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1.人間のエゴイズム、ここに極まれり。それが競馬

中山競馬場パドック

府中の東京競馬場。一番広々としている。

新潟競馬場

G汽如次熱気のパドック (中京競馬場)

福島競馬場パドック。吹き抜け状で、2階、3階、4階からも見れる
<2012年2月>

今から3年半ほど前、前の彼女に競馬場に連れて行かれて以来、僕は競馬にハマった。今ではドップリと全身はまり込んだ競馬人生を送っている。もはやその魅力に抗うことは出来ない。
しかし、競馬の魅力を語る前に、競馬とは何か?全体から捉え、これだけは言っておかねばなるまい。

僕なりに競馬を一言で言うなら、

「究極の人間エゴイズムの結晶」

ということになる。

人間は、競馬という壮大な事業において、生き物である馬を、神のように弄び、その生き死に、生活の何から何までを自分の思い通りにする。競走馬は、神である人間の前には全くの無力である。

人間は、競走において強い馬を作り出すために、強い種馬と強い繁殖牝馬を掛け合わせ、競走馬という命を作り出す。機械ではない、命である。そして、その人間によって生み出された命は、また人間のエゴによって抹殺される。

「競争馬は経済動物である」というと何のことか分からないかもしれないが、つまるところ、競走馬は家畜と同じである。人間なしでは生きられない動物である。生まれてからある時期まで丹精こめて愛情こめて育てられ、ある日突然屠殺場に送られる肉牛や豚、鶏と同じである。
人間の腹を満たしてくれる、その食料となるために育てられ、死んでいく牛や豚と違い、競走馬は、人間の娯楽のために酷使された挙句、死んでいく。牛や豚よりもその一生は悲劇的かもしれない。サラブレッドは筋肉の塊のため、その肉は人間が食べるには固すぎて、人間が食べる馬刺しとなるよりも獣のエサとなる場合が多いようだ。

競走馬は、人間のエゴによって生み出され、生きている期間のすべてを人間にコントロールされ、走ることを強制され、鞭打たれて走らされた挙句、走らなくなったらハイサヨナラ、死が待ち受ける。天寿を全うできないのである。

種馬や繁殖牝馬、乗馬や誘導馬などになり命を長らえることが出来るのは、良血馬や優れた競争成績を収めたごく一握りの馬のみ。その他大勢、ピラミッドの下辺にいるほとんどの馬たちには、もう走る見込みがないと分かった途端、死が突然やってくる。
さらには、レース中や調教中に怪我をしてそのまま安楽死処分となる馬も毎週のように出てくる。
もっとも、種馬になっても、人間の言うとおりに決められた牝馬とセックスをし、強い子供をたくさん残すことを強要される。強制されるセックスって、気持ち良くないだろ?(笑)それに、よほどの功労馬でない限り、種牡馬や繁殖牝馬でも、いい仔を出さなくなったらお払い箱である。

馬主は、金儲けのために競走馬を買うので、走らなくなったら、金をかけて飼育するようなことはしない。
JRAや競馬運営団体は、引退した競走馬の行く末など、公表しない。今まで夢を与えてくれた馬が、突然人間の手で殺されるのである。そんなこと、馬を売り物としているJRAがどうして発表できようか?事実隠蔽しなければ人々の心証が悪い。誰がどう考えても、特に競馬ファンであるなら、それまで応援していた馬が引退して人間に殺されるのは、結構辛いことである。
その動物の寿命を待たずに人間が動物を殺す、というのが何ともやるせない。動物園の動物やペットは、彼らが幸せかどうかは別として、一応人間の手で殺されたりはしない。生きるところまで生きられるのが普通である。

馬券を毎週買っていながらこんなことを言うのも変といえば変だが、僕は、競馬こそ、動物愛護団体から徹底的に糾弾されてしかるべき産業だと思う。シーシェパードは、反捕鯨などというくだらない活動なんかしないで、反競馬をやればいいのにと思う。くじら漁師の車の前に立って彼らが漁に出れないようにするなんてセコイことばかりやってないで、競馬場の本馬場に侵入し、体重500kgのサラブレッドが1000mを1分(=時速60km)という凄まじい猛スピードで疾走している前に立ちはだかり、命がけで競馬を止めてみろ!


人間は、この地球上のすべての生物の生殺与奪権を握っている。そして、自分達が生き延びるための食料としてだけでは飽き足らず、娯楽のために生き物を生かし、殺す。食物連鎖、弱肉強食の論理ではない。
一介の動物が、他のすべての動物の生死を操る。

僕ら一般の人間は、動物を殺す場面を日頃から見ないで生きていられる。だが、ちょっと釣堀に行って「生きている魚をさばけ」とか、野外活動で「生きた鶏を絞めろ」とか言われた途端にオタオタしてしまう。それほど現代人から「死」は隠され、遠ざけられている。いざその場面に臨めば、身体はすくんでしまい、頭は特別な悲しみで一杯になる。現代的な生活をすることにより、僕達は「死」に対し過剰な思いを持つに至った。それは、数万年前の人間初期のマインドからは大きくかけ離れているだろう。人間は、精神的に弱くなったのだ。いや、より感傷的になったと言うべきか。果たしてこれは進化だろうか?

僕は、この「競馬」という産業の加担者である。
そして僕は途方に暮れる。
それでも僕は馬券を買う。


(続く)

(競馬 1−−4−5−6)

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