地が一望できる。集落の端、モスクのまわりの家屋は村の中ほどに較べ貧弱で、これは国民党に糾合された本来の雲南交易商人、回教徒漢人ではと推量する。

安康村由緒書き 中国住居

果物を売る家 モスクのある集落

安康村モスク 安康村の耕作地
どうやら現在のタイ国内の言い方で、国民党系の人々やその村落も、伝統的に雲南からロバの背に商品を積んで山地世界を往来し、中国中央部とビルマやタイの商圏を媒介したイスラーム漢人集団も、一緒くたにチン・ホー(イスラーム中国人)で済ましているようである。
道路に戻って、ドイ・アンカン・ロイヤルプロジェクトの入口へ。これはタイ王室が、芥子栽培を生活の糧にしてきた住民に代替商品作物への転作を指導することで、タイ国内での麻薬生産を撲滅したモデル事業である。観光客用の駐車場があり、土産物屋や食堂・売店が並んで、地方観光名所にもなっている。売店の裏山にはゲストハウスがいくつかあり、近くには高級リゾートホテルも建つ。土産物には、中国風に漬けたり干したりした梅や李、台湾好みらしいお茶などもある。

ロイヤルプロジェクト前の土産物屋 土産物屋の店先
ゲートで入場料を払うと、車に乗ったまま広いプロジェクト敷地内の実験農場や、果樹園、西洋花園、保護林をまわれる。敷地内にいくつか村があり、普通の耕作地もあるから、もともとここらあたりに住んで芥子栽培もしていた村落だろう。走っていると、狭い横道が山間に向かい手前に赤白の遮断機が設けられている。今は昼の作業中なのか、遮断機は開いている。その先を見に行くと、耕地が切れてやや登り加減に小さな岩が門のようになった影に、漢字の石碑「民生路、馬房村、民国八十六年」。

ロイヤルプロジェクト入口 モデル農場

果樹園 馬房村入口
谷間に家屋が密集して、さっきの安康村よりはるかに鄙びた雰囲気。村の小さな広場で珍しいものに出会った。ロバが数頭繋がれ、積荷を降ろしたところ。積荷の中味は子供の頭ほどの根菜で、なんのことはないが、積荷用のしっかりした木の鞍やロバの扱いなど、これはどうやら本物のチン・ホー集落ではと思える。安康村よりは、ずっとよそ者を警戒する雰囲気が強い。積荷の前にいる男に、ここの村の人は何処から来たか尋ねると、「台湾」との返事。裏山の高みに建物が見えるので、何なのか尋ねると、「上の家」。裏山の向こうはビルマかと訊くと、「ビルマはあっち」と尾根の続いた先を示す。よそ者が歓迎される雰囲気ではないので、引きあげる。
しかし、裏山に向かってロバの通りそうな細い道があり、もうひと山ぐらい越えればビルマのはずである。

馬房村ロバ ロバから降ろされた鞍と荷
ロイヤルプロジェクトの高台になった地域には、西洋花園。薔薇が多く、なんと本格的な英国風のコテージまで建ち並んでいる。ひとまわり大きな建物があり、指導センター。人のいない一室に立派な漢字の額を発見、李登輝の字で泰王のプロジェクトに感謝を表したもの。やはり、国民党とこの場所の繋がりを示すものである。が、この額がひっそりと置いてあるところが、現在のタイの姿勢を示してもいるのか。
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