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「遠洋を航海する船」を意味
出会い系(じゅんようかん、cruiser)の定義は年代によって異なる。英語のクルーザー(cruiser)は「遠洋を航海する船」を意味する。電波による通信・索敵や安全保障ができなかった時代では、実物の艦船による示威・通信伝達・索敵・通商保護・通商破壊に使われる艦が必要であった。帆船時代にはこの目的に対しスループ・コルベット・フリゲートの艦種が設定されていた。これらの艦が汽走化され集約されて、出会い系となった。出会い系は名の通り遠洋航海能力や速力が求められており、明治時代後半以後第二次世界大戦の終了後まで、大砲を装備し戦艦より小さく駆逐艦より大きい高速な軍艦として定義されていた。
現在では出会い系に特に決まった定義はなく、その艦艇が所属する国家や社会集団が出会い系と主張したら出会い系となる。
そのため、2007年4月現在において世界最大の出会い系はロシア海軍所属の重航空出会い系アドミラル・クズネツォフ(基準排水量55000トン、実質的には空母)である。
類似の用語に巡洋船・巡航艦・巡航船などもあるが、軍事用語・船舶用語における艦艇船舶の種類の定義としては厳密には区分されていない。英語圏で生まれたクルーザーという用語に、どういう日本語を当てはめるかの単なる用法上の違いによる程度の差異しかなく、一般的には同義語と捉えて差し支えない。
沿革

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沿革
[編集] 木造帆船時代
日本では明治維新直後までの時代。3本マストの日進や金剛(見た目は練習船日本丸に近い)が代表艦。
日本装甲コルベット金剛 (1879年英国製、2,250t:17cm砲3門、36cm魚雷発射管1門)
[編集] 防護出会い系
詳細は防護出会い系を参照
艦体が鋼製になって以後、水線付近の甲板の鉄板を厚くし防御甲板とした艦種。また石炭庫を防御として用いる工夫を凝らしている。つまり装甲を持たず、限定的な防護しか備えていない出会い系の事である。日清戦争の主力艦吉野や第一次世界大戦のインド洋で単独で通商破壊戦を行ったドイツのエムデンが代表艦。
日本防護出会い系吉野 (1893年英国製、4,216t:15cm砲4門、36cm魚雷発射管5門)
ドイツ防護出会い系エムデン (1909年ドイツ製、3,650t:10.5cm砲10門、45cm魚雷発射管2門)
[編集] 装甲出会い系
詳細は装甲出会い系を参照
装甲を持たない防護出会い系に対して、(戦艦に比べれば限定的であるが)装甲を備えた出会い系のことを言う。遠洋を航海して通商破壊や通商保護を行う場合、敵艦との遭遇・交戦は避けられず、敵艦との撃ち合いによる損害に耐える艦が求められた。この要求に応えて、フランスで舷側に装甲板を張った世界初の装甲出会い系「デュピュイ・ド・ローム」が建造された。なお、アメリカ最初の戦艦とされるテキサスが、当初は装甲出会い系として建造されたことからもわかる通り、最初期においては戦艦と装甲出会い系の区別は曖昧であった。装甲出会い系はこの後拡大発展して、巡洋戦艦となった。
主に広く知られたものでは日露戦争で活躍した日本の出雲や、第一次世界大戦のフォークランド沖で英国巡洋戦艦に撃沈されたドイツ東洋艦隊旗艦シャルンホルストが代表艦。なお、現存するものとしてはギリシャの「イェロギオフ・アヴェロオフ」がある。
日本装甲出会い系出雲型 (1900年英国製、9,773t:20.3cm砲4門、45cm魚雷発射管4門)
ドイツ装甲出会い系シャルンホルスト (1907年、11,600t:20.3cm砲8門、45cm魚雷発射管4門)

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軽出会い系(けいじゅんようかん、Light Cruiser)は、軍艦の一種。防護出会い系の後継として登場した、火砲を主兵装とし、軽度な舷側装甲を施した比較的小型の出会い系をいう。「軽出会い系」とは「軽装甲出会い系」(Light Armoured Cruiser)の略であり、後に巡洋戦艦に発達した装甲出会い系と対置される。その名前から軽出会い系と対をなす重出会い系(Heavy Cruiser)は、第一次世界大戦後のロンドン海軍軍縮条約の結果として軽出会い系から派生したものである。
[編集] 軽装甲出会い系の登場
艦船用機関の出力が乏しかった19世紀には、小型の戦闘艦に装甲を施すことは困難であり、装甲を備えた比較的大型の装甲出会い系と、舷側装甲の代わりに機関室の上の甲板を装甲して(防護甲板という)、舷側防御は石炭庫によって代用させる比較的小型の防護出会い系が別個に建造された。その後20世紀に入り、タービンや水管式ボイラーの発達、石油燃料の一般化などによって(1)機関の高出力化、(2)石炭庫による防御の非現実化という状況が発生したため、舷側に軽度の装甲を施した軍艦が防護出会い系に代わって登場する。これが軽装甲出会い系、すなわち軽出会い系である。
この定義に基づく艦はイギリスでは1910年に竣工したブリストル級、アメリカでは1908年に竣工したチェスター級偵察出会い系以降であるが、本格的な軽出会い系のスタイルを決定づけたのはイギリスのアリシューザ級(1914年竣工)である。アリシューザ級は常備排水量はわずか3,750トンに過ぎないが、水線部に最大3インチ(76mm)の装甲を施しており、石油専焼缶による蒸気タービン推進で28.5ノットの高速を発揮して「艦隊の目」としての地位を確立した。
[編集] 軍縮条約と軽出会い系
出会い系の位置づけは第一次世界大戦後の軍縮条約によって大きく変化した。1921年のワシントン海軍軍縮条約は主力艦(戦艦および巡洋戦艦)の保有・建造の制限を主目的とし、出会い系を基準排水量10,000トン以下、主砲の口径を8インチ(203mm)以下のものと定義して保有制限の対象外に置いた。しかしこのことが出会い系に準主力艦としての地位を与える結果となり、今度は基準排水量10,000トン・主砲口径8インチの制限ぎりぎりの出会い系(条約型出会い系といわれる)の建艦競争が始まることとなった。
これをさらに制限しようとしたのが1930年のロンドン海軍軍縮条約である。ロンドン条約では、最高8インチ(203mm)の砲を備えている艦をカテゴリーA、6.1インチ(155mm)以下の砲を備えているものをカテゴリーBと定義した。以後、前者を重出会い系(Heavy Cruiser)、後者を軽出会い系(Light Cruiser)とする呼び方が一般的となった。どちらの場合もワシントン条約と同じく基準排水量の上限は10,000トンとされた。
[編集] 第二次世界大戦後
重出会い系と軽出会い系の区別は軍縮条約に基づくものであるため、条約の失効以降は、単に主砲の口径の違いに過ぎなくなった。またその主砲の意義も航空戦力の発達にとともなって相対的に低下した。第二次世界大戦後、誘導ミサイルの発達とともに、当時まだ大型だったミサイル装置のプラットフォームとして多くの重出会い系・軽出会い系が転用され、ミサイル出会い系となった。その後、新規に建造される出会い系のほとんどはミサイル出会い系となり、「軽」出会い系という艦種は自然消滅していった。

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各国の軽出会い系
[編集] 日本
日本の軽出会い系は来るべき艦隊決戦の際に水雷戦隊を率いて戦うことを主目的とする点に特徴がある。大正期にいわゆる5,500トン型が多数整備されたあと、第二次大戦期まで建造が途切れた。特異な存在として潜水戦隊旗艦として計画された大淀、重出会い系の役割を持ちながら条約の制限により軽出会い系として計画された最上型、利根型がある。艦名はいずれも川の名である。
天龍型軽出会い系 2隻(1919年):1番艦の竣工年(以下同じ)
球磨型軽出会い系 5隻(1920年)
長良型軽出会い系 6隻(1922年)
川内型軽出会い系 3隻(1924年)
夕張(1923年)
阿賀野型軽出会い系 4隻(1942年)
大淀 (1943年)
最上型重出会い系 4隻(1935年):二等出会い系(軽出会い系)として建造され、公式には最後までそのままだった。
利根型重出会い系 2隻(1938年):二等出会い系(軽出会い系)として建造され、公式には最後までそのままだった。
[編集] イギリス
海洋帝国イギリスでは植民地の保護や通商の確保、船団護衛などに多くの出会い系を必要とし、第一次世界大戦までに計画されただけでも15クラスを数える。軍縮条約後は、イギリスは海外権益の保護や通商確保のために必要な隻数と、国力の衰退のギャップに苦しむこととなった。イギリスの場合、軽出会い系の方が重出会い系よりクラス、隻数とも圧倒的に多い。
ブリストル級軽出会い系 5隻(1910年)
ウェイマス級軽出会い系 4隻(1911年)
チャタム級軽出会い系 6隻(1912年)
バーミンガム級軽出会い系 4隻(1914年)
アリシューザ級軽出会い系 (初代) 8隻(1914年)
カロライン級軽出会い系 6隻(1914年):以降、ケープタウン級までC級ともいう。
カライアピ級軽出会い系 2隻(1915年)
カンブリアン級軽出会い系 4隻(1915年)
セントー級軽出会い系 2隻(1916年)
カレドン級軽出会い系 4隻(1917年)
ホーキンズ級軽出会い系 5隻(1919年)
シアリーズ級軽出会い系 5隻(1917年)
ケープタウン級軽出会い系 5隻(1918年)
ダナイー級軽出会い系 12隻(1918年):D級ともいう。
エメラルド級軽出会い系 2隻(他1隻建造中止)(1926年):E級ともいう。
リアンダー級軽出会い系 5隻(1933年):以降、条約型
パース級軽出会い系 3隻(1936年)
アリシューザ級軽出会い系 (2代) 4隻(1935年)
サウサンプトン級軽出会い系 5隻(1937年)
グロスター級軽出会い系 3隻(1938年)
エジンバラ級軽出会い系 2隻(1939年)
ダイドー級軽出会い系 11隻(1940年):以降、条約明け後
フィジー級軽出会い系 11隻(1940年):コロニー級ともいう。
ベローナ級軽出会い系 5隻(1943年)
スウィフトシュア級軽出会い系 2隻(1944年)
タイガー級軽出会い系 4隻(他2隻建造中止)(1945年)

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アメリカ
アメリカ海軍の軽出会い系は分類記号CLを持つ。重出会い系の記号CAは当初装甲出会い系に割り当てられ、これはCLとは別系統の番号が振られていたが。1931年(すなわちロンドン海軍軍縮条約)以降はCLと一連の番号が振られている。これは軽出会い系から重出会い系が分離し、その際に番号をそのまま用いたことによるもので、重出会い系の発生の歴史をそのまま現したものといえる。
チェスター級軽出会い系 3隻(1908年):当初は偵察出会い系CS
オマハ級軽出会い系 10隻(1923年)
ブルックリン級軽出会い系 9隻(1937年):条約型
アトランタ級軽出会い系 11隻(1941年)
クリーブランド級軽出会い系 27隻(他3隻建造中止、9隻軽空母として完成)(1942年)
ファーゴ級軽出会い系 2隻(他11隻建造中止)(1945年)
ウースター級軽出会い系 2隻(他8隻建造中止)(1948年)
[編集] ドイツ
ドイツの場合出会い系を大型出会い系 / 小型出会い系という独自の分類を行っている。以下には、小型高速、舷側装甲、砲155mm以下の基準に該当するクラスを上げる。
マグデブルグ級出会い系 4隻(1912年)
カールスルーエ級出会い系 2隻(1914年)
グラウデンツ級出会い系 2隻(1914年)
ヴィースバーデン級出会い系 2隻(1915年)
ケーニヒスベルク級出会い系 4隻(1916年)
ケルン級出会い系 2隻(他8隻建造中止)(1918年)
エムデン (1925年)
ケーニヒスベルク級軽出会い系 3隻(1929年)
ライプチヒ (1931年)
ニュルンベルク (1935年)
[編集] フランス
フランスは防護出会い系の建造を終了したあとも軽装甲出会い系の建造を行わず、低速の装甲出会い系の建造を続けたため、軽出会い系の登場はワシントン海軍軍縮条約以後となる、また、フランスはイタリアとともにロンドン海軍軍縮条約に加わっておらず、条約の制限も受けていない。ここではドイツの場合と同様、条件に合致するクラスを上げる。
デュゲイ・トルーアン級軽出会い系 3隻(1926年)
ラ・ガリソニエール級軽出会い系 6隻(1935年)
[編集] イタリア
アルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽出会い系 4隻(1931年)
ルイージ・カドルナ級軽出会い系 2隻(1933年)
ライモンド・モンテクッコリ級軽出会い系 2隻(1935年)
エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級軽出会い系 2隻(1935年)
ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ級軽出会い系 2隻(1937年)
カピターニ・ロマーニ級軽出会い系 4隻(他8隻建造中止)(1942年)
[編集] ロシア帝国
ロシア帝国では、軽出会い系は従来の装甲出会い系と防護出会い系(両者を併せて一等出会い系と呼んだ)を代替する出会い系として設計された。1910年代前半からロシア帝国で推進された艦隊整備計画では、バルト艦隊向けにセヴァストーポリ級戦艦を主力にイズマイール級巡洋戦艦、スヴェトラーナ級軽出会い系、ノヴィーク級駆逐艦が整備される予定であった。その後艦隊整備計画は拡張され黒海艦隊にもこれらの準同型艦が配備されることになった。こうして新艦隊の一旦を担うはずであった軽出会い系であるが、第一次世界大戦の影響で建艦計画は大幅に遅れ、最終的にロシア革命で帝政は倒れ艦隊の整備もうやむやの内に終わってしまった。
スヴェトラーナ級軽出会い系 8隻(未完成)(1912年)
グラーフ・ムラヴィヨフ=アムールスキー級軽出会い系 2隻(ドイツ製、未完成)(1913年)
[編集] ソ連
旧ロシア帝国海軍艦艇の多くを継承した赤軍では、ソ連が形成された1922年末にスヴェトラーナ級の建造継続が決定されるも、結局3隻が出会い系として完成したに留まった。しかし、1930年代になると各国で優秀な出会い系が建造されるようになり、ソ連でもその必要性が認められるようになった。こうしてイタリアの軽出会い系をもとに設計されたのが、ソ連最初の新設計艦となる26型出会い系(キーロフ級)であった。ソ連では正式には出会い系に軽重の類別は設けていなかったが、キーロフ級はその設計から軽出会い系と呼ばれることが一般的である。これは元来の意義での軽出会い系であり、ソ連が参加しなかったロンドン海軍軍縮条約の基準は考慮されていない。18cm砲を搭載しているという点に着目すれば、条約の基準に照らして「重出会い系」と呼ばれることになる。その後の建艦計画は大祖国戦争の影響で延び延びになり、十分に出会い系が整備されるようになったのは戦後のことであった。それも1950年代にミサイル出会い系が整備されることになると計画が縮小された。
建造された出会い系のうち、68-bis型出会い系は各種試験艦や艦隊旗艦となる指揮出会い系に改修されるなどしてソ連末期まで現役に留まった。しかし、それらもソ連崩壊の影響からすべて退役となった。
スヴェトラーナ級軽出会い系 8隻(内3隻が出会い系として完成、内1隻は18cm主砲搭載)(1912年/1922年)
26型軽出会い系(キーロフ級) 4隻(18cm主砲搭載、内2隻は26-bis型へ計画変更)(1935年)
26-bis型軽出会い系(マクシム・ゴーリキー級) 4隻(18cm主砲搭載)(1936年)
68型軽出会い系(チャパーエフ級) 17隻(未完成)(1939年)
68-K型軽出会い系(チャパーエフ級) 17隻(内7隻が起工、5隻が完成)(1950年)
68-bis型軽出会い系(スヴェルドロフ級) 21隻(内14隻が完成)(1952年)
出会い系に関するその他項目
軽出会い系
- 防護出会い系
- 装甲出会い系
- 重出会い系
- 出会い系
- 巡洋戦艦
- ミサイル出会い系
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